2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(22)─西洋篇(2)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ホメロスの罪

チェルノブイリの野生のキツネ イメージ    古代ギリシャのホメロスの語った冒険物語は現代にまで受け継がれている。そのうちの1つ「オディッセー」は西洋文学の原点ともいわれる。

 ある戦士が航海に出て、難敵を破り、幾多の困難を経てやっと帰還する。しかし、家に戻ってみると自分の留守中に妻に言い寄った男が複数いるとわかり、この英雄は彼らを次々に殺していく。以上があらすじである。

 これが西洋思想の原型とすると、世界を征服し、自らの拠点も守り続けるのが西洋ということになる。支配するのは力の論理だが、その力が知力によって倍化されているところが重要である。敵を脅しだまして優位に立つことが求められるのだ。

 ところが、多くの西洋人が愛好してきたこの物語にケチをつけた者がいる。アドルノとホルクハイマーである。この2人によれば、この物語の主人公は狡猾で、他人に心をひらかない、人間性に乏しい人物である。帰途の航海で美しい歌声で誘惑する海の怪物の魅力を感じつつ、それに取り憑かれないようにわざわざ我が身をマストに縛り付け、それでもその歌声だけは聴こうとするのだ。

 つまり、快楽を得るのに予防措置をとる。そういう知恵をアドルノとホルクハイマーは厳しく弾劾するのだ。功利主義への批判である。快楽を得るための予防措置の何が良くないのかと疑問を持つ人に、彼らは次のような説明をする。歌声の美しさに魅了されたくないのなら、初めからその怪物に近づかなければよいのに、近づいて歌声を聞いたうえで、さらにその魔力に引き入れられないようにするのはあまりに功利的だというのだ。

 彼らはこの功利主義を西洋文明が古代から引き継いできたものと見る。思い切った西洋批判なのである。

 彼らがナチス=ドイツを逃れてアメリカに渡ったユダヤ人だと言ったら、なるほどと納得する人もいるだろう。彼らに言わせれば、ナチスの本当の恐ろしさはヒトラーにはなく、ユダヤ人を憎んでもいないのにヒトラーのいうことを聞いて機械的に多くのユダヤ人をガス室に送り込んだ自動化された精神にあるのだった。その自動化は精密な計算に裏打ちされたもので、それが「オディッセー」から西洋が引き継いできた悪知恵だというのだ。この批判は西洋文明の根幹に触れたものとして、少なくとも西欧では反響を呼んだ。

 しかし、疑問は残る。第一に、西洋文明には別の面もあるのではないか。たとえば西洋音楽の示した精神の高みは、決して功利主義による自動化が生み出したものとはいえない。アドルノとホルクハイマーはナチスの大量ユダヤ人虐殺のショックで、西洋文明の暗黒面を誇張したのではないだろうか。

 もう1つの疑問は、はたして彼らのいう精神の自動化は西洋だけのものかということだ。すべての文明にそのような兆候が見えるのではないか。とくに現代の高度に技術化された文明は、世界中どこへ行っても思考を経ずして物事が決定されていくシステムになっている。私たちの精神は自動化され、反省もなにも起こらないのである。そうしているうちに、ふと気づけば足元に多くの死骸が見つかるという現実。これはSFでも、なんでもない。

 『2001年宇宙の旅』という映画がある。原題は「スペース・オディッセー」、すなわちホメロスの冒険物語の未来版である。この映画のすごいところは、人間が機械を動かして宇宙旅行をしていたつもりなのに、いつしかそれが逆転し、機械すなわち人工頭脳のほうが人間の意思に逆らって宇宙船を操縦してしまうという展開である。ホメロスの英雄の未来版は単なる機械の奴隷に過ぎず、故郷に帰還できるどころか、未知の世界に連れて行かれてしまうのだ。

 つまり、ロボットのほうが人知をうわ回る。人類の未来を暗示するこの重い作品が1968年につくられたとは、とても信じられない。

 この映画を見ると、ホメロスの罪など可愛いものだったと思えてしまう。しかし、ホメロスが人知を信頼し過ぎたから、それを引き継いだ後代の人類が人工頭脳をつくり出したのだともいえる。ホメロス路線を歩んだ人類が自分たちの知能でつくった人工頭脳に支配される時代が来る。効率を重んじるあまり、効率の奴隷になってしまうのだ。

 原子核分裂がものすごいエネルギーを放出することを知ったとたん、人類はこれを戦争に用いることを考えた。そして、それが実現したのが広島・長崎である。それで懲りたかと思えば、その逆である。こんなに効率の良い武器はないということで、余裕のある国は、あるいは余裕がない国でも核兵器開発を続けている。

 しかし、それでも思う。自然の自己再生力の前では人知などたいしたものはないのではないかと。人工頭脳といえども、全自然を破壊することはできないと思うのだ。人の住めなくなったチェルノヴイリは草木だけでなく、動物たちの楽園となりつつある。自然が私たちを簡単に潰せることはわかりきったことだ。人智を評価しすぎてはならない。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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