ヨーロッパ政治の貧困──テレビニュースを見て
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
現在ポルトガルにいて、毎日テレビのニュース番組を見ている。その報道の仕方から、ヨーロッパの政治事情のひどさを感じている。日本のほうがマシだとはいうまい。だが、今回はヨーロッパに的を絞る。
ポルトガルのテレビ放送は、EUを離脱したイギリスを除くほかのヨーロッパ諸国とほとんど変わりがない。フランスやドイツのような先進国と基調が変わらないのだ。EUの情報操作はその点では成功しているといえる。
紋切り型のヒューマニズム。これに基づいて、世界各地の政治状況が裁断される。自国内の問題についてはイデオロギー色が濃い。一見して自由主義的で、社会福祉的な面を強調しているように見えて、一種の独裁が浸透している。EUの主要論調をはみ出さないのだ。
ニュース番組の後には政党間の論争を付帯させるのが通常だが、これは対立する意見を披露することで、「民主主義」はすばらしいと宣伝するのが目的のもので、たとえばウクライナ問題にしても、アメリカに寄り添った声しか聞こえてこない。日本の放送と大同小異といった感じである。
移民問題についての報道が多いところは、日本と違う。日本の放送は「日本と世界」という二分法で、日本は他国とは別という意識で貫かれている。ヨーロッパはそれに代わって「ヒューマニズム」を前面に押し出し、世界全体が自分たちの価値観の適用範囲だと考えているのだ。
歯の浮くような言葉が並ぶところはNHK的だが、それがもっと声高に謳われ、それ以外の声をかき消す。こういうことでは移民差別などかえって激化し、暴力沙汰が起こっても不思議はない。フランス国民戦線のような極右勢力が台頭しても、少しもおかしくないのだ。
意外なのは、ニュース番組より、その前後に流れるコマーシャルの異様なほどの画一性である。日本よりも長い時間流れるコマーシャルは、その内容にヨーロッパらしさがほとんどなく、アメリカ文化一辺倒となっている。「今やアメリカの時代なのだ」と、つくづく感じさせられる。
日本の場合もアメリカ一辺倒は同じだが、日本はアメリカとの戦争に敗れたわけだから、そうなっても不思議はない。韓国の学者キム・ジヨンが『日本文学の戦後と変奏されるアメリカ』で指摘したように、戦後の日本文化はアメリカの指導のもとで構築され、わたしたちはその延長線上にいる。では、歴史と伝統を誇るはずのヨーロッパが、文化の領域にまで新興国アメリカに支配されているのは、一体どうしてか。
端的に言って、ヨーロッパはアメリカなしにナチスの支配から逃れ出ることはできなかった。大韓民国がアメリカの力なくして成立し得なかったのと同様なのだ。NATO(北大西洋条約機構)は、アメリカ主導のヨーロッパ新秩序。フランスのドゴールが提唱した欧州共同体を基礎にEU(ヨーロッパ連合)が構築され、一見してアメリカとは別の道を歩んできたかに見えるが、実は軍事的にも、政治的にも、戦後ヨーロッパはアメリカの支配下なのだ。ウクライナのNATO加盟をめぐって始まった戦争が「代理戦争」だといわれるのも、至極もっともである。ヨーロッパの政治は、アメリカが動かしている。
そのことが文化に表れている具体例を示そう。もうすぐクリスマスであるが、クリスマスといえばヨーロッパの文化の基礎を支えるキリスト教の元祖、イエス・キリストの誕生を祝う祭である。本来なら、ヨーロッパ人が自己確認を行う最大の機会であるはずなのだ。しかしながら、実情はというと、まず教会に出向いてこれを祝う人が非常に少ない。宗教離れが甚だしい。しかし、それより深刻なのは、アメリカから輸入された商業化されたクリスマスが、今やヨーロッパ各国の市場を席巻し、アメリカ式の祝い方しかされなくなっていることである。これが文化の崩壊でなくて、何であろう。
この点では日本のほうが少しマシかもしれない。日本人もアメリカ式のクリスマスが習慣化しつつあるが、キリスト教は日本の宗教ではないから、精神面での影響は少ない。日本人には古くから正月があり、これも商業化されているとはいえども、アメリカ化はされてはいないように思われる。ヨーロッパ全体がアメリカ化されているのに比べれば、その点でマシなのだ。
政治の話をしていて文化の話になってしまったが、ヨーロッパでは文化が政治の一環になってしまったから、そういうことになるのだ。これは実に嘆かわしい次第だ。
最後になったが、日本のテレビにあって、ヨーロッパのテレビにないものがある。「お昼のワイドショー」がそれである。ワイドショーは、時に正式のニュース番組より問題の掘り下げが深い。これは日本のテレビの大きな特徴で、少なからず国民の政治意識向上に貢献している。私自身はワイドショーのファンではないが、それでもその存在を評価する。
ワイドショーの雑多性も、ヨーロッパのテレビにはないものだ。この雑多性こそは、ある種の救いを視聴者にもたらすもののように思える。
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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