2024年12月23日( 月 )

【特別対談】「見えないっていえなかった」を乗り越えて 今こそ伝える、大きな夢

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ヨットマン 岩本 光弘 氏/パラリンピアン 浦田 理恵 氏

ヨットマン 岩本 光弘 氏
パラリンピアン 浦田 理恵 氏

 ──お2人とも失明した当初は、家族にも「見えない」ことを伝えられなかったとのことですが、そのときの気持ちを教えてください。

 岩本光弘氏(以下、岩本) 私は幼年期から弱視でしたが野球をやっていました。しかしそのうち守備でゴロが取れなくなり、簡単な投球もバットで打てなくなりました。16歳で全盲になったとき、母親が白杖を私にくれましたが、私はそれを母親に投げつけ、さらに母に向かって「なして俺ば産んだとな?」と言いました。しかし、母はそれに対して何も言いませんでした。

 人生を悲観して自殺も試みましたが、橋の欄干から飛び込むことができず、一休みのためベンチで眠ったとき、私を子ども同然にかわいがっていた亡き伯父が私の夢に出てきて、「目が見えなくなったのには意味がある。健常者でも生きる目的を失っている人たちがおり、そのような人たちに勇気と希望を与えるために見えなくなったんだ」と言いました。そのときは言葉を受け入れることはできませんでしたが、その後、折につけその言葉を思い出すようになりました。

 浦田理恵氏(以下、浦田) 私は福岡で一人暮らしをして福岡教員養成所に通っていたころ、網膜色素変性症に罹り視力を失っていきました。ときどき実家の母から電話がかかってきていましたが、電話では母に目の病気のことを伝えることができませんでした。意を決して実家に帰省することにしました。大牟田駅に迎えにきた母が待っていました。私は記憶している駅の構内を手探りで壁をつたいながら母の声がする方へ向かいました。母は私が目が見えないのだということを知ると、構内で1人大泣きしました。しかし母は、ひとしきり泣くとすぐに私に向かって、「目が見えなくてもできることを一緒に探そう」と言ってくれました。

 ──その後のお2人の活動を教えてください。

 岩本 私は富士山に登頂したり、大学在学中にはアメリカのサンフランシスコ州立大学へ留学したりしました。帰国してから知り合った米国人女性と結婚したのですが、彼女がヨットの経験があり、ヨットに初めて乗りました。最初は怖かったですが、目が見えないからこそ、モーターボートのようにエンジン音がなく自然を感じることができるヨットに魅了させられました。それ以来、ヨットを続けるようになりました。

 アメリカに移住してから、雑誌でヨットを無償貸与する企画を知り、私から太平洋横断という企画を持ち込みました。それでニュースキャスターの辛坊治郎さんと太平洋横断に挑戦することになり、2013年6月16日に福島県いわき市の小名浜港から出航しました。しかし、出航して6日目にクジラと衝突してヨットを脱出し、海上自衛隊に救助されました。その際、マスコミから厳しいバッシングを受けて、しばらくうつ状態にもなりました。

 その後、日本在住のアメリカ人、ダグラス・スミス氏(愛称、ダグ)に誘われ今度はアメリカから日本へ太平洋横断に挑戦しました。19年2月にアメリカを出航し、55日をかけ、福島県の小名浜港に着きました。港に接岸するとき、船のロープを母親に取ってもらった瞬間、見えなくなったとき母親に浴びせた罵声とともに深く刻まれた心の傷がゆっくりなくなっていくのを感じることができました。その母も21年に亡くなりました。

 浦田 私は04年アテネパラリンピックのゴールボール日本チームが銅メダルを取ったというニュースを聞いて感動し、ゴールボールの道を歩み始めました。ゴールボールは鈴の入ったボールを使って行うチーム競技です。仲間や応援してくれる人々に支えられて、パラリンピックに4回出場し、12年のロンドンパラリンピックで金メダル、21年に開催された東京パラリンピックで銅メダルを獲得しました。現在は引退し、後輩の育成サポートや競技普及講演活動などを行っています。

コミュニケーションは自ら声を出して
そして積極的に相手の心に寄り添って

 ──ゴールボールを通して学ばれたコミュニケーションの大切さについて教えてください。

 浦田 私たちは目が見えないため、表情やアイコンタクトでお互いの意思を伝えたり読み取ったりすることはできません。ですから、自分から積極的に相手に伝えること、そして相手の状況に何より気遣うことがコミュニケーションにおいてとても重要です。ゴールボールではパスの際に、ボールの鈴の音が重要な情報源です。パスの受け手は鈴の音だけが頼りです。パスの出し手は、相手の心に寄り添いながら、鈴の音で受け取れるようなパスを考えます。また、パスが欲しいときは手を叩いたり声を出すなど、思いを言葉にして伝えなければパスはもらえず、パスはつながりません。

 ゴールボールでは限られた時間内でコミュニケーションを取りながらゲームを進めなければなりません。相手の状況に耳を傾け、心で寄り添いながらパスを通し、ゲームを展開します。私はゴールボールの経験を通じて、まず自分から適切で配慮のあるコミュニケーションを行うこと、そうすればそれが自分にも返ってきて、チーム全体にそのようなコミュニケーションが生まれることを学びました。

 岩本 ヨットでもコミュニケーションは大切ですよ。相棒のダグはヨットの経験がまったくなくて、彼が私に太平洋横断をもちかけてきたときは、「ヨットの経験なし」と聞いて、「冗談きついぜ」と思ったくらいです。実際、太平洋横断を始めると、彼は少し練習したといっても経験が浅いですから、海が荒れたりすると恐怖から怒鳴り散らすようなコミュニケーションになるんです。それに対して私がさらに怒りをぶつければますます状況は悪化するだけですから、そういうとき私は引いて、彼の立場になって考え行動することにしました。

 すると私も、彼が怒っていても心のなかでは私と協力したい気持ちをもっていることが理解できるようになり、彼の精神的なサポート役になれるよう努めました。すると彼も次第にリラックスして、怒りもひき、冗談をいえるほどになって、不安が和らいでいくのがわかりました。

 たとえば、帆を下ろす必要があるとき、経験がある私はこうすれば一番手っ取り早いとわかるのですが、しかしダグと協力できなくてはうまくいきません。私は自分の考える方法よりも、まず彼が危険にならないようにロープを調整し、彼の意図や欲求を理解しながら、行動を組み立てました。すると、それが結果として一番うまくいくんです。

誰もが失敗を恐れる
けど今の失敗は未来の成功のためにある

 ──岩本さんは、1度目の太平洋横断で失敗されたとき、大バッシングを受けましたね。そこからもう一度、挑戦して成功されました。

 岩本 目が見えないのに危険な冒険をするなと言われたり、救助活動で税金を無駄遣いしたと批判されたりしました。これらのバッシングにより、私はうつ状態になりました。しかし、絶望のなかで私は母や伯父の言葉、またバッシングの言葉の陰で多くの励ましの言葉があることを知りました。絶望に囚われていると、絶望を強化する言葉ばかりがチラつくようになるんです。

 しかし、「見えなくなったことには意味がある」と思えるようになったことを思い出し、「クジラがぶつかってきたことには何の意味があるのだろう」と考えるようになりました。そこで得た回答が、将来の成功を100倍にも100万倍にもしてくれるためにクジラがぶつかってくれたんだというものでした。

 浦田 私も目が悪くなり始めたとき、自分の状況を誰にもいえませんでした。失敗を恐れていて、自分がほかの人よりも劣っていると感じ、周囲に馬鹿にされるのではないかと心配していたんです。私が自分の失明を受け入れることができないように、周囲にも受け入れてもらえないと思っていました。しかし、両親や友人たちのサポートを受けながら、自分自身を受け入れる勇気を出すことができました。そして自分のことを思い切って伝えたとき、私は受け入れられたことに安心しました。

 失敗することは怖いですが、それでもチャレンジしなければ成長できません。逃げずに行動することで、エネルギーが湧いてきて、自分の居場所をつくることができます。今できることに全力を注ぐことで人生を楽しむことができると、目が見えなくなった経験から学びました。

 岩本 しかし、一度確信しても、また不安は何度もよみがえってくるんです。2度目の航海のとき、海が荒れて心細くなると、また、「ほらほら、やっぱりお前はまた失敗するぞ。だから挑戦しなければよかったんだ。またバッシングを受けるぞ」っていう言葉が頭のなかにチラつくんですよね。そのときもう一度考える。「大海原のど真ん中でわざわざクジラがぶつかってくれたのは、次の成功を100万倍にするためだったじゃないか!」って。すると気持ちが奮い立つ。苦しい時にはその先にある感動をイメージしながら乗り切っていきました。実際、太平洋横断を成し遂げたときは100万倍の感動がありました。

 浦田 岩本さんは失敗に意味付けする天才ですね。失敗するとたしかにへこむけど、何でこれが起きたのかなということに目を向けると、どんなことにでもプラスのエネルギーを見出せる。

 岩本 浦田さんの世界は競技ですから、エネルギーの見つけ方が少し違いますよね。

 浦田 チームスポーツであるゴールボールで勝つためには、まず仲間に対しても勝ち抜かねばなりません。ですから、代表選手になるためにとても苦悩しました。トップ選手になるには、自分自身に向き合う心の強さだけではなく、相手の心に合わせた対応力や柔軟性が重要です。過去のパラリンピックでの日本チームのメダル獲得に感動し、今度は私たちがその感動を伝えたいと強く思うことがエネルギーになりました。金メダル獲得は、自分の思いを伝える手段です。多くの人々のサポートによって感動を伝えられたことに感謝しています。そして次の世代にもそのバトンを渡したいと思っています。

 岩本 私は、荒れた海のなかで命を失っていても何らおかしくない状況下で救助されたことには意味があると考えるようになりました。その意味とは、今生かされていることに感謝することの大切さ、ここに生かされていることは奇跡だというメッセージを1人でも多くの人に伝え、ポジティブな人生を送ってもらいたいと思っています。その思いをエネルギーとして、私は「ありがたい」、その感謝と希望の言葉、「ありがとう」を世界の人に伝えたいと思っています。

 浦田 私も今、パラスポーツ選手たちが仕事と競技を両立しながら世界一を目指すことを支援する組織「シーズアスリート」に所属して活動しています。来年24年はパリ・パラリンピックが開催されます。ぜひ皆さん応援をお願いします。


<プロフィール>
岩本 光弘(いわもと・みつひろ)
1966年、熊本県生まれ。幼少期から弱視があったが、16歳で全盲となる。米国人の妻がヨット経験があったことがきっかけで2002年からヨットを始めた。13年、ニュースキャスターの辛坊治郎氏とヨットで太平洋横断に挑戦するも失敗。19年、ダグラス・スミス氏とヨットで無寄港太平洋横断に成功、視覚障がい者として世界初の快挙をなす。アメリカのカリフォルニア州在住。現在は、講演会やエグゼクティブコーチを通して経営者にコーチングを提供する。
https://hiroiwamoto.com

浦田 理恵(うらた・りえ)
1977年、熊本県生まれ。20歳のときに網膜色素変性症に罹る。徐々に視力を失い、現在は全盲。2004年アテネパラリンピック、ゴールボール競技での日本チームの銅メダルに感動し、ゴールボールを始める。日本代表メンバーとして、12年ロンドンで金メダル、21年東京で銅メダルを獲得した。同年現役を引退し、現在はゴールボール競技シニアアドバイザー。シーズアスリート所属。福岡市在住。
https://athlete.ahc-net.co.jp/csathelete/rie_urata

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