『データが示す福岡市の不都合な真実』を読んで(1)若年人口流入に期待できず
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木下敏之福岡大学経済学部教授の新刊『データが示す福岡市の不都合な真実』を読み、共鳴することが多くあった。筆者なりの所感・指摘を行ってみたい。
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宮崎県からの流入人口急増は1990年以降
筆者は宮崎県出身である。まずは、その宮崎県と、隣県鹿児島県の比較から見てみよう。
福岡市における鹿児島県人会と宮崎県人会の規模は、鹿児島県人会が3倍ほど大きい。また宮崎県人と鹿児島県人では、福岡市に根付いている深さが違う。企業経営者の数においても、かなりの差がついている。これはなぜだろうか。
鹿児島県人は上京したり関西圏に出たりするにあたって、鹿児島本線を経由する。長い旅路のなか、彼らは博多駅で途中下車をしてみる。そこから分厚い薩摩人のネットワークが形成されていく。
一方の宮崎県人は、東京、関西、名古屋地区に移動するにあたり、日豊本線を利用してお上りさんとなる。彼らは日豊本線の終点・小倉から東に向かって本州を目指すが、わざわざ西の博多方面に向かう人は少なかったのだろう。
以上が筆者の見立てである。
筆者世代が進学する際にも、特に理系の友人たちの目的地は東京・大阪が多かった。ところが1990年を境にして、宮崎に残った友人たちの子どもの世代が福岡の大学・専門学校へ進学するというケースが大幅に増えた。彼らはそのまま福岡に残り、家族を形成する。友人たちは孫の顔を見に福岡にやってくるようになる。
さて、木下教授の指摘から推察すると、1990年を境にして都市福岡は大学・専門学校を充実させただけでなく、九州の他県から若者を牽引する魅力を急速に高めた。これが福岡の都市人口の急増につながった。だが、それから30年過ぎた現在、異変が起きている。その地方から転入してくる若者世代が、尽き果てる危険性が高まってきたのである。
海岸集落、崩壊の危機
表は宮崎県日向市の、地方集落人口分布資料である。筆者の生まれ故郷だ。日向市は隣接する東郷町と合併して、人口はピーク時の1991年では64,091人いたのであるが、2021年は58,927人と、5,064人も減っている。宮崎県のみならず、九州津々浦々どこでも人口急減に悩まされているのだ。
筆者の出身は美々津町である。日豊本線が通り、国道10号線や東九州自動車道も通っている交通の要所だ。昔は港としても繫栄していた。美々津港は、高鍋藩の物流港として経済中心の地の役割をはたしてきた。参勤交代には、高鍋藩主・秋月の殿様は美々津港から船出した。明治維新後の廃藩置県において宮崎県が誕生したのであるが、この際に宮崎県では民間人の寄付が強制された。その寄付額ベストテンには、美々津港の海産問屋4社が名を連ねていたのである。その繁栄ぶりがうかがえるだろう。
その栄光の美々津町は、幸脇地区と美々津地区に分かれる。幸脇地区の人口は460人、美々津地区が1,984人の総計2,444人になる。昔々、1960年前後の合算総人口は4,500人と言われていた。つまり2,006人減となる。総人口が減っているだけでなく、子どもが激減していることがその深刻さを物語っている。あと10年もしたら、美々津では子どもを見かけることさえ容易でなくなることが想像できる。
筆者の出身地区には、当時は小学校が3校あった。まず美々津小学校は2クラスあった。2クラスで約90名の生徒がいた。幸脇小学校も1クラス40人を超えていたと思う。また、美々津小学校の分校として田の原分校があった。ここには10名ほどの生徒がいた。合計で140名の小学生がいたのである。ところが現在、3校は統合されて美々津小学校一校になった。全校で59名、一学年で10名を保つのがやっとという状況である。
この実例は、美々津町だけの話ではない。九州津々浦々で同じく悲惨な状況がみられる。福岡の人口増は九州各県からの若者世代の転入に依拠する面が大きい。だが、その九州全域から若者世代の種が尽きようとしている。福岡の人口増もいつまで続くのか、深刻な事態に直面していることをぜひ認識していただきたい。
(つづく)
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