【新春トップインタビュー】「やま中があるから福岡へ来る」をビジョンに、もつ鍋を通して地域活性化への貢献を目指す

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(株)やま中
代表取締役CEO 小野政彦 氏

 みそもつ鍋発祥の店である「やま中」は、1984年2月に大橋で創業された老舗もつ鍋屋で、昨年40周年を迎えた。「やま中の味を食べたいから福岡に来る」をビジョンに掲げ、地域活性化への貢献も狙う。同社代表取締役CEOの小野政彦氏は、外食産業界初の共同仕入れ組合・CBS(責)を設立したほか、数々の企業再生の実績を有する。小野氏にやま中の現在と将来展望について話を聞いた。
(聞き手:(株)データ・マックス 代表取締役社長 緒方克美)

数多くの実績をもつ小野氏 やま中に対する想い

(株)やま中
代表取締役CEO 小野政彦 氏

    ──小野社長の経歴を聞かせてください。

 小野政彦(以下、小野) 私はもともと大手チェーンストアでバイヤーを務めていました。そのようななか、2009年にラーメン屋「一風堂」を運営する(株)力の源カンパニーの代表取締役である河原成美氏から「共同仕入会社を立ち上げて欲しい」と声をかけられました。しかし、共同仕入会社では収益を追求せざるを得ず、参加を促す際に賛同を得られにくいため、当時枠組みが認められたばかりのLLPで(株)ゼットン、(株)ワンダーテーブルにご賛同いただき、力の源カンパニーを含めた外食企業3社によるCBS(責)(LLP)を立ち上げ、私が代表理事を務めました。

 この仕組みは当時外食産業界初の取り組みで、3社からスタートした組織は最終的に10社まで拡大し、賛同各社の年商合計は1,000億円に達しました。その間、10年には同LLPの人材育成や仕入価格の削減における成果を評価され、外食産業記者会主催の「外食アワード」において中間流通・外食支援事業者部門で個人表彰を受けました。

 その後、生まれ故郷である大分県にて13年に「みどり牛乳」などを販売する九州乳業(株)の企業再生案件に取り組みました。当初は5年で黒字化を目指していましたが、1年目で黒字化を達成し、4年目には6億円の営業利益を計上するまでに再建しました。さらに、17年には茨城乳業(株)の再生案件を請け負い、1年目で1992年の会社設立以降、初めての営業黒字を達成しました。そして、2021年に(株)やま中の代表取締役CEOに就任し、現在に至ります。

 ──やま中を引き継ぐことになった経緯を教えてください。

 小野 やま中がM&Aに踏み出したきっかけは、後継者問題でした。19年に福岡銀行が主導するファンドである福岡キャピタルパートナーズ(FCP)が承継し、その後、FCPからの声がかかり、21年に私がやま中の案件を引き受けることになりました。

 やま中といえば大分出身の私でも知っている、福岡では知らない人がいないほどの老舗ブランドです。このブランドの成長と次世代への承継に携わることに、私自身とても興味をもちました。また、FCPも「やま中を次世代に残すべきだ」という強い思いから投資したのではないかと考えています。

 ──経営がFCPに移管された後、新たに2店舗を出店されました。今後の店舗展開について教えてください。

 小野 20年12月に福岡「博多店」、23年11月に東京「銀座店」を出店し、現在の店舗数は福岡に3店舗、東京に1店舗の計4店舗となりました。銀座店では24年11月に1周年記念イベントを開催し、対昨年比にて来店客数が約3割増加するなど、順調に軌道に乗ってきています。各店とも予約を受け付けられず、多くのお客さまをお断りするのはとても心苦しいのですが、福岡でも24年12月には、3店舗合計で約1万人のお客さまをお断りしており、このような状況を踏まえ、福岡市内にはもう1店舗出店する余地があると考えています。

博多もつ鍋やま中 銀座店入口
博多もつ鍋やま中 銀座店入口

    また県外への展開では、福岡より「住みたい街ランキング」の上位に位置する県を候補としており、次は京都への出店を予定しています。さらに、海外進出も視野に入れていますが、海外では東アジアの韓国や中国、台湾などを除きもつを食べる文化が根付いていないため、まずはそれらの地域を中心に展開を検討しています。

 ただし、出店の拡大を追求するつもりはありません。私たちは「やま中があるから福岡に来る」をビジョンとして掲げており、やま中のために福岡を訪れてくださるお客さまをどれだけ増やせるかに重点を置いています。 県外1号店を銀座に出店した際の決め手の1つは、21年12月にリリースした自社アプリの登録者の多くが東京都在住の方で占められていたことでした。

 福岡県外にもこれほど多くのやま中ファンがいることを知り、全国から人々が集まる銀座に出店すれば、より多くの方に「やま中の味」を知っていただけると同時に、本場福岡を訪れるきっかけになると考えました。やま中を通じて福岡の地域活性化に貢献できることが、私たちにとって大きな喜びです。

コロナ禍を乗り越える やま中の味を承継

 ──小野社長が代表に就いた21年はコロナ禍の真っ只中でした。

 小野 新型コロナウイルスという未知のウイルスは、全世界に大きな影響を与えました。やま中も営業停止を余儀なくされましたが、これは日本全国、どの飲食店でも同じです。私がやま中の経営に関わり始めた21年は、何とか時短営業が可能な状況でした。 そこで私は、雇用調整助成金や休業支援金などを含めた限界利益を算出できる体制を整え、従業員の勤務時間を細かく管理しながら、可能な範囲で営業を続けました。

 実際は、店舗を運営するよりも完全に休業したほうが、さまざまなコストを考えると採算が取れる時期もありましたが、それでも営業を続けた理由は「やま中の味を守るため」でした。長期間の休業をしてしまうと、どうしても技術が鈍ってしまいます。先代が試行錯誤を重ねて完成させたやま中の味を絶やさぬよう、常に気を配り続けました。

 その甲斐あって、アフターコロナの時期にお客さまが戻ってこられた際には「やま中は味が全然変わっていないね」と声をかけていただけることがありました。また23年11月に銀座店を出店した際も、準備がスムーズに進みました。これは我々がコロナ禍でも営業を続け、やま中の味を守り抜いた成果だと自負しています。

もつ鍋「みそ味」はやま中が発祥
もつ鍋「みそ味」はやま中が発祥

    ──通販事業についてはどう考えますか。

 小野 食品の細胞を壊さずに商品化できる瞬間冷凍の仕組みが確立し、「お店の味を家庭でも再現できる」と確信した21年に通販事業を開始しました。この事業はコロナ禍における巣ごもり需要の影響で成長した部門ではありますが、我々はあくまでも実店舗を主軸と考えています。実店舗のお客さまが増えれば、その分通販事業の伸びは限定的になるため、そこは割り切って運営しています。

 また、もし通販事業に力を入れて何百万食もの大量生産を目指した場合、品質の低下は避けられません。これは、現在店舗内で調合したスープをそのまま瞬間冷凍にかけて商品化しているためです。「店の味をそのままに」というコンセプトで始めた通販事業を、大規模工場で工業的な生産に移行するというのは本意ではありません。やま中の味を守れる範囲で、お客さまにお届けすることを重視しています。

大事なのは「やま中らしさ」 残すべきものの、選択を

 ──やま中のマネジメントスタイルを教えてください。

 小野 私が経営を引き継いだ当初は、創業者がいて運営も2店舗のみだったこともあり、完全なトップダウン型の経営が行われていました。しかし、我々が目指すべきは従業員とともに成長する企業です。そのため、ボトムアップ型のマネジメントへの移行を進めてきました。

 この方針のもと、会社に大きなマイナスにならない限り、従業員からの提案は100%受け入れるようにしています。たとえば、ある従業員から「個室の欄間があるため、隣室同士の声が筒抜けになってしまう」という声が挙がった際には、すぐにアクリル板で欄間を塞ぐ工事を行いました。現場で働く従業員が一番現場を理解しているため、彼らが感じる不具合には迅速に対応するよう努めています。

 私は「従業員が満足しない現場で、お客さまの満足度を上げることはできない」と常に考えています。従業員満足が顧客満足を生み出し、そのフィードバックがさらなる従業員満足につながる、という好循環のサイクルをつくることが重要です。さらに、そこに経営陣からの適切なアドバイスを加えることで、会社全体の成長も期待できます。その結果、現在は業績もコロナ禍前と比較して2倍近い水準に到達しています。

 ──小野社長がやま中を引き継ぐにあたり、ここは残していかなければというところはあるのでしょうか。

 小野 やはり「やま中らしさ」でしょうか。やま中とは何かを考えたとき、まずおいしいもつ鍋を提供するのは当然のことです。そのうえで、もつ鍋屋とは思えないような上質な空間、そして心のこもったおもてなし、つまりホスピタリティの精神をもった接客を大事にしています。この「味」「空間」「ホスピタリティ」を三位一体で提供することこそが、私の考える「やま中らしさ」です。

 これを守るために、社員・アルバイトを問わず、我々のビジョンやミッションを最初にしっかり学んでもらうことを大切にしています。 実際、やま中でアルバイトした学生が社会人になる際、ホスピタリティの精神が生活に活かされている、というのがやま中の伝統になっています。

 技術教育については、もつ鍋の味を守るために「鍋炊き試食会」という施策を取り入れています。この試食会は3カ月に1回開催され、ベテランから新人まで鍋炊きの職人がそれぞれもつ鍋をつくり、試食を行います。この試食会の目的はトップを決めることではありません。それぞれの職人が、同じ「やま中の味」を提供できる状態を保ち、平準化することが大切だと考えています。これこそが、やま中のブランドを守る秘訣です。

 一方で、一品料理などの付加価値を提供する部分には変化を加えています。従業員とともに新商品を開発し、完成した「ゆでタンと煮込み大根」は、今では「これを食べるためにやま中へ行くべき」とお客さまから高く評価される商品となりました。残すべき部分と変えていくべき部分のバランスをしっかりと保ちながら、お客さまに最良の顧客体験を提供していくことを心がけています。

 やはり、どの時代でも変わらないことは「お客さまに満足して帰っていただきたい」という気持ちです。これこそがやま中の根幹であり、最も大切なことだと考えています。

従業員とともに成長を続けるやま中の将来展望

 ──小野社長が考える、やま中の将来展望とは。

 小野 「福岡の地域活性化のシンボル」となることが、我々の目標です。そのための第一歩として、従業員の生活向上にどのように寄与できるかを常に念頭に置いています。従業員満足度が向上し、彼らが成長することで、顧客満足度も必ず向上します。それが結果として客数や売上の増加につながると考えています。そのため、まずは従業員が満足できる環境をつくるために私が何をすべきかを考えて行動していきます。

 やま中は、すでに多くの企業から注目される存在となっています。これは、創業から40年にわたり、やま中の味と伝統を守り続けた創業者や従業員たちの努力の賜物です。これからも「やま中があるから福岡に来る」というビジョンを掲げ、やま中のさらなる発展、ひいては福岡全体の発展に寄与できるよう、経営を続けてまいります。

【文・構成:立野夏海】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:小野政彦
所在地:福岡市中央区赤坂1-9-1
設 立:2019年11月
資本金:1,000万円
売上高:(24/7)11億4,582万円


<プロフィール>
小野政彦
(おの・まさひこ)
1972年7月、大分県生まれ。フードビジネスに約30年携わり、上場企業の購買システム構築や企業再生事業に関わる。外食産業では同業界初となる LLPによる共同仕入組合としてCBS(責)を立ち上げ、企業再生では、九州乳業(株)(売上高 130 億円)をV字回復させ、その後、茨城乳業(株)(売上高 45 億円)、どさん子等の企業再生にも携わり、地元企業の再興に寄与。2021年より、FCP投資先「やま中」の代表取締役CEOを務めている。

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