傲慢経営者列伝(12)三菱グループを抉る(7)三菱ケミカル「脱・ゆでガエル」の顛末
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「ゆでガエル」という寓話がある。カエルが入っている水に火をかけ、水温を徐々に上げていくと、カエルは温度変化に気づかずに逃げ出さないため、最後は熱湯でゆで上がって死んでしまうという内容だ。過去のやり方に固執する失敗を諫める寓意として使われる。三菱ケミカルの「脱・ゆでガエル」大作戦の顛末を振り返る。(文中敬称略)
「ゆでガエル」の目を覚ますヘビになれなかった
外国人トップ三菱ケミカルグループは24年4月1日、筑本学エクゼクティブバイスプレジデントが社長に昇格し、21年4月から経営を率いてきたジョンマーク・ギルソン社長は退任した。
ギルソンは21年12月に市況が低迷する石油化学事業を分離する再建案を発表。「日本における石油化学事業の再編を主導する」と意気込みを見せていたが、再編に関連して目立った成果を出せないまま突然退場した。「5年間は続けると聞いていた」。石化担当記者は驚きを隠さない。事実上の解任である。
ギルソンにゆでガエルの目を覚ますヘビになることを期待していたが、そうはならなかった。指名委員会委員長を務める橋本孝之社外取締役(日本IBM元社長)は社長交代の理由についてこう語っている。
「この3~4年間の業界の変化、当社の変革を見たときに、次にもう一歩(ギアを)上げるためには新たなリーダーが必要だ」石化再編が頓挫したギルソンに指名委員会は引導を渡し、後任社長に筑本学を起用した。88年東京大学経済学部を卒業し、三菱化成工業(現・三菱ケミカル)に入社した生え抜きだ。
新社長の課題はギルソンがやり残した石化事業の再編。中国企業による石化製品の増産ラッシュを受けてアジア市況が低迷し、各社の業績が厳しいためだ。筑本新社長は「ゆでガエル」から抜け出すことができるだろうか。
小林喜光は「評論家集団」と揶揄された
経済同友会のトップに三菱ケミカルの最高実力者の小林喜光は、1946年11月、山梨県生まれの77歳。71年東京大学大学院理学系相関理化学修士課程修了。ヘブライ大学(イスラエル)物理化学科、ピサ大学化学科に留学。74年三菱化成工業(現・三菱ケミカル)に入社。翌75年東京大学理学博士号を取得した典型的な技術エリートである。三菱化学科学技術研究センター社長を経て、2007年に三菱ケミカルホールディングス社長兼三菱化学社長に就いた。
財界人としてのデビューは11年、経済同友会副代表幹事に就いたこと。以降、財界活動に軸足を移し、15年経済同友会代表幹事に就任した。
歴代の同友会のトップには論戦に長けた理論派がズラリと並ぶ。出身企業を問わずに個人の能力で選任するから当然ともいえる。しかし半面で「口先ばかりの評論家集団」という有難くない評価があることは否定できない。
しかも、出身企業の規模は、新日本製鐵(現・日本製鉄)やトヨタ自動車など経団連の中核企業より小さい。出身企業の規模が小さいことは、代表幹事の発言の影響力を低下させた。もともと同友会は財界4団体の末席だった。財界の総本山である経団連が日経連を統合して以降、経団連との距離が開いた同友会は自らの発言力の低下に苦しんできた。
同友会事務局にとって、3兆円を超す売上規模があり、三菱グループの有力企業の1つである三菱ケミカルは、願ってもない代表幹事会社だ。
かつての同友会なら、「中立性の原則」を掲げて財閥直系の三菱系企業をトップにすることに反対する声が上がったかもしれないが、背に腹は代えられない。次期代表幹事を決めた幹事会は全会一致で小林を認めたという。
小林に託されたのは、同友会の発言力を高めることだ。小林は「哲人経営者」と呼ばれる財界きっての論客として存在感を高めた。
第2次安倍政権になって、安倍と関係が悪化した米倉弘昌・経団連会長(当時・住友化学会長)を差し置いて、小林は経済財政諮問会議の民間議員となった。安倍政権に近い財界人として重きをなした小林は21年に東京電力ホールディングスの取締役会長に就いた。
根っからの学者肌の技術屋だ。財界人としての小林は「評論家のような発言が目立つ」と評価は芳しいとはいえなかった。
(つづく)
【森村和男】
法人名
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