2024年12月22日( 日 )

文化にとっての政治と経済(後)経済と文化

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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

 文化の源を探ると経済に行き着く。文化の形成は主たる経済活動に左右されるのだ。

 経済活動といっても、農業とか、漁業とか、林業といったもので、要は人間が自然にはたらきかけて生活の手段を得ることである。この生活の手段こそが経済の本質で、そこから文化も生まれ出る。

 この意味での経済は、都市に住む労働者や会社員にはピンと来ない。現代人の多くはバーチャルな経済観をもっており、私なども「経済」といえば「株式」とか「為替」とかをイメージし、生産活動についても大企業と結びつけてしまう。

 都市ではたらく者は、自身の労働を賃金に換算することに慣れ、本来の「はたらく」の意味から疎外されている。経済活動の一切が数値に換算され、その本来の姿が見えなくなっている。

 しかし、経済の原点に還ってみると、文化との結びつきが見えてくる。経済の建設が文化の建設であることがわかってくるのだ。その意味で、前々節で引用した経済学者サックスは、経済の建設を提唱することで文化を創成しようとしてきた人物といえそうだ。

世界 イメージ    サックスの経済学は、マルクス主義とか自由主義といった規定の枠組を超えて、全人類に役立つものを目指すものである。彼が自由主義経済によるグローバル化に歯止めをかける必要があると考えるのは、それが全人類のためにならないと見るからだ。世界はいくつかの地域ブロックごとに自立した経済圏を形成することが望ましい、と彼は主張する。なぜなら、文化の共有できる範囲でこそ経済活動はスムーズに進むからだと。

 世界のあちこちで経済の立て直しや将来計画のプランニングをしてきた彼は、一見すると経済修繕屋、あるいは経済技師といった感じがする。しかし、彼の主著『貧困の終焉』を読むと、そうした実践の背後に高邁な倫理が見えてくる。

 『貧困の終焉』は世界全体を見渡して「貧困」に喘ぐ地域があることを痛切に感じた彼が、それを「終焉」させるための手立てを説いたものである。慢性的経済不況に陥った国や、社会主義経済から資本主義経済へと移行する国のために適切な手立てを考えた経験のある彼であるが、そうしたこと以上に、「貧困」の撲滅が重要だと考え、国連にプロジェクトを提案し、その実現に従事した。

 そういうわけで、『貧困の終焉』は経済発展の見込みがない地域を対象にしている。そのような地域は見捨てられるか、援助されるか、どちらかである。サックスは慢性的貧困の地域を援助する方法を探った。まずは何がその地域に欠けているのか、それをたしかめた。

 欠けているのは「医療と教育」であった。従って、援助はこの2点に絞ってなされねばならないということになる。もちろん、道路の整備や交通機関の導入といった物的支援も必要だろうが、その前に、貧者を蝕む病気を駆除し、しっかりした精神を養う教育を施さねばならないと考えたのだ。

 まずは健康な体になり、つぎに高度な技術を習得するだけの知能をもち、低賃金の肉体労働から脱却する。それができなければ、「貧困」から脱却できないし、経済発展などあり得ないと見たのだ。

 つまり、「貧困」に喘ぐ地域のために彼が考えた支援は、病院の建設と学校の建設、そしてそこで指導する人材の供与と育成である。このような経済援助がどの程度成功するか、簡単にはいえない。

 そうした試みが一定の成功をおさめた例はある。アフガニスタンで凶弾に斃れた中村哲医師だ。

 中村医師はサックスと似た発想でアフガニスタンに赴き、医療活動のみならず、乾燥地帯に「水」をもたらして農業を活性化し、現地の人々のために病院のみならず、モスクの建設までした。武装勢力の銃撃で斃れはしたが、その献身はアフガニスタンの地に一縷の希望を与えた。

 ところで、サックスは経済的発展を遂げた国として日本を挙げたうえで、日本に対して「いつまでもアメリカに依存せず、中国をはじめとする東アジアのブロック経済にもっと意を注ぐべきだ」と提言している。

 この論は正しいだろうが、戦後日本とアメリカの関係を考えると、実現はなかなかできそうもない。日本とすれば、独立国家の尊厳を少しずつでも示していくほかないであろう。

 私自身の懸念は、むしろ教育問題にある。現在の日本の教育は、子どもたちの知性と感性を「殺す」方向に進んでおり、何事にも無反応な若者を育てているのである。政治を預かる人々がこれをしっかり見ていないように思えて、極めて遺憾である。教育のみが国の将来をつくるというのに。

 サックスの『貧困の終焉』によれば、経済と文化の基盤は教育と医療である。日本は物的資本が確保されており、医療システムも充実しているが、ただ1つ欠けているのが健全な教育システムである。

 サックスの言葉を使えば、日本は「人的資本」の育成ができていない。この問題は緊急に改善されなくてはならない。これができなければ、ユニクロの柳井社長ではないが、「日本人は滅びる」のだ。

(了)


<プロフィール>
大嶋仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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