経済小説『落日』(56)衝撃3
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谺 丈二 著
会館とは朱雀や労組が組合の収益事業と社員の福利厚生を兼ねて建設した会議場や結婚式場、レストランなどを併設した総合施設だった。組合員だけでなく、一般の顧客も対象にしている。
完成後、朱雀屋労組の旧執行部の少なくない人間が原田の取締役就任と同時に、会館に経営陣として転籍していた。その建設と運営を組合幹部が食い物にしているかもしれないというのである。直接関係はないものの、大川は少なからず狼狽した。悪事を疑われる行為を働いたのが、自分たち現執行部ではないものの、一般の社員から見れば組合の系譜は誕生から今日まで、連綿とつながっている。このことが公になれば組合員である社員だけでなく、社会的にも大きな問題になりかねない。いくら現執行部が自分たちは関係ないといっても、それは何の言い訳にもならない。大川は暗澹たる気持ちで河田の部屋を出た。
「何か手を考えないと万事休すだ」
朱雀屋本部五階にある組合事務所のドアを押す大川は苦り切った気持ちのなかにいた。もはや組合は生殺与奪の権を井坂に完全に握られたのも同然だった。
朱雀屋労働組合の幹部専従者も会社の成長とともに専門職化していた。今では以前のように専従1期か2期で店に戻るというかたちはほとんどなくなっている。一番若い人間でも、店を離れてすでに5年以上経っていた。そんな組合幹部の次のステージは総務や人事系の役員になるか、関連会社に天下るかしかない。しかし、いずれにしてもその権限は井坂が握っていた。今回の件はその井坂がさらなる切り札を手に入れたということになる。大川にとってはまさに容易ならぬ事態だった。
「あなた方は労働貴族ですからなあ」
大川は初めての団体交渉の場で、嫌味な笑いとともに井坂が口にした言葉を思い出していた。経営不振の一端は社員にもあるとそのとき、井坂ははっきり口にした。
創業者朱雀の口からは絶対に出てこない言葉だった。いくら労使対等といっても創業者にとって社員は子ども同然、業績の結果はすべて親である経営者にある、というのが朱雀の考え方だった。労使の対立は少なくなかったが、いざという時には必ずその言葉が朱雀の口をついた。
朱雀が表舞台から去り、井坂がそれに変わったとき大川はこれでやっと労使が対等になると本気で思った。労働貴族という侮蔑的な言葉を聞きながらもそのとき、大川は不快よりむしろ好感をもったものだ。
大川はこの緊急事態をまず島田に話した。
「はあ?」
島田はあっけにとられたように大きく口を開けた。
「状況証拠だけで見ると限りなく黒に見えるね」
「で、どうするんですか」
「事実がどうであれ、もしこれが公になればただでは済まんだろうね。社員から見れば組合は新、旧一蓮托生、下手すると第2組合だって出来かねんからね。そんなことになれば社内、社外共に信用失墜だ。おそらく会社はもたんだろう」大川の言葉に島田は大きくため息をついた。
「とにかくこの件は極秘だ。会長には話さざるを得ないだろうが…」
(つづく)
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