回想「失われた30年」のMade in Japan 船井電機が破産(中)
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「失われた30年」の代表的な消費財は「メイドインジャパンのテレビ」。日本のテレビは2008年に世界シェアトップの43.4%を占めるなど世界を席巻していたが、13年までに中国・韓国勢に相次いで敗れた。その後、「FUNAI」ブランドで低価格帯のテレビを供給していた船井電機は破産に追い込まれることとなる。(文中・敬称略)
創業者は国内回帰を決断
フィリップス問題の決着がつき、16年6月、林は社長を退任。前田哲宏にバトンタッチした。前田は旧三洋電機の出身で、三洋が最も輝いていた時に携帯電話や太陽電池などの看板事業を担当。その手腕と人脈を買われて12年に船井電機に入社した。「プリンター事業に力を入れる」「テレビも低価格のOEM(相手先ブランド)を中軸とせず、4Kなどの高品質の自社ブランドで勝負する」。前田はそう語っていた。
だが、成果を得るより暗雲が広がるほうが早かった。17年3月期は北米テレビ事業の不振で、最終損益は67億円の赤字。赤字は赤字だ。前田は1年足らずで更迭。テレビ事業出身の船越秀明が新社長に就いた。目まぐるしい社長交代は、創業者の船井哲良の“鶴の一声”で決まった。
北米市場から日本市場に回帰したが浮上できず
経営が悪化した船井電機の創業者、船井哲良・取締役相談役(当時)は国内テレビ市場への回帰を再建策として決断した。これまでの北米向けの低価格のOEM(相手先ブランド)生産から、国内向けの4Kなど高品質な自社ブランドで勝負することにした。
船井はヤマダ電機の創業者、山田昇会長兼取締役会議長をビジネスパートナーとして組んだ。ヤマダは17年から「FUNAI」ブランドのテレビを独占販売した。
「液晶だけでなく、有機ELまでを含めた製品の充実で20年に国内シェア20%(台数ベース)を達成する」。船井電機の船越秀明社長は17年5月17日、ヤマダ電機と共同開発し、同社へ独占供給する液晶テレビの新製品発表会で有機ELテレビへの参入を表明した。創業者の船井が登壇して説明する予定だったが、体調不良により欠席。社長の船越が手紙を代読した。「FUNAI」ブランドの復活は船井の夢だった。
船井電機株を相続した長男の船井哲雄が経営の引き受け手探し
だが、「FUNAI」ブランドの復活は見果てぬ夢で終わった。創業者の船井哲良は17年7月4日、肺炎のため90歳で亡くなり、長男の船井哲雄が船井電機株の34.18%を相続した。哲雄は北海道の旭川医科大学卒業の呼吸器外科の医師で、当時、旭川十条病院の院長。
船井電機の公表資料によると、哲雄は株式を相続した17年から、父親が遺した船井電機の経営を託す相手を探した。いくつかのファンドと接触したが信頼関係を築くことができなかった。
19年8月30日、船井電機の顧問であった坂東浩二に、経営を任せたい、そのために、哲雄自身が保有する株式を譲り渡す意向がある旨を相談した。
坂東は、19年9月上旬、ビジネスを通じて付き合いのあった秀和グループの上田智一に話を持ち掛けた。坂東と上田は、上場を維持しながら再成長に取り組むのは最善の策ではないと考えた。非上場化して、中長期的な視点で経営改善に取り組むことで、今後の船井電機の事業展開を行ったほうがいいという認識で一致した。
20年6月、坂東と上田は船井哲雄との協議で、船井電機を非上場化することで合意した。ここからTOBに向けて動き出す。
(つづく)
【森村和男】
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