知っておきたい哲学の常識(29)─西洋篇(9)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
平等なんてあり得ない
子どもたちが幼稚園で習う歌に「むすんでひらいて」がある。この歌の作者が18世紀の啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーだ。あの社会契約論の発案者が、どうしてこんな歌をつくったのか。
彼が教育家だったと知れば、納得がいく話だ。彼の書いた『エミール』は、どのように子を育てるのがよいかを論じたものだ。ルソー曰く、「子どもは自然に育てよ。子どものもっている自然を壊さないように育てよ」である。
彼の教育論は現在も生きている。日本にもルソー主義者がいて、その理念に沿って子を育てようとして保育園や幼稚園を経営している人がいると聞く。しかしそれへの反論もあって、幼児教育は子どもに社会性をもたせるためにあるのであって、ルソーの考え方だと社会化のプロセスがないがしろにされるのではないか、と危惧する向きもある。
ルソーの教育論にはもっと厳しい批判もある。ルソーは正式な結婚はしていなかったが子どもが何人かいた。しかし彼はそれらの子をろくに育ててもいないのである。そんな奴の教育論なんかあてになるものか、「子どもを自然に育てよ」とは子どもをほったらかしにしておけということなのか、とんでもない空想家の教育論だ、というわけである。
ルソーは自然状態を賛美する人間であった。すべて自然状態は良く、その反対である文明は悪だと見たのだ。彼によれば、社会は人間の自由を制約する。人間の持つ自然を抑圧する。その抑圧は文明が進めば進むほどひどくなる、というのだ。
これを言い換えれば、原始人は文明人よりはるかに自然状態に近かったから、調和のとれた人生を送って幸せだったということだ。だが、本当にそうだったのか。私たちの知る限り、原始人が現代人より幸福であった保証はどこにもない。原始人には現代人のあずかり知らない不幸があり、ある点では私たちより幸福であったかもしれないが、別の点では不幸だったと見る方が適切なように思える。
そもそもルソーは自然状態を最善としているが、これも妥当かどうか。動物の世界を見ても、それぞれが己の陣地を守ることに執着し、それを少しでも乱されればすぐにも相手を攻撃するのが性である。人間も動物であるからこの攻撃性をもっており、それは幼児の世界を見ても明らかなのである。
教育とはこの人間の自然のなかにある暴力性をある程度制御できるようにすることでもあるはずだ。ルソーは人間が自然にもつこの負の部分を看過していたと思える。
言い換えれば、ルソーは楽観的な性善論者であったということで、そこに彼の思想の限界があったと思える。同じことは小宮彰がその類似を指摘したルソーの同時代人の安藤昌益にも言えることで、安藤昌益もまた文明を呪詛し、自然を賛美したのである。
しかし、そうはいってもルソーの現代社会への影響は大きい。彼の掲げた政治理念は私たちの憲法にも謳われているもので、それは国民主権とか基本的人権とかの言葉で表されている。国民主権をルソーの文脈でいえば、人間はおのおのの自然を守るためには政治に参加しなくてはならないということで、そうしなければ、権力者の好き勝手な政治の犠牲になり、簡単に自分たちのもつ自然が強奪されてしまうということになるのだ。
一方の基本的人権は、これもルソーの文脈でいえば人間が生まれながらにもつ権利、すなわち自然権ということになる。これを踏みにじられたら人間は人間ではなくなる、と彼は見た。ところが、人間は知恵がつくと、他の人の自然権を踏みにじる傾向がある。そこで法律をつくって、自然権を保護しなくてはならないというのである。
ルソーの考えた民主主義は直接民主制である。私たち1人ひとりが直接に政治に参加する制度だ。しかし、諸々の理由でそれが不可能となれば代議制となる。その場合、議員を選ぶ権利は私たちにあり、選ぶということは代議士に自分の意志を託すことを意味する、と彼は言うのである。
この考え方は、少なくとも理念上は今日の日本でも実現されている。しかし、どの程度選挙人である私たちの意思が代議士に反映されるだろうか。ルソーの言ったことは理想に過ぎず、現実はそれとはかけ離れているように見える。
ルソーは社会的不平等をも糾弾した人として知られる。平等社会の理念を謳ったのである。これまた絵に描いた餅という感じがする。人間には個人差があり、その個人差が優劣差に換算されるのが日常だからだ。
ルソーの掲げた理念はどれもすばらしいものに思え、それを基にフランス革命となり、アメリカ革命となり、マルクス主義革命となった。だが、それらの革命がほんとうに人間を幸福にしたのか、そこはわからない。
人間社会が不完全なのは真実だが、それを完全にしようという試みはその実現のために大きな犠牲をともなう。とすれば、なんのための革命なのかと問いたくなる。
ルソーは魅力的かもしれないが、鵜呑みにするのは危険である。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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