2024年11月23日( 土 )

知っておきたい哲学の常識(17)─日本篇(7)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

転んでもただでは起きない

福沢諭吉誕生地・中津藩蔵屋舗之跡 イメージ    幕末から明治維新にかけての激動の時代を乗り切るには体力だけでなく、並外れた知力と根性が要る。そのような資質をすべて備えていたのが、大分は中津出身の福沢諭吉だ。

 福沢の文章を読むと、その湧き出てくる脳力に圧倒される。たとえば、「民情一新」という文章、その着想の凄さ、世界全体を見わたせる眼力に驚嘆する。本人も相当自信があったようで、英語版も出したいと思ったという。

 「民情一新」は、世界全体の人心が動力の革命で一新してしまうことを述べたものだ。日本のことを言っているのではない、世界全体が蒸気機関の発明で激しく動揺し、既存の社会は安定を保てなくなり、人々の精神は路頭に迷うと喝破しているのだ。

 このような内容の文章が、開国したばかりの日本人には見当もつかないものだったことは間違いない。なにしろ、国中が「太平の夢」を破った蒸気船のすごさに目も眩んでいた時である。よくもこんなに冷静に世界を眺めわたせたものだ。

 蘭学を学んでいた福沢には蒸気機関の理屈もわかっていたし、その威力もわかっていた。彼は、しかし、それによって起こる人心の動揺のほうに関心をもち、そこに人類が人類のつくり出したものによって自らの足場を失う大混乱を見たのである。この歴史を見る眼の鋭さ、そこに福沢の真骨頂がある。

 何事があっても冷静さを失わず、平然と物事を見定める。福沢にはそういう稀有な才能があった。それゆえ明治の日本人を、「一身二生」と表現することができたのである。すなわち、日本人は江戸時代までの伝統を生きていると同時に、明治以降の西洋化をも生きている。この2つの生を同時に生きていること自体を、彼は客観視できたのだ。

 そんなことができても、自己分裂に陥るだけではないのか。陥らない。福沢によれば、1人で2つの人生を生きることができるのは決して悲劇ではなく、むしろ絶好のチャンスだったのだ。彼はいう、「1人で2つの人生を生きることができるとき、人はその2つを比較できる。比較ができるということは、知識がより正確になることだ。そんなことは、西洋人にもできないことだ。なぜなら西洋人は、自分たちの文明しか知らないのだから」。

 これはすごい、すご過ぎるとしか言いようがない。福沢がどうしてこんなことがいえたのだろう。

 答えは、幼い時から彼は一身二生だったからというものだ。中津にいながら、母親が大阪弁だったので家のなかでは大阪人。外に出れば中津の人となり、この2つを使い分けていたのだ。

 成長して漢文がすらすら読めるようになったが、蘭学が盛んな時代だったからオランダ語を学ぶ。そういうわけで、漢文と蘭文に習熟し、そこでも二刀流だった。福沢の一身二生とは今でいう二刀流なのである。

 二刀流といえば大谷翔平がすぐに話題となるが、もともと日本文化は二刀流である。韓国では漢字を廃してハングルのみとしているが、日本では相変わらず漢字も使えばカナも使うのである。和漢混淆文は当たり前で、漢語に代わって西洋カタカナ言葉が増えたとしても、二刀流の構えは変わらない。日本文化はハイブリッドである。

 このような福沢は人生を楽々と渡ったように見えるが、それは彼がそのように人前で自己演出しているからで、実際は苦労の連続である。そもそも下級武士の子で、しかも父親を早くに亡くしている。到底、出世の見込みはなかったのだ。

 しかし、持ち前の頭の回転の速さと人知れぬ努力で、上司たちの邪魔にもめげず、少しずつ頭角を現していく。気づいたときには幕府の通訳としてアメリカにも行けば、ヨーロッパにも行った。

 そもそも福沢には独特の根性がある。欧米列強に圧迫されて開国した日本が未曾有の困難に見舞われているというのに、彼はこれを絶好の機会と捉えている。ピンチの後にチャンスが来るというのではなく、ピンチをチャンスと読み替えてしまうのだ。この読み替えの力、まさに「転んでもただでは起きない」である。

 そのことを端的に示す例がある。福沢は若い頃一生懸命オランダ語を学び、翻訳で生計を立てていた。ところが開国後の横浜へいってみると、そこではオランダ語ではなく英語が使われていた。オランダ語の知識は役立たなかったのだ。誰であっても、これはがっくりくる。

 ところが、がっくりはその日だけで、翌日からは英語の先生を探し始める。これからの時代は英語だと思い、英語の猛勉強を始めるのだ。彼が幕府の通訳としてアメリカに派遣されたのは、福沢は英語に強いと評判になっていたからだ。切り替えの速さ、思い切りのよさ、見事と言わざるを得ない。

 福沢を見て思うのは、引きずらないことの素晴らしさである。人生は短い、失敗は成功の元と心に決めて、果敢に挑戦する。この生き様に惚れない人はいないのではないか。 

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

(16)
(18)

関連記事