知っておきたい哲学の常識(25)─西洋篇(5)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
真理は現象の向こうにある
学生のころ、中村元の『インド人の思惟方法』を読んだことがある。その本のなかで今でも忘れられないのは、「インド人にとって実在するのは観念であって、現象ではない」という言葉だ。
著者が言うには、私たちが「この花は美しい」と言うとき、インド人は「美がこの花にある」と言うのだそうだ。小林秀雄が「美しい花はあるが、花の美というものはない」と言ったのと、正反対である。
現象より観念を優先させるということは、感覚を信じないということだ。感覚されたものを幻だと見ているのだろう。インド人はそのように世界を見ているのか。不思議である。
西洋にも似たような観念論があり、その元祖は古代ギリシャのプラトンである。プラトンの思想がアレクサンダー大王の遠征でインドまで運ばれたのかどうかはわからないが、ガンダーラの仏像がギリシャ彫刻に似ているのだから、あり得ないことではない。
現象を信じないで観念を信じるとは、科学の世界では当たり前である。現象としては朝日が昇り、夕日が沈む。科学者はこれを疑い、ついに地球が自転していることを見つけたではないか。現象を信じ続けていたなら、自転も公転も決してわからなかったはずだ。プラトンのおかげで科学は進歩したのである。
そのプラトン、どうしてそんなことを考えついたのか。おそらく、瞑想によってである。瞑想のなかで、私たちが感覚している世界の奥に本体としての世界があると気づき、瞑想から出た後に、その本体を観念(イデア)と呼んだのだ。
彼にすれば、このイデアの世界こそが真実なのだから、感覚に惑わされてはいけないということになる。感覚に惑わされているうちは、たしかなものはつかまえられず、精神は不安定なままだというのだ。哲学とは、彼にとってこのイデアの世界を追求することだった。
プラトンはイデアの世界は忘却の彼方に没しているので、これを想い出さなければならないとも言っている。失われた記憶を回復しなくてはならないのだ。彼はまた、その記憶の回復を助けるものとして数学の勉強を挙げている。彼の哲学において、数学は必須だったのだ。
数学の世界は具体的な感覚を超える。人が2人いるとか、10人いるとかは感覚できるが、2とか10という数そのものは感覚できない。したがって、数学を勉強することは私たちを感覚から自由にし、イデアの世界に近づくことを助けるのである。
このような話は教科書にも書いてあるかもしれないが、夢のような話である。プラトンの言っていることは本当なのかもしれないが、実感できないのだ。ところがあるとき、日本人の数学者・岡潔の本を読んで、ああそうかと合点した。
岡はプラトンのいうイデアのことを「理想」と呼び、数学には理想がなければならないと言う。そして、その理想というものはいまだかつて会ったことのない母親のようなもので、私たちにはその母親に対する「懐かしさ」があるというのだ。プラトンのいう想起が、岡の場合は「懐かしさ」となっている。
しかし、会ったこともない母親を懐かしむなど、考えられないではないか。自分が生まれたときに自分を捨てた母親のことを言っているのか。しかし、多くの人は母親に捨てられていない。仮に自分を捨てた母親がいて、その人の記憶がないとして、そのような母親を懐かしむことなどあり得ない。岡の言っていることは、常識からすればデタラメなのである。
しかし、岡は言う。会ったことのない母親を探す子は、ある女性が出てきて「私があなたの母さんですよ」と言っても、それが嘘だとわかる。ところが本物の母親が現れれば、直感でこれは本物だとわかるというのだ。
この言葉を読んだとき、デジャヴュのようなものかもしれないとも思った。もしかすると私たちはみなこの失われた母の記憶をもっているのだが、それを思い出すことができないだけなのだと思えたのだ。あの遠いギリシャのプラトンも、そういう感覚だったのではないか。人はみな、もしかするとそういうものなのかもしれない。
岡を通してプラトンに接し、プラトンと接して人類がおぼろげながら見える。インド人でなくても、観念の世界に触れることができる気がした。
韓国の慶州に行ったことがある。いにしえの都だ。そこで石窟仏を見た。あの白い仏像を見たとき、ああこれはどこかで見たことがあると思ったものだ。岡潔の言葉でいえば、見たことのない母親と出会ったのである。
なるほど、仏像というものはプラトンのいうイデアの具現である。誰も仏など見たことはないのだから。イデアは夢のなかに忽然と現れる幻とはちがう。プラトンなら、あなたの信じている感覚の世界のほうが幻だと言っただろう。私たちの心の奥に潜むもの。それを覗く訓練が必要だということだ。
さて、プラトンは科学の原点であるとしても、現代人は彼を忘れている。科学が実用の科学になり果てたからだ。これはいいことなのか?
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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