2024年11月24日( 日 )

高山博光福岡市議が親子で登場!「タモリと戦後ニッポン」~勤め先は中洲

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福岡時代の 恩人・高山父子

タモリ氏が働いた店があった中洲5丁目<

タモリ氏が働いた店があった中洲5丁目

 今年8月、戦後70年の年に古希を迎えたタモリ氏の足跡を戦後日本の変遷に重ねた、近藤正高氏の著書「タモリと戦後ニッポン」が講談社現代新書から出版された。同書は、福岡市議会議員(城南区)を9期務めている高山博光氏と、その父・高山三夫氏との深い関係をはじめ、これまで明らかにされてこなかった福岡時代のエピソードが紹介されており、地元・福岡で話題を集めている。

 本書によると、高山父子とタモリ氏は、早稲田大学の先輩・後輩(3学年上の先輩が博光氏)。高山三夫氏は、タモリ氏の結婚式では媒酌人を務め、また、大分県日田市で新たにできたボウリング場の仕事(メカニック主任)を紹介したという。

 一方、大学の三年先輩である博光氏はタモリ氏を、歓楽街・中洲の那珂川沿いに開業した立体駐車場1階のフルーツパーラーのバーテンダーに抜擢。本書のなかで、タモリ氏が、客を楽しませるお笑いと、車の不具合を修理する機械いじりの才能も発揮して店が大いに繁盛した思い出を語っている。

伝説になったタモリ流の恩返し

 「船出を前にひたすら蓄積を続けた時代」(本書より引用)。その蓄積が、芸能界における活躍に大きく貢献したという意味だ。故郷・福岡の恩人とタモリ氏の関係は、その後も続いた。本書では触れられていないが、博光氏が政治を志し、福岡市議選に立候補した際には応援に駆け付けた。これまで政治との接点が、あまり語られていないタモリ氏にとっては珍しい話だろう。

 さらに高山市議の2期目の再選を目指した選挙では、売れて忙しくなったタモリ氏が、自分の代理に、後のビッグスターを応援に派遣したという『伝説』が生まれた。「タモリじゃなければ来んでいいと断っていましたが、『そんなわけにはいかない』と。ある日、選挙活動を終えて、事務所に帰ってくるとものすごい人だかりができていまして、なかに入れない。その人ごみをかき分けて入ると、そこにいたのが所ジョージさんでした」(高山市議)。芸能界で人望が厚いと言われるタモリ氏だが、その義理固い人柄を伝えるエピソードでもある。

 日本お笑い界のビッグ3と称され、多くの日本人がテレビで頻繁に見かけることで身近に感じてきたタモリ氏。本書は、その「タモリ」というフィルターを通すことで、戦後日本を身近に感じることができる一冊となっている。福岡のファンでなくても、ぜひ、手にとっていただきたい。

【山下 康太】

 

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