小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(17)クック(料理人)になる
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アメリカに渡って最初に通った英語学校の寮の食事に、ジョージ君は不満はなかった。ストックトンに移った後のアパートでの1カ月は、野菜炒めしか食べていなかったような気がする。安いハンバーガー用のミンチ・ミートとキャベツ、ホウレンソウ、白菜、玉ねぎなど、野菜は変わったが、肉は一貫してハンバーガーミンチのみであった。
日本にいたころに会社の近くや葉山マリーナで食べたケンタッキー・フライド・チキンの味が忘れられず、時々、ケンタッキーのチキンを食べるのを楽しみにしていた。マクドナルドも近くにあったが、金がかかるので行かなかった。
やがてジョージ君はホームステイをするが、ホスト・マザーのベティーがつくる食事は、毎日、肉料理であった。牛肉のステーキ、鶏肉、羊肉、豚肉、ハム、時には七面鳥、子ブタのアバラ肉。とにかく主食が肉であり、付き出しがパンであったような気がする。野菜サラダも必ず付いた。
基本的にベティーのつくる食事は肉の塊、要するにステーキやハムに塩とコショウで味付けをしてオーブンで焼くという、ごく単純な料理であった。時々、イタリアンのラザニアをつくったが、日本のように多様なおかずはまったくなかった。パンを主食、肉をおかずと考えると、おかずは毎日1品だけである。なんと貧しい食事かと、逆に感心するばかりであった。
外食は2週間に1度くらいのペース。1970年代後半は、まだまだ外食が頻繁ではなかった。ジョージ君は外食があまり好きではなかった。残った食事は必ず持って帰り、それがなくなるまで毎日テーブルに並んだからだ。彼らは残り物がどんなにわずかでも持ち帰った。Doggy Bag(ドギー・バッグ=犬のための袋)と呼び、その残り物を家で食べるのである。ジョージ君は一度冷めたピザやパスタ、ハンバーガーなど、とても食べる気はしなかった。最初はなんてケチな人々なんだ、と思った。しかし、たとえ大富豪でも食べ物を無駄にしないのだとわかったとき、ジョージ君は彼らの合理的精神に感心し、日本の無駄を思った。
中華にも時々連れて行ってくれたが、開店したばかりのストックトン初の日本食レストラン「YONEDA」に行くことはなかった。ベティーは強調した。「自分たちの子どもの世代は知らないが、私が生きている限り、日本食レストランに行くことはない。もちろん、日本人の下で働くことも永遠にない」と目を剥いて言った。日本食は下層階級の食べ物だと言わんばかりであった。まだまだ、日本人蔑視の気持ちが彼女には強かった。これは彼女の育った環境と時代のせいであったので、ジョージ君はとくに彼女を責める気持ちはなかった。ただ、事実として受け止めた。
ジョージ君は中華レストランでアルバイトをして米の飯を食べていたので、ベティーの食事にとくに期待することはなく、不満もなかったが、日本食だけは食べたかった。とくにラーメンが食いたかった。ラーメンとカレーはいずれも外国が発祥にもかかわらず、無性に食べたくなる。日本人にとって不思議な国民食のように思えた。
ある晩、インスタント・ラーメンが無性に食べたくなった。その気持ちを抑えきれない。ラーメンを食べられないことが、ジョージ君のアメリカ生活、最大の不幸にも思えた。深夜に起きて台所に行った。お湯を沸かし、インスタント・ラーメンを鍋に投げ入れた。泡が立ち、袋から具やスープの素を流し込んだ。香ばしい匂いが深夜の台所に広がった。生卵を1個入れた。独身男の至福の一瞬でもあった。次第に顔がほころび始めた。ドンブリがないのでサラダ・ボールに移し、食べはじめた。舌が鳴った。満足感と愉快な気持ちが心に広がっていった。
深夜の階段から人の足跡が聞こえてきた。幽霊ではない。ベティーだった。
「ジョージ、何をしているの?」
「ラーメン・ヌードルを食べている」
「お腹がすいているの?」
「いや、腹は減ってはいないが、ヌードルが食べたかったんだ」
「ああ、そう。要するにジョージは私のつくる食事に不満なのね。わかったわ。これから夕食はジョージにつくってもらうことにする。明日、ミスター・ハイドンと相談をしましょう」ジョージ君に弁解の余地は与えられなかった。彼女は怒っていた。至福の時が一瞬にして惨めなときに変わった。ホームステイはなかなか難しい。100%の自由はないことを改めて思い知った。
翌日、夕食のときにベティーが口を開いた。
「ジョージは私の食事に不満のようなの。だから、毎週金曜日は彼が夕食をつくることを提案するわ」
ハイドン氏は大喜びだった。「それは良い考えだ。ジョージにやってもらおう」。子どもたちも喜んだ。あまりにも皆が喜ぶので、ベティーは自分の料理は人気がないと知り、完全に不機嫌になった。ジョージ君は、たかだかラーメンをつくって食べたことがこのような問題を引き起こしたことに理不尽さを感じていたが、もう引き返せない。
やがて金曜日がきた。「トウフ屋」と呼ばれる日本食料品店で、すき焼き肉や豆腐、こんにゃくなど、家族9名分の大量の食材を自腹を切って買って帰った。48ドルかかった。野菜、豆腐、こんにゃく、タケノコなど、さまざまな野菜をきれいに切って、大きな皿に並べた。それだけで子どもたちが集まってきた。
「Neat(上手だね)! すごいぞ、整然と切られている。美味しそうだ」
ハイドン氏も台所にやってきた。本当にうれしそうに、「ジョージは我が家のクック(料理人)に昇格だ」。上機嫌で、子どものようにハミングまで始まった。誰もが食事を楽しみにしていた。
さて、これが正真正銘、彼らが人生で初めて食べる日本食、すき焼きである。最初に末娘のアンネが薄い肉をフォークで持ち上げ、「これはナーニ?」。
「牛肉だ、口に入れなさい」とジョージ君は叫んだ。
「おいしい、ママ、パパ! こんな柔らかくておいしい牛肉は初めて!」
その後、肉を求めて家族9名が、鍋に箸やフォークなどを突っこんだ。豆腐を初めて食べる人が多かった。当然、こんにゃくも初めて。竹の子も、「バンブーを食べるのか?」と言って不思議そうに眺めながらも、食べてくれた。「竹の子とこんにゃくは繊維質が多いので腸がきれいになり、がんの予防になる」と言うと、冷ややかな目で見ていたベティーもやがて食べ始めた。ひとつも残さず、すべて平らげた。肉がまだまだ足りない。ハイドン氏は「もっと肉を買って来い」と言ったが、ジョージ君は「店は閉まっている」と答え、それは逃れることができた。
9名の一家団欒を久しぶりに取り戻し、賑やかにすき焼きパーティーは終わった。ハイドン氏は上機嫌だった。毎晩でもジョージ君の食事が食べたいとまで言った。皆があまりにも喜ぶのでベティーは自尊心が傷つけられ、大きな不満があったようだが、それでもジョージに御世辞を言った。「ミスター・ハイドンは喜んでいるわ。来週は何をつくってくれるの? 私も楽しみ」。彼女は金曜日に夕食をつくる必要がないことを考え、心のなかで高笑いしたように思えた。ジョージ君にとっては、ハイドン氏と子ども達が喜んでくれたことが素直にうれしかった。
次の週は、日本でもつくったことのないてんぷらに挑戦した。たくさんの海老とさつま芋を買った。ところが油の温度調整がわからず、日本人としては完全な失敗作だった。てんぷらは素人には難しかった。それでも、ハイドン氏は喜んで食べた。3回目は肉をふんだんに使った野菜炒めに、焼き飯と、みそスープをつくった。これには自信があった。案の上、家族全員が満足した。
しかし、4回目はなかった。ジョージ君は4回目の夕食をつくるのを拒否した。それまで立て替えた合計150ドルあまりが、ベティーから返金されていなかったのだ。食住をお世話になっている人に、お金の請求などなかなかできなかった。ジョージ君にとって150ドルは大きな負担になっていた。これ以上の出費はもう無理だった。
ベティーとの約束では、ジョージ君が立て替えてベティーが後で支払うことになっていたのだが、ジョージ君の方からお金の請求は決して口にしなかった。4回目の食事をつくることを拒否すると、ベティーはしつこくジョージ君の部屋に来た。
「どうしてつくらないの? ミスター・ハイドンはとても楽しみにしているのに」。しかしベティーは、ジョージ君が食事をつくりたくない理由を知っていた。「あなたが立て替えたお金を私が支払っていないから、食事をつくらないのね」。そこまでわかっているなら早く払えばいいのに……とジョージは思った。ベティーは言った、「アメリカでは、自分で請求しなければ誰も支払ってくれないのよ。請求しないあなたが悪いのよ」。彼女はここまで言っても、金額さえ聞こうともしなかった。
日本人には自己主張が求められている。それはわかった。でも自己主張の程度がわからなかった。もうひとつ気になったことがある。ここでジョージ君が金額を知らせて、その返金を要求すれば、毎週金曜日の夕食はジョージ君がつくることが定着してしまう。返金してくれないことが食事づくりを断る最大の口実に思えた。返金を要求することは藪蛇になる。ジョージ君は返金の話題は意識して避けた。その弱気な心に、忘れていた山陰人を思い出した。ジョージ君の故郷・松江の人は、正面からの議論を好まなかった。黙殺が得意だった。弱気になると、否定して生きてきた山陰人の習性がひょっこりと出てくる。
ベティーとジョージ君の間に、一瞬、気まずい空気が流れた。本当はきちんと話を付けないといけないと思った。ジョージ君は、ベティーの家のホームステイにも、食事をつくることにも、すっかり疲れ果てていた。自由になりたかった。今考えてみれば、家庭に他人を入れ、家族9名とジョージ君のために食事をつくってくれていたベティーに、もっと感謝と同情をすべきであったかもしれない。彼らは本当にジョージ君に良くしてくれた。たとえ人種偏見があったとしても、それはジョージ君の心のもちようで解決できる。ジョージ君にこそ、オープンな気持ちが求められているように思えた。
(つづく)
【浅野秀二】
<プロフィール>
浅野秀二(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。関連キーワード
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