MRJ初号機の納期を5回延期、三菱重工業の組織的欠陥(後)
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プライドが高く、閉鎖的な造船部門
三菱重工は2016年10月18日、多額の損失を計上した大型客船の受注を凍結すると発表した。目に止まったのは、日本経済新聞電子版(10月18日付)の次の記事。
〈18日の記者会見で宮永俊一社長が漏らした言葉が象徴する。「造船は伝統もあってプライドが高く、それゆえの閉鎖性もあったのではないか」
1884年、長崎造船所(長崎市)で始めた造船事業が起点の三菱重工の歴史。戦艦「武蔵」を建造し、日本の重工業の発展をけん引してきた華々しい実績を造船部門は持っている。そのプライドが、抜本的な改革を先延ばしする「盾」となった感がある。〉損失計上の問題点と対応策を検討するために設けた「客船事業評価委員会」の委員長を務めた木村和明常務執行役員の発言も載せている。
〈「受注優先で、楽観的で拙速な判断をしたことなどが(損失を招いた)主な原因だ」と指摘。「他部門の助けを借りないことや、上意下達などの取り巻く風土にも問題があった」と説明した。〉
2人の発言を、筆者なりに読み解けばこうなる。成功体験があまりに強烈だったため、失敗が明らかになっても学習棄却ができず、間違った判断をしたという意味になる。
やっと自前主義を捨てたMRJの開発
17年1月23日。三菱重工はMRJの納期の5回目の延期を発表した。宮永俊一社長がどんな発言をしたかを調べてみた。日本経済新聞電子版(1月23日付)に発言が載っていた。
〈「開発前の情報収集やリスクの分析に関し、もう少し勉強すべきだった」〉
〈「これまでやってきたんだからできるんじゃというので、客船でも大きな失敗した」。宮永社長は率直に反省の弁を述べてもいる。MRJは、巨額損失を出した造船部門と同じように見えているのかもしれない。〉
MRJと客船の組織病理は、同じものだ。最大の原因は、自らの技術力への過信だ。
航空機部門は零戦をつくった華々しい実績を誇る。国産旅客機の開発はプロペラ機YS11以来、約半世紀ぶりである。ノウハウの蓄積がないまま、自前主義にこだわった。
MRJは部品点数が1機でおよそ100万点におよび、複雑な開発プロジェクトを管理しきれなかった。プライドの高さが学習棄却できず、現実を見誤らせた。
筆者が注目したのは次の点。MRJの開発体制は16年11月、宮永社長が直轄する体制に移行。これまで助言役にとどまっていた航空機の開発経験を持つ外国人エンジニアに権限を委譲して開発を進める。自前主義を捨て、外部の力を借りることで開発を急ぐ。いささか遅すぎる嫌いはあるが、やっと学習棄却ができたということだ。
三菱重工の組織の機能不全は、決して他人事ではない。今の日本企業は、過去の成功体験が固定化し、学習棄却ができない構造になってきたからだ。
(了)
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