2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(30)─西洋篇(10)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ヘーゲルは乗り越えられるか

 現代世界に最も影響を与えている西洋の哲学者は?と問われたら、ヘーゲルと答えたい。「ヘーゲルなんて、今さら」。そう言われるのを覚悟で、である。

 ヘーゲルの影響といっても、彼の難解な著書が読まれているわけではない。私など、何度挑戦しても、こりゃあかんとあきらめている。しかし、彼の言わんとしたことが、なんと世界では実現されている。どういうことか?

 ヘーゲルは彼の同時代の動き、あるいは近未来の動きを敏感に捉えた哲学者であったと思われる。彼のいう弁証法は、何ごとにもピタリと当てはまる万能薬の観を呈し、世界史は彼の言った通りに展開しているように見えてしまうのである。

 彼の弁証法は、よく言われるように「正反合」である。すなわち、まず1つの立場がある。次にそれに反対する立場が生まれる。この両者が対立して矛盾が生じると、その矛盾を解消するために新たな展開として両者の総合がなされる、というものである。

 これを世界史に応用すると、まずは原始的な共同体がある。ところがこれに対抗する別の共同体が現れ、そこで対立関係が生まれる。そうなると、そこから矛盾が生じ、これを解消すべく両者は争う。その結果、2つが統合されて1つになり、かくして矛盾はなくなり、原始共同体から文明への道がひらけるというわけだ。

 このダイナミックな文明史観は多くの事象を説明する。先に万能薬の観を呈すると言ったが、そういう感じを実際与える。しかしながら、よくよく見てみると、それにそぐわない場合もある。その一例が夫婦関係だ。

夫婦 イメージ    夫婦というものは基本は男と女の関係だ。同性婚という場合もあるが、その場合でも異性婚がモデルになっているようで、1人が男役、もう1人が女役だという。問題はこの2人が一緒になるとして、ヘーゲルの言うようにそれが矛盾を必然的に生むかどうかだ。

 夫婦に対立はあろう。異質なものどうしが1つになることなどあり得ない。これを無理に1つにしようとすれば、確かに矛盾が生じる。しかし、初めから1つになろうとせず、共存し、助け合い、補い合うという関係も可能なはずだ。となると、矛盾は生じず、ヘーゲルの弁証法は夫婦関係には必ずしも当てはまらないことになる。

 もう1つの例は、これは人類学者のレヴィ=ストロースが指摘していることだが、たとえばアメリカ先住民の部族が川の近くに居住している。そこへ水を求めてもう1つの部族がやってくる。ヘーゲルの弁証法ならこの2つの部族は川の利権のために争う。そして一方が勝つことで2つの部族の統合がなされる。ところが、実際にはそうならないケースが多々ある。

 この場合、2つの部族の共存は難しい。水の利用量に限度があるから、利用する側の人数が増えれば水は足りなくなる。レヴィ=ストロースによれば、アメリカ先住民はこのような場合、各部族の人数を減らす工夫をし、両者が共存できるようにするという。具体的には、各部族の老人に死んでもらうのだ。こうして両部族の総人員数は以前と変わらず、両者は共存して川の水を享受できるのである。

 ヘーゲルの問題点は明らかであろう。彼の弁証法は矛盾から総合へと向かってしまうために、矛盾したまま共存するという可能性を見落としてしまうのだ。矛盾したままの共存、これこそは現代世界が許容し、あるいは模索すべきものではないだろうか。

 そもそも矛盾という言葉がくせものである。矛盾は統一という概念が先にあるから出てくる言葉なのだ。ヘーゲルは矛盾にこだわったが、それは彼が最初から統一を前提としていたからだ。そこに彼の弁証法の最大の難点がある。

 しかし、現代世界はヘーゲル式に進んでおり、その最たるものがグローバル化である。グローバル化は地球規模で物事を考えようとしているかに見えるが、そうではなくて、1つのシステムによるほかの多くのシステムの破壊、吸収、それによる力の増大という動きである。そこでは対立や矛盾は容易に乗り越えられ、すべてが1つになろうとする。というより、すべてを1つにしようとする。これは便利には違いないが、それは勝者にとってだけで、グローバル化の犠牲になる側からすれば、世界の終わりである。

 グローバル化の問題点は、延々と繰り返される復讐劇を生み出してしまうことにある。あるシステムが世界を制覇すると、それによってつぶされたシステムの残党が復讐を試みる。それが成功すれば、今度は別の復讐劇がはじまる。終わりがない。

 こう考えると、中国古来の陰陽二元論のほうがマシなように見えてくる。陰は陽を含有し、陽は陰を含有し、最初から内部に矛盾を抱えている。しかし、その内部矛盾があればこそ陰と陽は両立し、補い合うことができるのである。毛沢東はヘーゲルを取り入れて「矛盾論」を書いたが、長い歴史を持つ中国のことだ、いずれはヘーゲルを吐き出し、毛沢東を吐き出すのではないだろうか。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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