2024年08月20日( 火 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(32)2度目のホームステイ

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 あれほどホームステイは2度としないと誓っていたジョージ君だったが、とくに決まった仕事もなく、ガードマンとして住むだけで、現金500ドルをもらえるという魅力には勝てなかった。いや、大学を卒業するにはもうそれしかないと思えた。

 男手がいないので用心棒を必要としているのは間違いない。用心棒というなら、ジョージ君は多少、腕には自信があった。それより、元モデルで独身の女社長にも興味を引かれた。七尾美がいるので、その気持ちは封印したが…。

 とりあえず、次の日曜日にストックトンに行き、七尾美の取っているクラスの教授の家を訪問した。教授のワイフが、女社長の妹だった。妹の話では、「大富豪のお姉さまは会社の社長で出張ばかりなので、大きな屋敷に1人娘を残していて不安である。誰かすぐにでも彼女の家に住んで欲しい」ということだった。ちなみに一家はルーマニア人だそうだ。

 ジョージ君はその足で彼女の家に行くことにした。ストックトンから約3時間の距離だった。ところがそこは森の中、なかなか家が見つからない。当時は携帯もなかったので、何度も公衆電話から彼女の家に電話を掛けたが、ついに見つからなかった。

 そこで、近くのスーパーマーケット「セイフウェイ」で待ち合わせをすることにした。しばらくして、ゴールドの新車のリンカーンがきた。当時の金持ちは、ドイツのベンツやBMWよりも、キャデラックやリンカーンに乗っている人が多かった。

 ジョージ君は胸を躍らせた。いつの間にか、お見合いのような気持ちになっていた自分がおかしかった。使用人として品定めをされるのはジョージ君なのに、元モデルの彼女を品定めしようとしている不遜なジョージ君であった。

 車の外から見ても、彼女の容姿はよく見えない。髪は金髪だ。すごく洒落た美人にも見えた?いや、そのように想像することにした。とりあえず、ジョージ君は「合格だ」と叫んだ。彼女は親指を立て、手前に振った。「ついて来い」という合図である。

 ジョージ君の白い大型車、ギャラクシーは薄汚れていた。分不相応な邸宅の庭にボロ車は吸い込まれるように入った。丘陵地帯の中腹に真っ白なお屋敷がみえてきた。ストックトンで見た富豪の家とは、その洗練度がまた違っていた。ゲートがあり、そこから家まで、さらに75mほどあった。

 彼女はキャサリン・テイラーと名乗った。自分をミセス・キャサリンか、ミセス・テイラーと呼べと言った。どうもファースト・ネームで呼び合うような、フレンドリーな関係を望んでいないことは、はっきりと理解できた。これは使用人と雇用者の関係だ。当然である。

 まだ会社の同期の給与は8万5,000円程度の時代に、ジョージ君の給与は500ドル×230円=11万5,000円にもなるのである。その上、食事・部屋付きだった。

    ジョージ君は薄汚れた服を着ていたが、地味で無口な日本人を想像していたキャサリンは、ジョージ君が明るく、フレンドリーで、おしゃべりだったので、喜んだ。「さあ、今日からここで生活をしろ」と、2階の部屋に案内された。そこからはギリシャ・ローマ時代のような、たくさんの大理石でつくられた像に囲まれたプールが見えた。周りはバラ園、まるでハリウッド映画のような世界だった。そこでジョージ君は、主人公を演ずるのだと自分に言い聞かせた。

 ストックトンのベティーの家では、ジョージ君の部屋は地下室にあった。ずいぶん出世した気分になった。ここは家族が少ないので普通の部屋を与えられた。部屋はすべて空の薄い青で塗られ、ジョージ君のシーツや枕カバーはすべて朱色だった。部屋が明るくて、めまいがするような気がした。でもこれこそジョージ君の求めていた色だと思えた。

 彼女は薄汚れた服を着ていたジョージ君を見て、「物乞いの少年のようだ。すぐにシャワーを浴びてこい。それからホームステイ条件を詰めよう」と言った。ジョージ君は「着替えがないから、一度帰りたい」と申し出た。

「昔のハズバンドのガウンがある。シャワーを浴びたら、それに着替えろ。今のお前の服はすぐに洗濯しなさい。私は清潔好きだ。それを承知してくれ。埃も汚れも大嫌いだ。今の君の姿ならお断りだ。私は明日から出張する。早く君がここに住むことを決定したい」と言った。

 ジョージ君は仕方なくシャワーを浴びて、彼女の差し出したガウンを身に付けた。丈が長く、裾が床についてしまうほどであった。
 「私の旦那は185㎝あった。ジョージは少年のようだ」。その姿が面白くて、キャサリンは大声で笑った。

 さて、条件や家庭のバックグラウンドの説明があった。

「私の旦那は軍隊でパイロットしていたが、事故で死亡した。私は彼の家業の洗剤会社を継いで社長をしている。私はアングロサクソン(ルーマニア人でなかったのか?それとも夫がアングロサクソンか?)で、スタンフォード大学の経営修士(MBA)を出た。若いころはモデルでもあった」。

 ジョージ君は、「それではあなたはWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの略、アメリカの支配階級)ですね」と確認をした。彼女は「当然そうだ」と答え、言葉を続けた。「私の美貌に彼が惚れたの。彼と結婚したけど、子どもがいなかったので孤児院から養女をもらってきた。孤児の女の子が金髪で青い目だからもらったのに、ugly(不細工)な娘に育って、養女にもらったことを後悔している。今、彼女は私の最大のheadache(頭痛)だ」

 やがて娘のマービンがボーイフレンドと一緒にやってきた。178㎝もあるのに、10㎝のハイヒールを履いていた。顔が小さく、口は曲がっていて、見るからにすねた感じの高校生だった。一目で、これは容易ならないホームステイになりそうだと、悪い予感がした。

 娘が問題の種だということがすぐに理解できた。社長のキャサリンは常に肩を張って生きてきたような感じがした。ジョージ君の前でも、威厳を保とうとしているのがわかった。アメリカでも女性が社長をすることの大変さをジョージ君は感じて同情した。

 彼女の容姿はともかく、色気がまったくないのである。ギスギスしていた。現金500ドルのためにこの難しそうな女主人とうまくやらないといけない。

 その方法は2つしかない。1つは、彼女と男女の関係になること、ヒモになるか?突然、「若いツバメ」という言葉を思い出した。この辺がジョージ君の飛躍しているところだ。が、そのぐらい考えないと、バカらしくてやっていられなかった。相手がこれだけの大富豪の相手ならツバメでも紐でも、厳しかった親父は許してくれるかな?

 父の顔を想像した。怒っているように見えた。白人の金持ちのおばさんにへつらう日本男児は、ジョージ君の好むところでもなかった。妄想はともかく、彼女のこの態度では、ツバメなど現実的ではない。99%は不可能な感じがした。美人だが、仕事にしか興味がない、隙のない女性だった。

 もう1つ仲良くなる方法は、はじめから言葉で、彼女に忠誠を誓うことだと思えた。同じ屋根の下に住むのだから、時間を掛けてジョージ君の良さをアピールするなど、悠長なことはしたくなかった。すぐに彼女に気に入ってもらわないと居心地が悪い。缶詰工場の現場監督に気に入られた経験から得た知恵だった。

 ジョージ君は、織田信長に仕えた木下藤吉郎が、寒い冬に信長のわらじを懐で暖めて気に入られた、という逸話を思い出しながら強く言い放った。

「俺はあなたに忠誠を誓う。ここに住んでいる限り、私は100%あなたの味方だ。信用していい。日本では今もサムライ社会の伝統は生き続けている。私は以前、大手保険会社でサラリーマンをしていた。日本の会社社会、日本経済の成功は彼らの忠誠心にある。それが日本人の雇用関係だ」

 彼女はジョージ君の言葉にいたく感動していた。

「私は超ワガママで、実はこの家には今まで1ケ月以上勤まった留守番役も、お手伝いさんも、下男もガーデナー(庭師)もいない。君からそんな言葉が聞けるなど、考えもしなかった。ジョージに会えて本当にうれしい。これは運命の出会いかもしれない。たまたま会社で経理を任せている日系人の会計士は、私がいくら怒っても、暴言を吐いても、いつもニコニコ笑って働いてくれている。私が『家の留守番役をしてくれる人は誰かいないか?』と相談したら、彼に、『あなたの家の留守番役は日本人にしか勤まらない』と言われた。すごく納得したの。そこで、大学で教えている義弟に頼んで、日本人留学生を探した結果、ジョージ、君がきたというわけだ。

 ああ今日は本当に幸せな日だ。日本人のジョージがきてくれて心が晴れた、もう安心だ。
とにかく、君の仕事は、毎日私のべッド・メイキングをして、シーツを変えること。私の部屋のみ、毎日バキューム(掃除機)をしなさい」

 その他の条件の詳細はあまり話し合わなかった。一応、週に3回掃除のおばさんと、週2回庭師がくることになっていた。洗濯はその掃除のおばさんがするという話だった。

 キャサリンがいるときは、食事は彼女がつくると言った。

「ジョージが私のためにベストを尽くす、その気持ちだけで十分だ」

 ジョージ君もいくら詳細を詰めても、どうせ力関係でころころ変わる。嫌ならここを出て行けば良いんだ、と居直っていた。あとはどちらの個性が強いかだけだ。強い方のワガママが通る、それはジョージ君が今まで体験して得た、アメリカ感だった。

 ジョージ君は詳しく聞きもせず、彼女の条件をすべて飲み込んだ。彼女を100%受け入れられれば、彼女もジョージ君を100%受け入れてくれる可能性はある。さあ、これから新しい生活が始まる。
 「The『男』Man」になってやる。

 この言葉は意味不明で、なんとでも解釈できた。ただこういう時、必ず、ジョージ君の口からでてきた言葉だった。

(つづく)

【浅野秀二】


<プロフィール>
浅野秀二
(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。

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