傲慢経営者列伝(2)三菱グループ「御三家」の面々(1)
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「オワコン」というネット用語がある。終わったコンテンツという意味。戦後の高度成長期に発展を遂げ、昭和の豊かで文化的な暮らしを象徴した「百貨店」「ビール」「雑誌」「テレビ」。バブル景気が崩壊し、インターネットの普及で人々の生活様式が変わったにもかかわらず、過去の栄光にすがり続けた結果、オワコンの危機に瀕している。企業もまたしかり。国内最大の企業グループである三菱グループも「スリーダイヤ」ブランドが“オワコン化”した。
旧三菱航空機が特別清算申し立て
三菱重工業は7月4日、MSJ資産管理が東京地裁に特別清算を申し立てたと発表した。MSJ資産管理はジェット旅客機「三菱スペースジェット」(MSJ、旧MRJ)の開発を手がけた三菱航空機の後継会社。3月末で解散し清算手続きを進めていた。負債総額は約6,413億円(3月31日現在)。親会社の三菱重工業は負債を特別損失としてすでに計上済みで業績への影響は軽微としている。
国産初となるジェット旅客機の失敗は、「失われた30年」を象徴する出来事であった。なぜ失敗に終わったのか。そこには「天下の三菱なら何でもやれる」という経営者の思い上がり、傲慢さがあった。
1兆円もつぎ込んだ挙句、1機も飛ばせなかったのに、三菱重工の歴代トップは誰1人として経営責任を取らない。これほどのモラルハザードはない。
部品メーカーの三菱重工には
完成機のノウハウがなかった三菱重工業がスペースジェット(旧・MRJ)の開発に着手したのは2008年。経済産業省が音頭を取り、官民で「日の丸ジェット」を実現しようと意気込んだ。国産旅客機 「YS11」の生産が1973年に終了して以来、完成機メーカーがなく、国内の航空機産業の構造を変革する挑戦であった。
三菱重工は佃和夫氏が12代社長のときの2003年に経済産業省の助成事業に採択され「国産ジェット」の研究開発に着手。経産省は空力設計や先進操縦システムの開発のために約500億円の補助金を拠出した。
08年に開発子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)を設立し、本格的な開発に乗り出した。その年に13代社長に就任した大宮英明氏がMRJ開発の重責を担う。
だが、出足からつまずいた。三菱重工は民間機事業を手がけていたが、米ボーイングなどに納入する航空部品が主力だ。完成機の組み立ては部品製造とは別物。約100万点にもおよぶ部品の調達や工程管理は、部品メーカーの発想では限界があった。三菱重工は完成機メーカーとしてのノウハウが不足しており、これが失敗を招いた。
外国人技術者を大量に採用し、
日本人技術者とあつれき三菱重工は13年の初号機納入を目指したが、設計変更などで納入延期を繰り返した。歴代社長は技術系の指定席だったが、13年に事務系から14代社長に就任した宮永俊一氏は、17年の5度目の延期後、自社開発を断念。
着手から10年が経過した18年、カナダの航空機大手などから、外国人技術者を大幅に増やした。事務系社長・宮永氏は、独善的だった航空機部門の根城である名古屋の“開城”を試みた。
だが、外国の人材が膨らむにつれて「主流派」から転落した日本人技術者との軋轢は深まった。開発現場は混乱し、配線や計器類などの設計変更の問題はやまない。
当初1,500億円としていた開発費は
1兆円に膨らんだ名古屋派は巻き返しに出た。19年4月、政変が起きた。宮永氏は会長に退き、泉澤清次氏が15代社長に就任した。泉澤社長は、「カネ喰い虫」の航空事業の凍結に経営の舵を切る。
商業運航に必要な認証の「型式証明」を取得できていない。すでに6度も開発期限の延期を余儀なくされた。そのため、当初1,500億円としていた開発費は1兆円規模に膨らんだ。
事業を担う三菱航空機が公表した第13期決算公告によると、20年3月期の売上高は68億円、最終損益は5,269億円の赤字で、4,646億円の債務超過に陥った。
三菱航空機は18年12月に、三菱重工から増資引き受けなど総額2,200億円の金融支援を受け、19年3月期に債務超過を解消した。しかし、わずか1年で債務超過に転落した。
誰も責任を取らない「無責任体制」
三菱重工は航空機事業を成長事業と位置付け、火力発電設備などで稼いだ資金をつぎ込んできた。債務超過を解消するには、債務超過を上回る増資などの金融支援が必要になる。下手をすると、エンドレスに資金を注ぎ込むことになりかねない。三菱重工本体の屋台骨を揺るがしかねない事態だ。
三菱重工業は20年10月30日、ジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ、旧MRJ)」の開発を凍結したことを正式に発表。23年に開発中止、会社の清算を決めた。
政府が全面的に支援を行い、1兆円以上の費用を投じた初の国産ジェット旅客機開発の巨大プロジェクトは、一機も納入することなく、挫折した。
三菱スペースジェットに関わった、佃和夫氏、大宮英明氏、宮永俊一氏、泉澤清次氏ら歴代“A級戦犯”トップの責任は不問に付された。これほどのモラルハザードはない。
大型客船事業の二の舞になった
航空機事業は大型客船事業とまるっきり同じ経緯をたどっている。三菱重工は11年、客船世界最大手カーニバル傘下のアイーダ・クルーズから大型客船2隻を受注した。だが、設計変更などにより納期遅れを繰り返した。受注金額1,000億円に対し、累計で2,500億円超の損失を出して結局、大型客船事業からの撤退に追い込まれた。
航空機の部品メーカーから完成機メーカーへのステップアップを目指した航空機事業は大型客船の二の舞になった。航空機と大型客船の納入延期を繰り返した組織的欠陥は相似形である。
次回は三菱グループの組織的欠陥を検証する。
(つづく)
【森村和男】
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