2024年09月27日( 金 )

九州中央、高千穂~高森間の鉄道建設計画の必要性(前)

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運輸評論家 堀内 重人

 かつて国鉄高千穂線と高森線を結ぶ九州横断鉄道が構想されたが、1977年2月の異常出水をともなう事故等により工事が凍結。その後、高千穂鉄道は2005年9月の台風で被災して廃線となった。熊本地震で被災した南阿蘇鉄道(旧高森線)は、本年7月15日から全線営業再開し、一部の列車はJR豊肥本線の肥後大津まで乗り入れている。今後、未開通の高森~高千穂間が開通するとすれば、熊本~宮崎間が直結して南九州地方の発展が期待できる。

高千穂鉄道の存続断念

 高千穂鉄道は、かつて宮崎県北部の工業都市である延岡駅と、神話の里である高千穂駅を結んでいた、旧国鉄の高千穂線を転換して誕生した第三セクター鉄道であった。終点の高千穂付近には、水面から線路までの高さが東洋一を誇る高千穂橋梁が存在する。また高千穂町周辺が、「神話の里」として有名であり、五ヶ瀬川の渓谷に沿った風光明媚な路線であるなど、観光資源には恵まれていた。

 そこで展望型の気動車やトロッコ風の車両を導入したり、日之影温泉駅の駅舎内に温泉施設をつくるなど、観光需要の掘り起こしにも注力していた。とくに2003年に導入された「トロッコ神楽号」は、観光客の利用が倍増する人気を博し、成功を収めた。それまで沿線の過疎化など、利用者の減少に歯止めが掛からなかったが、「トロッコ神楽号」が運行を開始した同年度は、利用者数は増加に転じた。

 だが05年9月の台風14号による集中豪雨で、川水流~上崎間にある第一五ヶ瀬川橋梁、亀ヶ崎~槇峰間にある第二五ヶ瀬川橋梁が流失するなど、全線に渡り甚大な被害を受け、運行休止となり、08年12月28日に全線が廃止された。当時の宮崎県知事であった東国原英夫氏は、高千穂鉄道は高千穂地区へ観光客を誘致するうえで不可欠と考え、個人的には復旧させたかったが、宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示した。その結果、高千穂鉄道の復旧や運行再開を断念せざるを得なくなり、全線で廃止することが決定した。07年9月6日に延岡~槇峰間が廃止、翌08年12月28日に高千穂~槇峰間も含む全線が廃止された。

高千穂あまてらす鉄道として復活を模索

高千穂あまてらす鉄道 イメージ    高千穂鉄道は廃止されたが、民間で復旧・運行再開を希望する企業・団体が現れれば、インフラの譲渡を検討すると発表していた。事実、宮崎県内外から数社が名乗りを上げた以外に、高千穂町の観光・商工関係者らが、部分的に運行を再開させるため、「神話高千穂トロッコ鉄道(現・高千穂あまてらす鉄道)」という会社を設立した。

 同社は、先ずは08年12月に廃止された日之影温泉~高千穂間で部分運行を再開して、その後日之影温泉から槇峰まで再開させるとした。将来的には、07年に廃線となった延岡までの再開を目指している。

 現在は、高千穂あまてらす鉄道が、高千穂~高千穂橋梁間で、トロッコ風の「スーパーカート」を用いて、高千穂橋梁の先の大平山トンネルの手前まで、約5.1kmで定期運行している。大平山トンネルより先の深角駅側については、日之影町と交渉中である。これは大平山トンネルが、高千穂町と日之影町に跨るからである。天岩戸駅側の60mが高千穂町であり、それ以降は日之影町の管轄となる。

 高千穂あまてらす鉄道は、鉄道ではなく、先ずは遊具として運行実績を重ねて、将来的には、第一種鉄道事業者としての「許可」の取得を目指しているという。

九州横断鉄道構想

 高千穂線の建設計画は、日清戦争の直後からあった。軍事産業路線として、熊本県と宮崎県延岡市を結ぶ九州横断鉄道敷設の話が持ち上がり、国鉄が延宇線(宇土~延岡間)を計画したり、熊本~延岡間を結ぶ鉄道敷設を目的として、熊延鉄道が設立されるなど、その気運は高まったが、実現には至らなかった。

 その後、1922年の改正鉄道敷設法により、熊本~立野~高森~高千穂~日ノ影~延岡という鉄道計画が最終案となり、同年高森線(現・南阿蘇鉄道)として、立野~高森間の工事が着手された。熊本~立野間は、豊肥本線として建設される。しかし国の財政難で工事が中断され、25年には熊本県・宮崎県・大分県の関係者による「高千穂高森間鉄道速成同盟会」が結成された。鉄道建設促進運動を起こした結果、39年までに延岡~日ノ影間(現・日之影温泉)間が開通したが、太平洋戦争の激化により、工事が中断した。

 戦後の47年に、地元で「日ノ影高森間鉄道敷設期成同盟会」が結成された。既成同盟会が、この鉄道の全線開通を国に請願したことから、鉄道審議会が日ノ影~高森間の建設を62年に決定した。66年に日本鉄道建設公団(以下:鉄建公団)が、日ノ影~高千穂間の建設に着工し、72年に完成した。残る高千穂~高森間23.0kmの工事も73年に着工して77年に完成する予定であった。

 ところが1977年2月に、掘削中の延長6,500mの高森トンネルの入口から2,050mの地点で、地下水の水脈を誤って切断したため、毎分36tの異常出水が発生した。これにより高森町内の湧水8カ所が枯れた。高森町では、約1,000戸の家庭では井戸水を使用しており、水道が断水したため生活に支障を来した。そこで鉄建公団は、トンネルからの出水をポンプで吸い上げ、町内の民家に配水する処置をしたが、被害は民家だけでなく、町内の水田約113haにもおよんだ。

(つづく)

(後)

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