『脊振の自然に魅せられて』「10年ぶりの洗谷」(前)
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脊振山系で最も美しい渓谷が井原山(982m)―雷山(955m)の中間部にある。糸島市の井原登山口から「瑞梅寺山の家」の前の道を20分歩くと洗谷登山口に着く。洗谷は瑞梅寺川の源流で、井原集落の真下にある瑞梅寺ダムに注ぎ込み、福岡市民と糸島市民の貴重な水源となっている。
筆者はこの洗谷に50歳になる手前から足繁く撮影に訪れている。渓谷から井原の集落へ流れる渓流は竹林のなかで、白い清流となっており、とても美しい。とくに雨上がりは、水量も多く、規模こそ小さいが、東北の奥入瀬川の清流を思わせるほどだった。筆者は雨上がりを狙って何度も撮影に訪れた。静けさのなか、筆者1人だけの世界に浸った。この光景は写真集『脊振讃歌』の1ページを飾っている。
登山口から奥へと進むと、深い渓谷が始まり、大小の滝が登山者を魅了する。渓谷の中間部にある五段の滝、さらに奥へ進むと二段の滝がある。夏には沢登りにくる登山者を時折見かけた。その姿を狙って撮影もした。紅葉の時期はとくに静かな山の雰囲気を醸し出してくれた。初冠雪の日も雪景色のなかの滝をイメージして撮影に訪れた。
30年前、まだビデオ機材が高価だった時代、重い機材を背負って撮影したこともある。カメラとビデオデッキが分かれていた時代である。ソニーに勤めていた時代、長崎水害で水没した機材を修復したものを安く購入できた。セットで5kgはある機材である。それでも当時は画期的な機材であった。
撮影を終えて渓谷を下るとき、大きな岩から足を滑らせ、尾てい骨を思いきり強打した。息ができない程だった。しかし、筆者は、体のことよりも背中に担いだビデオデッキが壊れていないかが心配だった。確認したところヒビも入っていない「大丈夫だ」。安心して、やっと息ができるようになった。
毎週のように通い、毎週のように打撲して整形外科に通った。その後、新しい登山靴を購入。それから足を滑らせることはなくなった。靴底のソールが摩耗し、グリップが効かず、滑っていたのである。この時から登山靴は大事だと思うようになった。子ども2人が中高生で、小遣いの範囲内で活動していた時期である。
このような魅力的な洗谷だが、年に数回、滑落事故が起きていた。軽装登山の初心者たちである。大滝から滑落して半身不随になった者もいると聞く。この負傷者は、別の登山者が発見し、ヘリで救助された。発見者はヘリが飛んで来ると鏡で光を反射させ、場所をヘリに知らせた。そして救助された。
4年前の9月、死亡事故が発生した。死亡したのは登山雑誌『のぼろ』の編集長である。渓谷の中間部にある五段滝の上部で、30mのロープを頼りに登る地点のすぐ上部である。この遭難事故で、糸島市をはじめとした行政が登山口を塞ぎ、登山禁止にしてしまった。入り口と井原山-雷山の縦走路合流地点の2カ所である。携帯電話も通じない谷間なので、いざ大怪我をしたときは連絡が難しいからでもある。要は「臭いものに蓋」をしたのである。
筆者は登山関係者から現場検証に誘われたが、所用があり参加できなかった。後日、現場検証に同行した登山ショップのU会長から現場の概念図がパソコンに送られてきた。
洗谷に行かなくなって10年が経った今年9月、洗谷が無性に恋しくなった。そこで、9月17日(火)に仲間たちを誘って行くことにした。筆者を入れて男性2人、女性2人の会員たちである。入山禁止で山は荒れていることが予想される。
井原山登山口のキトク橋に車を停め、歩いて20分で登山口に着いた。思っていた通り、登山口はすっかり藪に覆われていた。左手には谷から流れてくる清流が見えた。「懐かしい」、美しい渓谷の光景がいろいろと浮かんできた。
渓谷へ入るのは自己責任である。メンバーたちに「気をつけて行きましょう」と声をかけた。歩くにつれ、登山道は深い笹藪に覆われていた。秋はキツリフネのお花畑が筆者を迎えてくれた場所にきた。しかし、キツリフネは時間の経過とともに繁殖力の強いアオキで覆われており、その姿を見ることができなかった。自然淘汰はよく起きていることだ。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
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