福岡城天守 新資料で実在説が補強(中)
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舞鶴公園は、古代の鴻臚館と近世の福岡城という数百年の時で隔てられた重要な史跡が同居する稀有の空間となっている。2024年、論争の的となっている福岡城天守について、実在説を補強する新しい資料が見つかった。現在、舞鶴公園と大濠公園を一体的に活用する構想が福岡市によって進められているが、福岡市がアジアの最も歴史ある国際都市の1つとして認識されるには、魅力あるランドマークの建設が望ましい。福岡城の天守こそ、まちづくりにおける景観のみならず、多くの謎を秘めた魅力によって、まさに福岡のランドマークにふさわしいのではなかろうか。
福岡城天守の謎 なぜ論争になるのか
なぜ福岡城の天守は、実在をめぐって論争になるのか。そこには複雑な事情がある。黒田藩の歴史を知るうえで重要な史料とされるのは、3代藩主・黒田光之の命で儒学者・貝原益軒が1671~88年にかけて編纂した黒田家の正史『黒田家譜』だ。この黒田家譜に天守に関する記述がないことなどから、福岡城には天守がなかったということが通説とされてきた。だが、黒田家譜は必ずしも事実をありのままに伝える歴史書とはいえない。たとえば、黒田家にとって最も重要な存在である藩祖孝高(如水)の死去について、簡潔な記述しかない。実は孝高は京都の伏見で亡くなり、キリシタンとして盛大な葬儀がなされたことがイエズス会司祭の記録などから明らかになっている。しかし、黒田家譜の編纂時はすでに幕府がキリスト教を禁止していたため、葬儀に関わる記述をはばかったと考えられている。
福岡城の天守についても、幕府を顧慮した藩主光之が、築城や天守に関する記事を抹消させたのではないかと考えられる。
黒田長政の知恵の跡 天守の建設と破壊
近年、黒田藩に関わるその他の書状や他家の資料に天守について記述が見られることから、天守実在説がにわかに有力視されるようになった。
第一の証拠は、黒田長政が1602年に家老の黒田三左衛門(一成)に宛てた書状。長政の言葉として、「今月中に天守の柱立を行わなくてはならないのだから、そのように大工・奉行たちへ厳しく指示するように」という文意が記されている。天守を建てる工事が進められ、柱を立てる段階まで進行していたことがわかる。天守が建設された後の様子を示す資料としては、「天守の欄干が腐った」と報告を受けたという長政の書状や、1611年頃の『九州諸城図』に記された萩藩毛利家の密偵が描いた天守らしき四層櫓の絵などがある。
では、なぜ天守がその後なくなり、黒田家譜でも記述がないのか?黒田長政は元来豊臣恩顧の家臣だが、関ヶ原の戦いにおける徳川方の勝利に大きく貢献したことから、筑前国を与えられた。だが、豊臣氏滅亡後の1619年、同じく豊臣恩顧の大名・福島正則が、幕府に無断で城を修繕したとして藩を取り潰された。これに衝撃を受けた長政は、子の忠行への書状で、「幕府は諸大名の行状を吟味しており、10年先には軍事力について詮索を受けるだろう」と忠告している。
ところで、黒田家は隣(豊前小倉)の細川家と仲が悪かった。その理由は、長政が豊前中津から筑前に国替えするときに、次に来る細川家のために米を残さなかったためで、それ以来両家は犬猿の仲となっており、細川家文書には黒田家の動向を知らせる書状が残されている。
福島正則が取り潰しに遭った同年、黒田家は幕府が諸大名に通達した大坂城の再築工事に参加したが、黒田家の動向に関心を寄せる細川忠興と、江戸にいる子の忠利がやりとりした1620年の書状では、大坂城工事で黒田家は割り当てられた工事が遅れ、その遅れを取り戻すために長政が福岡城の石垣や天守を解体して大坂城の資材として運んだらしいという話や、長政が将軍秀忠に対して「天守や屋敷を崩しました」と言上した様子を伝えている。
このような状況を、黒田家譜において天守に関する記述がない状況と合わせて考えると、長政が黒田家の安泰を図って軍事力に関する幕府の詮索を受ける前に、大坂城の普請工事を口実に天守などを破壊したのではないかと推察される。今回、新たに発見された資料は、これらの出来事の後年の資料であり、天守台の上にかつて天守が建っていたという当時の認識を示す資料と見なされる。このように、まだ不安定だった江戸時代初期を生き延びるために長政らが絞った知恵が、福岡城天守の謎の原因であり、そこにこそ福岡城の魅力があるといえる。
多くの謎を秘めた福岡城天守が実在していた可能性が高いとなれば、それを復元することは歴史的価値のみならず、現代の福岡市のまちづくりという観点からも大きな価値がある。
福岡城は、舞鶴公園と大濠公園の合わせておよそ80haにおよぶ広大な公園に囲まれている。天守台の標高は36mほどだが、公園中央の南側寄りにある天守台からは、まるで広げた扇のように眺望が広がる。西は糸島市の高祖山、可也山から百道浜の福岡タワーやドーム。北は西公園、東は北天神のKBCタワーから福岡市役所、博多駅方面を望む。ここに推定26mの天守が建てば、福岡城を望む周辺地域から格好のランドマークとして認識されるだろう。
(つづく)
【寺村朋輝】
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