2024年12月23日( 月 )

【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(番外編)】朔啓二郎氏の人物像

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元福岡大学医学部職員

 朔啓二郎・福岡大学長に関する一連の報道に接し、かれと同じように長年この大学に籍を置き、かれの歩みをつぶさに見てきた者として、隠されてきたことがようやく人々の知るところになったとしみじみ思う。

 とりわけ、すでに全国的にも報道されている、かれが総合大学学長の名で公開している研究業績の粉飾問題とその後のかれの対応は、虚偽の情報を与えるということに対するかれの罪悪感の低さと不誠実さを浮き彫りにし、医師・研究者としてのかれの資質に改めて疑問をいだかせることになった。

 奇異に感じるのは、自身の倫理的問題にはこのように極めて甘いのに対し、他者に対しては徹底的に追及・糾弾してきたことである。研究倫理上の瑣末な問題をことさら大きく取り上げる、十分な実績があるにも関わらず学位を与えないなど、かれは特定の研究者にいわれなき不利益をもたらしてきた。

 対象となった研究者は、非正規職員のような立場の弱い職員や、かれに批判的な職員とその関係者であった。朔氏は、自身の恣意的な行為が彼らの研究者としての尊厳をいかに傷つけ、研究者生命を危険にさらすかといったことについてまったくもって無頓着であり、冷酷であった。しかも、かれ自身は決して表に出ることなく、意のままになる部下を使って、ことが自分の望む方向へ進むようさまざまな裏工作を弄してきた。

 たとえば、大学院の委員長や研究倫理のトップなどに直属の部下を配置することで、委員会が自分に都合の良い決定を下すよう仕向けた。こうやってあくまで公正な医学部長・学長としての体裁を保ったまま、裏では委員会に強力に介入して操っていたのである。ターゲットにされた研究者は弁明の場も与えられず、ただただ委員会の裁定に従うしかなかった。医学部教授会の面々は、こうした場面をいくつも目の当たりにして、朔氏に逆らうと何をされるか分からないといった恐怖心を植えつけられていった。

 朔氏の恐怖による支配は、教授選考や医学部長選挙、学長選挙の際、存分に発揮された。医学部同窓会と後輩の同窓教授を使い、学内の票を固めていった。朔氏のやり方に異を唱える後輩教授も少なからずいたが、先輩からの強い圧力の前に屈せざるを得なかった。後になって分かったことだが、朔氏は学長になる前から学内メールを覗き見しており、対立候補の情報も把握していた。歴代の学長ですら行わなかった(できなかった)公正でない手法を使ってまで、選挙に執着したのである。

 選挙に勝ち地位を得た後は、学長権限を用いた強引な人事が多数行われた。研究推進部長や情報基盤センター長、筑紫病院長、西新病院長といった、専門性が高く経験が必要な重要ポストに、すべて朔氏の配下であった人物が当てられた。高機能でリスクをともなう大学病院では、まずは副院長などで医療安全管理などを十分に経験した人材が、病院職員からも支持されて病院長に就任するのが適正な人事である。しかし、かれは病院運営の経験が皆無の者をいきなり病院長にした。このような配置は自身の選挙には有利に違いないが、皆のためになるかどうか考えたのだろうか。あるいは、学内ではいま、正当な意見ですらいえないほどに、恐怖による統治ができあがっているのだろうか。

 朔氏の学長就任後、長年にわたり最も支援してきた医学部同窓会長が突然解任された。かれの個人的な野望を実現させるための解任と言われている。一部の同窓会会員からは、朔氏らによる同窓会の私物化を批判する声もあったが、同窓会長はかれを全面的に支援し、同窓会の潤沢な資金と人材をかれのために割いてきた。そうした長年の同窓会長の好意と友情を、朔氏はねぎらいの言葉1つなく、あっさりと裏切った。

 朔氏の意向に背いたため、事業や教室運営をめぐって陰湿な妨害や恫喝を受けてきた後輩たちが複数いる。私もその1人である。組織の発展に必要な信頼と愛着は、残念な先輩のために失われた。医学部は50年の歴史を刻んだが、今後、良い伝統を残すことはできなくなりそうだ。

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