2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(16)─日本篇(6)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

丹波の梅岩・なにわの仲基

京都 商家 イメージ    丹波は京都の奥座敷と呼ばれている。その丹波に生まれたのが、現在にまでその影響力をおよぼすといわれる商人思想家・石田梅岩である。幼少のころに京都の商家に出され、でっち奉公をさせられた後、大きな商家に勤め続けて独自の思想を培った。

 ろくに学問をしていなかったはずなのに、いつの間にか儒教の書を読み、それについて考え、自らに合った思想を組み立てたのである。

 梅岩の思想は「心学」と呼ばれるが、要は「与えられた条件のなかで最善を尽くせ」というものだ。文句をいうより、感謝の気持ちをもて。仕事は天から授かったもの、疎かにするな。そういう職業倫理の大元がこの梅岩なのである。

 江戸時代といえば士農工商、武士が一番上で、商人が一番下という上下秩序である。梅岩はその一番下の商人であったから、学識など誇ることはできなかった。それでも彼は、卑屈になるどころか、堂々と商人哲学を説く。どんな風貌だったか、会ってみたくなる人だ。

 彼の哲学を一言でいえば、「商いは人と人の結びつき」というものである。「人あっての自分」という考えを徹底させれば、自ずと商いは成り立つというわけだ。「人あっての自分」とは、今日の哲学でいう「他者優先」である。個人主義を掲げて「我は、我は」といきり立つのでは倫理は成り立たない、という立場だ。17世紀の梅岩はその先駆け。彼から学べることは、今でもある。

 突飛なようだが、梅岩の哲学はドナルド・トランプを思い出させる。今や悪評高きアメリカの元大統領の基本は、梅岩と同じく商売である。その精神は「相手との交渉」ということに尽きる。中国の習近平はトランプが大統領になったとき、これを歓迎してこう言った。「商いの道は平和に通じる」と。この発言にかぎって、当を得ていた。

 もっとも、実際のトランプはそれほど相手を尊重したわけではない。梅岩がこれを見たら、「そんなに一方的に相手に条件を突きつけてはあかん」と戒めたのではなかろうか。あるいは、「あんさんには向こうさんの出方を読む力がちいと欠けとります」と言ったかもしれない。アメリカ式ビジネスのやり方で世界に通用するとは、限らない。

 それでも、トランプだったらウクライナ戦争は起こっていなかったのではと思ってしまう。プーチンとは馬が合ったし、トランプの娘婿はロシア系ユダヤ人の大富豪で、ウクライナにもベラルーシにも縁故があるからだ。だが、そうした憶測はこのくらいにしたい。梅岩に戻ろう。

 丹波生まれのこの庶民哲学者は大阪商人の鑑である。大阪に行っていつも思うのは、人の話術の巧みさの向こうに見える温かさ。梅岩にもその温かさを感じる。いつしか、梅岩を大阪人と思うようになってしまった。

 大阪のことを昔は「なにわ」と言った。そのなにわのど真ん中に、醤油業者の息子として育ったのが江戸時代随一の天才・富永仲基である。30歳で他界したこの大商人の息子は、仏教も儒教も神道までも文献を徹底的に精査し、その本質を見極めてしまったのだからすごい。

 仲基がいうには、仏教は釈迦の説法に始まって、その後弟子たちや孫弟子たちがさまざまに考えたことを付け足したため、全体としてまとまらない思想となってしまった。儒教もまた然り。神道は大昔の原始宗教だが、これには文献も何もないから、その当初の姿が今に残っている保証はない。というわけで、どの宗教も当てにならないというのが彼の結論である。

 もちろん、人はそれではやっていけないので、それぞれが自分の解釈で仏教はこうだ、儒教はこうだ、神道はこうだと言い張る。これを仲基は愚かの極みと見た。

 では、どうすればいいのか。彼曰く、特定の宗教を信じる必要はない、ただ毎日を健康に過ごし、隣人と仲よくし、言葉を正して会話を楽しむこと。そうすれば心も整い、自分も周囲も幸せになるというのだ。

 これだけのことをいうために死に物狂いの勉強をするとは。その文献資料の収集と読解ぶりは並はずれており、早死にしたのももっともと思われてくる。それにしても、その到達した結論があまりにも平凡。一体、どうしたことか。

 平凡とはいえ、美しい結論である。老境に達しないと口に出せない思想を、30歳の身で口にするとは。宗教なくして生きる道を示した彼は、実証主義者であったばかりか、合理主義者でもあった。なにより自身の判断を重んじ、外界の権威に頼らなかったのである。

 比較文化論者としても、彼は優れていた。仏教はインド、儒教は中国、神道は古代日本の産物であるから、徳川時代の自分たちにわかりっこないと言い切ったのだ。私たちは根っこのわからない外国の思想や古代の思想に飛びつく癖がある。その危うさを彼ほど的確に指摘した人はいない。

 いつも思うのだが、江戸時代の思想は思いのほか自由である。今よりも自由とは、どういうことか?じっくり考えてみたい問題だ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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