2024年12月22日( 日 )

中国習近平政権における2人の腕利き補佐役

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全人代 イメージ    今年の中国の全国人民代表大会(全人代)で、最大の目玉は人事異動だった。総理および国務院のメンバーがごっそり入れ替わったほか、常務委員会(衆議院に相当)と全国政治協商委員会(参議院に相当)がともにトップを交代した。習近平氏が最高指導者となってからの10年間で、最大規模の異動たった。

 10年前に誕生した 「李克強内閣」は最後の1年間、長びくコロナ規制や米中対立などを受け、GDP成長率が改革開放以降の40年余りで最低の3%であった。李克強総理も頭を抱え、失敗感が募っただろう。政策を決定する際に主導権をもてず、総理としての意志が反映されないことが多かったからである。

 中国には以前から、「中南海の北院(共産党中央)と南院(国務院)はさまざまな政策について意見が合わず、対立することもある」とよく言われていた。このため地方の幹部たちは、国務院の意見がはたして本当に中央政府の意志なのか分からなくなっていた。

 李克強氏は、2022年10月の共産党第20回大会で次期の常務委員会メンバーに選ばれなかったことで、2期10年間の任期を終えて政界から退くことになった。

 李克強氏は今回の全人代で、最後の政府活動報告をし、長らく拍手が鳴りやまなかった。しかし、本人もその補佐役メンバーも、副総理や国務委員から外れる。常務副総理だった韓正氏が国家副主席となったのは意外だったが、李克強氏が共産主義青年団中央第一書記であったときの後輩である胡春華氏が60歳にして副総理から降り、全国政治協商会議の副主席となって第一線を退いた。

 これから10年間の国家指導部は、すべて習近平氏主席(69)が丹念に選び抜いたメンバーであり、絶対的な忠誠を尽くす人物である。

 その最たる存在が、総理の李強氏(63)である。李強氏は、日本でも「温州みかん」で知られる浙江省温州市の出身である。現地の人は商売上手なことから、「中国のユダヤ人」ともいわれる。

 李強氏は農村に生まれ、大学入試が再開された1977年に浙江農業大学寧波分校に入学し、1982年の卒業後に共産党青年団の幹部となり、2年後に浙江省民政庁に入庁して救済処の処長になった。その後は県委書記、温州市委書記、浙江省工商行政管理局長を歴任した。

 習近平氏との付き合いは2002年から始まる。福建省の省長だった習近平氏はこの年、浙江省委副書記、省長代理となり、漸江省温州市委書記となっていた李強氏との付き合いが始まった。習近平氏は李強氏の仕事ぶりを高く評価した。

 習近平氏は2003年に漸江省委書記となり、その直後に李強氏を招き寄せて漸俚省の秘書長に就かせ、最も近い補佐役とした。李強氏は、習近平氏が2007年に上海市委書記に異動するまで4年余り秘書長を務め、間近で働いたことで、習近平氏の考えや性格を一番よく知る側近となった。

 李強氏は、習近平氏が胡錦濤氏の後任として主席の座に就いた後に浙江省の省長となり、2016年には江蘇省委書記となり、その1年後に中央政治局委員に選ばれたうえに上海市委書記に異動した。2022年10月の第20回党大会で、李克強氏の後任総理に向けての足固めとして、中央政治局常務委員となった。

 李強氏はその後、記者会見で抜群の受け答えをしたことで、能力を疑問視していた国民をうならせた。閣僚級の経験も副総理の経験もなく、政府機関で全国を率いた経験もない上に外交面でもまれたこともなかったが、総理となったことで、18年前に浙江省で習近平氏とともに過ごしたころの姿を思い起こさせた。18年にわたる友情や蜜月の上下関係により、「李強氏の話はまさに習近平氏の意思だ」との印象を植え付け、10年間におよんだ「中南海の北院と南院との意見の食い違い」が見事に消え失せたのである。

 国務院を李強氏に委ねたことで、習近平氏もすっかり安心できる。ならば党中央の「幹事長」は誰に任せたのか。習近平氏が選んだのは、元部下の蔡奇氏(66)だった。蔡奇氏は福建省出身で、1975年に「工農兵」として福建師範大学に入学し、卒業後すぐに福建省政府弁公庁に人庁し、1987年に省委書記であった陳光毅氏の秘書になった。この間に習近平氏は、福建省アモイ市副市長、寧徳の書記を歴任し、1993年に福建省常務委員、福州市委書記となった際、同省弁公庁の副主任であった蔡奇氏と交わるようになった。習近平氏が同省副書記となった1996年、蔡奇氏は三明市委副書記、市長に任命され、習近平氏の部下になったのである。

 蔡奇氏は1999年、中央組織部の人事で漸江省衢州市長に就任し、一方で習近平氏は浙江省委副書記および省長代理となった2002年から、衢州市書記、台州市委書記に昇格した。そして浙江省から離任する前に蔡奇氏が同省杭州市長となり、後に省の組織部長、副省長も務めた。

 習近平氏が国家安全委員会を結成した2014年に蔡奇氏は北京に異動し、この委員会で常務役となる副主任に就任した。国内外の安全面を受け持つようになったことで、習近平氏が最も信頼する人物の1人となった。 そして蔡奇氏は、北京市長を経て市のトップとなり、冬季オリンピック組織委員会の会長として開会式の司会をし、世界で生中継された閉会式で式辞をのべたことで名を馳せたのである。

 2022年10月の第20回全国代表大会で、蔡奇氏は中央政治局常務委員、中央書記処の書記となり、また中央弁公庁の主任も兼務し、習近平氏の「内閣官房長官」になった。

 従って、中国政府はこれから、政府を受け持つ李強氏と共産党を受け持つ蔡奇氏が習近平氏の両腕として、一番の実権を有する人物となる。


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