2024年11月25日( 月 )

ヨーロッパから見た日本の政治事情(1)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ボルドー イメージ    ポルトガルのリスボンからフランスのボルドーにやってきて感じるのは、ここはヨーロッパだということだ。何が違うのか。一番強く感じるのは、ここには「人間」が不在だということだ。

 EUで足手まといにされている国はスペイン、ポルトガル、ギリシャの三国。そこにはしかし「人間」がいる。馬鹿もすれば、やたらにお祭り騒ぎをし、金があろうがなかろうが、仕事が終わればワインを飲み、美味いものを食べ、家族やら親戚やら仕事仲間やらが集まって楽しく過ごす。飲み屋がやたらに多いのはそのためで、家族問題、政治家の悪口を大声で話す。最近の話題は、もっぱらサッカーW杯。こういう生活だから経済的には不況続きだが、不満があっても結構平気で耐えている。

 「人間」がいるとは、人に頼れるということだ。個人主義よりは仲間意識。スリも泥棒もたくさんいるのに、親しげに見知らぬ人と話ができる。移民がこれほど多くなれば、それも難しくなるはず。なのに、必ずしもそうなっていない。

 スペインにいたとき、南のアンダルシア地方でスペイン人がモロッコ人を殴る蹴るなどして逮捕されたというニュースをテレビで見た。「移民の方が俺たちより待遇がいいなんて、面白くねえ」というのが暴行の理由だった。いわゆるヨーロッパ感覚でいえば、とんでもない蛮行である。

 ニュースキャスターもヨーロッパ感覚に合わせて(おそらく本音を隠して)、これを「蛮行」と糾弾した。私に言わせれば、たしかに「蛮行」かもしれないが、「人間」の本音がその暴行に出ていると思えた。

 そういう「人間」がヨーロッパにはいない。彼らは近代化の名の下に「人間」を抹殺したのだ。かくして政治的にも社会的にも整備された国家ができ上がり、すみずみに法が浸透している。

 日本を発つ直前に福岡で知り合った歌人のK氏から、つい最近メールをもらった。氏はイタリアから帰ってきたばかりということで、イタリアには「人間」がいた、日本にはもういないとメールにあった。私が南欧にきていることを言っているので、「きっとスペインやポルトガルなら人が生きていることでしょう」という。確かに、その人が気に入っているイタリア以上に、スペインやポルトガルは「人間」がいる。

 さて、そういうことを考えながら日本の政治を振り返ってみると、日本の政治家たちはそれでも「人間」だという気がする。日本は急速に「人間」を失っているかに見えるが、ヨーロッパのような徹底はない。政治家を見ても、ヨーロッパとちがって、言っていることがいい加減である。まさに、スペイン、ポルトガル、ギリシャといった南欧の政治家とそっくりなのだ。

 日本の政治家は言っていることがいい加減だから、責任をとるということがない。これも南欧の政治家と同じである。さらにいえば、政党間の議論が議論になっていない点も共通する。政党間にあるのは、議論ではなくて相手の揚げ足取り。ヨーロッパの政治風景には見られない光景だ。

 ヨーロッパにも「人間」はいて、それをうまく隠しているのだという人もいるだろう。しかし、私の印象では、隠しているのではなく、合理主義のもとに抑圧しているのだ。そういう人間が何をしでかすか。第二のヒトラーが出てきておかしくない。

 「人間」あるかぎり、政治は不良品とならざるを得ないのかもしれない。そもそも政治とは西洋ではポリティクス。ポリティクスはポリス、すなわち都市国家のことである。一方、ポリスといえば警察である。つまり、政治とは暴力を行使して社会秩序を守ることなのだ。

 西洋近代の政治は法の力で秩序を守ることを目指す。法を破る者があれば、これを暴力を用いて罰する必要があり、その暴力が警察力なのである。日本もそういう国家になろうとしてはきたが、土台が違うので難しい。「人間」を消そうとしても、思わぬところから顔を出す。

 先に南スペインでの移民暴行事件について述べたが、「人間」あるところ個人的な暴力が爆発する。近代国家ならドローンを使って爆撃するが、そんなやり方では「人間」がすたれる。素手で殴ったり、蹴ったりとなるのだ。

 日本では今年の7月、奈良で安倍元首相が暗殺された。この事件は極めて「人間」的であると思われる。動機が個人的であり、手段までも私的だからである。そのような「人間」的事件が思いのほか政治に影響を与えている。今もなお、旧統一教会と政治家の関係についての追及は続いている。

 「人間」は法による秩序を守る政治が暴走すると、無関心を決め込むか、反政治的行動に出るかどちらかだ。無関心は「人間」を蝕むが、反政治的行動は「人間」の復権を求める声と聞こえる。近代社会からは蛮行と非難されても、私はその非難に満足はできない。

 ところが、フランス以北になると、そういう「人間」が消える。それというのも、公共施設が整備されているため、人が人に依存しなくて済むからだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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