2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(26)─西洋篇(6)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

エゴの哲学

フランス イメージ    デカルトといえば17世紀の人、近代哲学の祖とされる。有名な彼の言葉「我思う、ゆえに我あり」は、人間は考えないうちは自分が存在しているかはっきりわからないから、考えなければ自分が存在しているとはいえないという意味に解釈できる。

 なるほど、ぐっすり眠っているときは自分が存在しているのかどうかわからない。デカルトの言うことは、当を得ているようにも見える。

 しかし、彼は「人間は」と言わずに「我」と言った。すなわち、自分ひとりのことを言ったのである。したがって、この言葉は近代的な自我、環境世界から自立した自我の確立を示すものと解釈することもできる。となると、デカルトは近代西欧思想の英雄ということになるのである。

 丸山眞男といえば日本思想史の大家であるが、その彼もデカルト派であった。「であること」と「すること」を区別し、前者を受身の態度、後者を積極的な態度に呼応させ、これからは何ごとについてもこうであると決めつけず、積極的に行動しようではないかと訴えたのである。

 この彼の姿勢には、何ごとも受け入れるのではなく、自分で考えて行動することが大事だという近代的な思想があり、その淵源をたどれば、既存の考え方に疑いをはさんで前進したデカルトに行き着くのである。

 しかしながら、そのようなデカルトが20世紀になると急に評判を落としはじめる。その先陣を切ったのが哲学者のシモーヌ・ヴェイユで、彼女はデカルトがすべてを疑った末に「我思う、ゆえに我あり」にたどり着いたことについて、嘘があると言ったのである。

 あらかじめ自分が存在していることを前提にしたうえで、あえてすべてを疑ってみせるのは一種のごまかしではないか。それが彼女の言い分である。本当に全てを疑ったら、最後には疑う自分をも疑ってしまうはずではないか、というのだ。

 彼女はまた、デカルトが幾何学を代数化したことを厳しく責めた。中学校で習う座標軸の上に描く図形は、あれはデカルトが考え出したもので、これであらゆる図形が数式に置き換えられるようになったのだ。それを見たシモーヌ・ヴェイユ、抽象的な数式が具体的なかたちに優先する時代がデカルトのせいでやってきたと嘆き、彼のせいで科学が私たちの具体的な生活から遊離したものになってしまったと糾弾したのである。

 彼女とほぼ同年代の人類学者レヴィ=ストロースも、デカルトの厳しい批判者であった。彼はデカルトの哲学をエゴの哲学と定義し、彼が自己の存在を認めたすぐ後に、自身を取り巻く社会や他者と自分の関係について考察することなく数学と物理の世界に埋没したことを、人間的な欠陥として非難している。その結果、デカルト路線に沿って発達した近代科学も倫理的な観点が欠けている、と見たのである。

 彼がそこまでデカルトを厳しく非難したのは、同世代にサルトルという哲学者がいたからである。サルトルといえば左翼思想家であり、労働者の味方であるような印象を与えており、作家の大江健三郎などが崇拝に近い感情を抱いていた人物である。しかし、レヴィ=ストロースによれば、このインテリはデカルトのエゴ哲学を一歩も出ない、典型的な西欧中心主義者だったのである。

 もっと最近になると、今度は脳科学者がデカルト攻撃を始めている。『デカルトの誤り』を書いたダマシオは、この哲学者が脳科学的に見て完全に誤っていると述べたのである。その根拠はというと、まずデカルトは心と体を完全に分離させているが、生物としての人間の心とは実際には脳のことであり、その脳は身体の一部であり、身体各部と密接につながっているから、デカルトのいう心身二元論はあり得ないというのだ。

 ダマシオはさらに、デカルトは理性と情念を対立させ、理性は人間だけにあり、情念は動物にもあるから、理性が情念の上位にあると見ているが、これも間違いだという。なんとなれば、生物としての人間は外界の刺激によって生じる身体反応を情動として表現し、その情動がアップグレードされて感情になり、その感情がさらにアップグレードされて理性的な思考がはたらくからだというのである。

 つまり、ダマシオによれば、感情は理性に対立するのではなく、理性の土台である。その感情が発達しなければ理性は生まれ出ないのであって、デカルトは感情について誤った見方をしたというのである。

 私たちはしばしば「感情的になるな、理性的になれ」と言われる。しかし、そのような言葉はデカルト式の考えに基づくのだと気づくべきだろう。感情をうまく育て、これをうまく表現できるようになれば、他人とうまくやっていけるだけでなく、冷静な理性的思考もできるようになる。これが脳科学者ダマシオの言うことなのである。

 ダマシオの説は教育にも活かせる。子どもはまず感情を育て、これを表現できるようにさせれば、理知もはたらくようになる。保育園や小学校の先生、これをどう思いますか?

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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