【連載】党勢拡大に貢献もせず3選を目指す野田国義参議院議員(7)
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かつて全国最年少市長として世間の注目を集めた元八女市長・野田国義氏。小沢一郎氏の誘いを受け、2009年衆議院議員選挙で、秘書として仕えた古賀誠元自民党幹事長への刺客として立候補、比例区で復活当選した。13年に参議院議員(福岡選挙区選出)に転じ、現在に至る。衆参あわせ13年になるが、所属する政党の党勢拡大に貢献できていないどの声が聞かれる。本連載では、かつて北九州・福岡両市の首長ポストを押さえ、全国でも勢いがあった民主党(当時)が衰退した経緯およびそれに拍車をかけた野田氏の政治姿勢を問いたい。
(なお、本記事は政治メルマガの会員向けに以前に発信しているものと同じ内容のものですが、広く読者の方に読んでもらいたいとの想いから掲載しております)裏切りの連続
これまで5回にわたって、野田氏の政治姿勢を問う連載を書いてきたが、取材していくなかで、野田氏に対する多くの人たちの評価は「裏切った」という言葉に収斂される。古賀誠元自民党幹事長の秘書から始まり、古賀氏の反対を押し切って八女市長に立候補し、当選4期を重ねたが、八女市の経済浮揚にはつながらなかったという声が少なからず聞かれた。
小沢一郎氏の誘いで民主党から衆議院総選挙に出たが、政治の師であるはずの古賀氏と戦い、結果、敗北した。比例で選出されたが、民主党県連会長を務めた際に公募に応じ、参議院へと転じた。旧民主党から、民進党、立憲民主党(以下、立憲)と渡り歩いた。自分の次は、妻を県議に送り込んだ。世渡りは上手かもしれないが、それまで支援した人をないがしろにしてきたことは否めない。
(1)で紹介した八女市の隣の筑後市在住で、元ゼンセン同盟(UAゼンセン)の幹部である田中良一氏は、「二度と俺の前に姿を見せるな」と野田と野田の秘書に申し渡したと、激しい剣幕で語った。立憲に移籍した際に相談もなかったことなどを理由に挙げた。
現在も、立憲と国民民主党(以下、国民)は、1つの塊をつくれず、福岡県内の選挙区調整も進んでいない。理由の1つとして、支持団体の連合に加盟する産業別労働組合のなかで考え方に開きがあるとの指摘がある。田中氏は現在もゼンセン県支部に強い影響力があり、野田氏との確執が両党の関係に微妙な影を落としていることは間違いない。
政治の師からの忠告
なにより重要なのは秘書を務めた古賀氏との関係である。統一地方選前の2月26日、八女市内で開催された栗原悠次県議(緑友会)の県政報告会においてこんな一幕があった。
最高顧問として出席した古賀氏が、「私の秘書として働いた人が、八女をぐちゃぐちゃにしている」と強い口調で非難したのである。非難のなかにも、どことなく情を感じた。
古賀氏が引退後も自身の議員時代の選挙区に大きな影響力を行使していることへの賛否はあるが、地元に道路整備をはじめ恩恵をもたらしたことは疑う余地はない。野田氏はどうだろうか。国会議員に転じた後、政権批判の威勢は良いが、住民・国民のために具体的に何かを行ったことはあるのか。
それが(2)から(5)で紹介してきた同じ党内からの批判の声である。6月の立憲県連の常任幹事会では、県連幹部の1人でもある原中誠志県議会議員が「党勢拡大が進まないなら貴方がたが自ら衆議院選挙に出るべき」と主張した。貴方がたとは、野田氏と、同じく参議院議員の古賀之士氏のことである。
党勢拡大が進まず、いつ解散・総選挙が行われるかわからないなか、11選挙区のうち、3選挙区しか候補者が決まっていないことに、原中氏だけでなく、少なくない立憲県連の幹部や支持者、そしてOBが危機感を抱いている(9月5日初出時の情報)。
参議院議員は、衆議院議員と異なり解散がない。6年間と時間がたっぷりある。そのぬるま湯に浸かっているようでは、九州随一の人口を誇り、かつては旧社会党が力を有し野党が強いはずの福岡が、今後も自民党一強のままであり続けるだろう。
速やかに野田氏は退場を決断すべきである。
(了)
【近藤 将勝】
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