2024年12月26日( 木 )

【連載】党勢拡大に貢献もせず3選を目指す野田国義参議院議員(3)

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 かつて全国最年少市長として世間の注目を集めた元八女市長・野田国義氏。小沢一郎氏の誘いを受け、2009年衆議院議員選挙で、秘書として仕えた古賀誠元自民党幹事長への刺客として立候補、比例区で復活当選した。13年に参議院議員(福岡選挙区選出)に転じ、現在に至る。衆参あわせ13年になるが、所属する政党の党勢拡大に貢献できていないどの声が聞かれる。本連載では、かつて北九州・福岡両市の首長ポストを押さえ、全国でも勢いがあった民主党(当時)が衰退した経緯およびそれに拍車をかけた野田氏の政治姿勢を問いたい。
(なお、本記事は政治メルマガの会員向けに以前に発信しているものと同じ内容のものですが、広く読者の方に読んでもらいたいとの想いから掲載しております)

市長時代も地元に恩恵はなし

野田国義参議院議員
野田 国義 参議院議員

「市長の時も、結局何もしなかった。新幹線駅(筑後船小屋駅)に反対したり、今も『一般国道3号広川八女バイパス』に反対したり、目立つことはしますが、今まで地元に何をもってきたのか。八女地域にもたらしたものはありません」

 このように語気を強めて語るのは、牛島孝之八女市議会議員。保守系議員の1人だが、11年4月の統一地方選挙で初当選以来、毎議会のたび執行部に厳しい質問をぶつけてきた。

 野田氏の八女市長の在任期間は08年9月までであり、牛島氏の市議在職期間とは被っていない。しかし、牛島氏は本業の土地家屋調査士の業務の傍ら、05年頃から市議会の傍聴を続けていた。当時から野田氏の政治姿勢に疑問を感じていたという。

 野田氏は八女市長に初当選した際は全国の最年少市長で、「八女のクリントン」ともてはやされたが、4期15年8カ月の在任中、企業誘致は進まず、人口減少や中心商店街の衰退などに歯止めをかけることができなかった。

 「野田氏は、単なる月給取り。そもそも、古賀誠先生の秘書を務めて、恩義があるにもかかわらず、自身は利権政治に対する「義憤」で行動していると、正当性を主張しています。市長時代、現職だった古賀先生通じた陳情もしていない。今となっては『失われた30年』です。八女市の自主財源比率はわずか29%です。中央とのパイプを生かして予算を確保しないと、何もできません」(牛島八女市議)。

 古賀誠氏に対する評価はひとまずおくとして、八女市のような過疎地域では、国や県の支援なしに、先日の豪雨にしてもそうだが災害復旧1つとっても進まないことは事実だ。

自ら後進に道を譲るべき

 野田氏は4月3日の参議院決算委員会において、八女郡広川町と八女市を結ぶ約11.4kmにおよぶ「一般国道3号広川八女バイパス」について、長々と質問を展開した。NHKの中継も行われ、野田氏にとってよい宣伝になったようだ。参議院議員は福岡県全域が選挙区だが、野田氏は八女市のことに固執する。地元では「また市長に返り咲きたいのでは」との噂が流れている。

 牛島氏が語った「何のために参議院議員をやっているのか?」との声は、同じ党内からも聞こえてくる。これまで述べたように、立憲民主党福岡県連の党勢拡大も一向に、進まない。自民党の後塵を拝するばかりで、政権交代など夢のまた夢である。

 自民党は各議員に新規党員1,000人獲得のノルマを課している。未達成ならば、罰金を徴収するとともに実名を公表(党員獲得上位者も公表)しているほか、次期衆院選で比例代表との重複立候補を認めない措置を取っている。自民党内からは厳しすぎるとの声もあるが、選挙戦を戦う以上、党勢拡大は至上命令である。それに比べて、大半の野党はぬるま湯に浸かっており、支持率も伸びない。とくに野党第一党である立憲民主党の責任は重い。

 「悪夢の民主党政権」と繰り返し述べていた安倍晋三元首相はもうこの世にいない。高い志をもつ人が立ち上がれば、停滞した政治も変わる。野田氏はいつまで議員の座にしがみつくのか。自ら後進に道を譲るべきである。

(つづく)

【近藤 将勝】

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