2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(12)─日本篇(2)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

仏もはじめは凡夫

仏様 イメージ    平安時代末期は日本人の心が大きく変わった時代である。それより3世紀前に聖徳太子が広めた仏教が、ようやく日本人の心に浸みこんだのだ。

 「ほとけは常にゐませども うつつあらぬぞあはれなる ひとの音せぬあかつきに ほのかに夢に 見えたまふ」(『梁塵秘抄』)。

 当時流行したこの歌を現代語に訳せば、「仏さまは常にいらっしゃるが、目に見えないからこそありがたい。明け方、物音もせずひっそりしているとき、ほのかに夢に現れてくださる」となる。作者は名もない遊女であった。

 『平家物語』にも似たような歌がみられる。平清盛に愚弄された祇王という舞妓が、清盛の面前で舞を舞いながら歌ったものである。

 「仏もむかしは凡夫なり われらもつひには仏なり いづれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ」。

 仏だって初めは普通の人だった。私だっていつかは仏になれる。あなただっていつか仏になれるのに、そこがわかっていらっしゃらないのは本当に寂しい、というのだ。

 時の権力者の前で、下層の人間がこのように堂々と歌えるとは、それだけでも感動的である。日本にもそういう時代があったのだと思うと、不思議にさえ思える。

 祇王は下層の女性だった。しかし、鈴木大拙が言ったように、この時代は下層社会にも「霊性」の目覚めがあった。貴族に代わって武士が台頭するそのとき、日本全体がその内側を揺さぶられていたのだ。

 下層社会の女性は、そういう歌を歌ったからとて自由になれたわけではない。しかし、当時の社会はそうした女性たちにも逃げ口を用意しており、それが尼寺だった。清盛にいためつけられた祇王であっても、逃げ込む先はあった。現在京都に祇王寺という寺があるが、彼女が逃げ込んだからその名がついているのである。

 ところで、祇王のような女性たちにとって「仏」とは何だったのだろう。単なる崇拝の対象ではなかったし、自分たちのような惨めな存在を救ってくれる救世主ということでもなかった。いうなればそれはある種の理想、この世を超えたすばらしいものの象徴であった。そうした理想のイメージをもつことで、彼女たちは生きのびることができたのだ。

 理想とは現実を映す鏡である。理想がなければ現実は見えてこない。しかも、理想だけが私たちを今ある現実から一歩外へ出ていくことを許す。

 これは抽象的な話ではない。スポーツ選手でもそれを知っている。たとえば、野球のピッチャーならシャドウ・ピッチングをする。理想的なフォームを頭に描き、それに身体の動きを少しでも近づけようとする。別の職業においても、同じことがいえるだろう。人が向上心をもつとは、理想をもつことなのである。

 では、平安末期の下層社会の女性たちにそのような向上心はあったのか。あった。彼女たちは自らの生を穢れたものと思い、そこから少しでも浄化されたいと願っていたのだ。彼女たちが仏のイメージを胸に抱いたことは、人生の究極において仏とひとつになることを意味したのである。

 そう考えると、私たち現代人の多くはそうした理想をもっていないと気づく。理想となるイメージをもっていないのだ。「君の理想は?」と若い人に問えば、「え?理想ってなあに?そんなもの、思ったこともない。そんなもの、どこにあるの?」という答えしか返ってこないではないか。

 確かに現代人には理想がない。生きていくうえでのモデルがない。とはいえ、たとえば私のよく知るコーヒー屋の主人は、毎日自分が理想とする煎り方を追求している。「今日は割とうまくいった、昨日は不満足だった」などと言っているのだ。理想というものは、少しでも自分を向上させたいと願う人には、案外に身近なものなのかもしれない。

 しかし、そういう人は例外で、仕事になんら理想を見出せない人が大半である。学生にしても同様だ。どうせなにをしても、行き着くところは決まっているとあきらめているのである。

 ところが、そういう彼らは現実の外側しか見ていない。現実の見える部分のみを信じて、これが現実だと思い込んでいるのだ。理想という鏡をもてば、その現実の別の面が見えてくるはずだ。

 しかし、彼らの受けた教育にはそうした鏡の入り込む余地はない。それは戦後日本の政府が教育の意味を考えなかったからだ。今を生きのびるために経済効果のみを追求した結果、明日の日本を考えなかったのである。

 つまり、経済成長に役立つ人材を育てることしか彼らは考えなかった。それがうまくいったのは1970年代までで、それ以降、若い人々は生きる意欲をなくし、現在に至ったのである。

 そういう今、平安末期の下層社会の女性たちの歌声を思い出すことは意味があろう。彼女たちの置かれた境遇は、現代の若者のそれよりも悲惨であったにちがいないが、それでも彼女たちには逃げ道があったし、社会もそれを用意していた。現代社会にもそうした逃げ道はないものか。多くの人は「夢」という言葉は知っていても、理想ということは知らない。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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