福岡市営地下鉄の現状と課題(前)
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運輸評論家 堀内 重人
福岡市の鉄道はJR、西鉄、地下鉄の3路線が担っているが、人口160万人を擁する日本有数の大都市にしては不足している感が否めない。地下鉄がもう2、3路線必要であるように思われるが、建設には莫大な費用と時間を要するうえ、需要が少ない地域では、費用対効果の観点から七隈線のようなリニア駆動のミニ地下鉄でも導入は難しい。そこで注目したいのが、建設費が安く工期が短いLRT(Light Rail transport)である。近年の軌道法の改正により、福岡市が建設を行い西鉄が運営するという「公設民営」による整備が可能となった。本稿では、地下鉄では採算性に問題の残る地域や補完輸送の手段として、このLRTの整備も視野に入れて考察する。
福岡市交通局の誕生
福岡市交通局は、福岡市で地下鉄が建設された際に発足した組織である。地下鉄開業以前は、福岡市内のバス事業や市内の中心部を走る路面電車を西鉄が運営していた。
福岡市における地下鉄建設の構想は、1961年に策定された「福岡市総合計画‐基本計画‐1960」に始まった。その後、1971年に都市交通対策特別委員会が福岡市議会に設置され、同委員会が73年、「高速鉄道建設に伴う経営(建設)主体については、他の大都市と同様に都市交通機関が担う公共性・社会性と、高速鉄道建設に関する現行の国の補助制度などを勘案すると、福岡市が経営(建設)主体となることが適当である」と決定した。
その背景には、莫大な初期投資を必要とする地下鉄の建設を一民間企業である西鉄が単独で行い、かつ運営して建設費を償還することは非常に困難であったことがあると、筆者は考える。
福岡市交通局は当初、雇用の受け皿として、西鉄福岡市内線の廃止で余剰になった西鉄の職員を採用していた。そうした経緯もあり、福岡市交通局はバス事業をもったことのない日本で唯一の公営交通事業者となっている。
福岡市の地下鉄の歴史
1973年12月22日、福岡市議会において、福岡市が高速交通事業(地下鉄事業)を行うことが議決承認された。1974年8月22日には、姪浜~博多間の1号線(以下、空港線)および中洲川端~貝塚間の2号線(以下、箱崎線)について、当時の運輸省が地方鉄道の免許を与えた。こうして1975年11月12日、地下鉄の建設が開始された。
着工から約6年後の1981年7月26日、空港線が室見~天神間で開業した。1982年4月20日には空港線の天神~中洲川端間が延伸開業。同時に箱崎線の中洲川端~呉服町間が新規開業する。
1983年3月22日には空港線の姪浜~室見間および中洲川端~博多(当時は仮駅で、現在の博多駅は1985年3月3日に開業)間が開業すると同時に、当時の国鉄筑肥線の姪浜~西唐津間が直流1,500Vで電化され、福岡市営地下鉄は国鉄との相互直通運転を開始。利便性が一気に向上する(写真1)。
翌1984年1月20日にはATO(Automatic Train Operation)によるワンマン運転が開始された。同年4月27日に箱崎線の呉服町~馬出九大病院前間が、1986年1月31日に箱崎線の馬出九大病院前~箱崎九大前間が延伸開業する。さらに同年10月13日、空港線の博多~福岡空港間の免許を取得。同年11月12日には箱崎線の箱崎九大前~貝塚間が延伸開業し、箱崎線が全通した。
1993年3月3日、空港線の博多~福岡空港間が延伸開業。これにより、空港線の全通と悲願の福岡空港の乗り入れが実現した。博多~福岡空港間の免許を取得してから約6年半を要してのことだった。
1995年6月7日には、3号線(以下、七隈線)の橋本~天神南間の免許を取得し、翌1997年1月22日起工。2003年6月20日に「七隈線」の愛称が決定された。
2005年2月3日に第一期である橋本~天神南間が開業し、福岡大学や中村学園大学など、沿線にある大学へのアクセスが便利になった。七隈線はリニア駆動式の地下鉄であり、急勾配や急カーブに対応するためトンネルの断面が小さく、車両も小型である(写真2)。
2011年3月2日からは地下鉄全駅に駅のナンバリングを導入。外国人が利用する際など、駅名案内の面で利便性が向上した。そして、今年2023年3月27日、七隈線の天神南~博多間が開業し、七隈線は全通した。
(つづく)
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