孫正義 再評価の時——波乱の投資人生と“オーマイニュース”失敗の内幕(後)
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『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏
孫正義氏についてさまざまな方面の専門家が語る当シリーズ。第11回の今回は元木昌彦氏による孫正義論をお届けする。
孫正義氏は「山師」「大ぼら吹き」とも評されながら、日本一の実業家へと駆け上がった。その生い立ち、投資家としての慧眼、そして挑戦と挫折を繰り返しながら築き上げたソフトバンク帝国。本稿では、彼の波乱に満ちた歩みを振り返りながら、その評価を再考する。さらに筆者自身が関わった「オーマイニュース」の失敗から見える、孫氏の投資哲学の光と影についても掘り下げる。
市民メディアの理想と現実
さて、ここからは孫氏が投資したなかでももっともショボイであろう企業の、私の体験談に移ろう。
今ではほとんど忘れられているが、市民メディア「オーマイニュース」は2000年に韓国の呉連鎬(オ・ヨンホ)氏がつくった投稿サイトで、ITブームもあり、大統領選挙を左右するとまでいわれるブームを巻き起こした。
誰もがネットを通じて投稿でき、それに対してさまざまな意見が寄せられ、議論が盛り上がっていく。日本でも大きな話題になり、関心を集めた。
呉氏はこの成功をもって、日本に進出しようと考えたのである。韓国メディアが日本に支局を置くというのはよくあるが、メディアそのものを日本にもってきて日本本社を置くというのは聞いたことがない。
呉氏は「オーマイニュース・インターナショナル(株)」を06年8月28日に設立するのである。これは、ソフトバンクと韓国オーマイニュース社との合弁企業であるが、呉氏と孫氏の友人関係で、資金のほとんどはソフトバンクからだった。その額は、私が社長になって知ったのだが9億円であった。
初代編集長にジャーナリストの鳥越俊太郎氏を迎え、共同通信を辞めたばかりの青木理氏も参加したことで、日本のメディアも大きな関心を寄せた。
失敗の3つの理由
私は編集長に就任する前に鳥越氏から、「日本版オーマイニュース」は成功するだろうかと聞かれた。
私は、「成功しない理由を3つ挙げた」。1つは日本人と韓国人とはかなり文化的な違いがある。韓国は論争好きの民族だが、日本人は論争を好まない国民性だから、韓国のように論争が広がっていくということは考えにくい。
2つ目は、市民記者というネーミングである。市民とはいったいこの国のどういう人たちを指すのかが曖昧だ。それに、一般人の人が自分の意見や周りで起きている“事件”について書いて、幾ばくかの原稿料をもらうことに魅力を感じるだろうか。
3つ目は、韓国は原則実名だが、日本では実名で投稿するというのは相当ハードルが高い。多くは匿名にならざるを得ないのではないか。それなら、日本には匿名の落書きサイト「2ちゃんねる」があるから、「オーマイニュース」には人が集まらないと思う。
要は日本では成功しないということである。
創刊当初は話題にもなり、鳥越氏の名前もあったので、ある程度の“市民記者”が集まった、ソフトバンクの孫正義氏も自らも市民記者となり記事を投稿した。
しかし、準備段階の時点で嫌韓コメントが殺到して炎上したり、鳥越氏も2ちゃんねる(の一部)を「ゴミため」と呼び、ネットメディアの人間たちから批判されるなど、大荒れの船出になった。
市民記者が集まったのも最初だけで、2~3カ月すると「市民記者の数が増えない。オーマイニュース苦戦」という報道が出始めたのである。
私は、06年11月に講談社を定年退職して、次に何をしようかと考えていた。その年12月の終わり、鳥越氏から電話がかかってきた。「自分はがんに罹って入院しなければならない。元木さん、オーマイニュースを引き受けてくれないだろうか」というものだった。少し考えさせてくれといって電話を切った。
フリーになってまだやることが決まっていないのだから、やってみてもいいか。年明けに、そう考えて鳥越氏に連絡し、早速、呉氏と虎ノ門の「オーマイニュース」で会った。鳥越氏は、私を紹介するとすぐに「元木さんよろしくね」といって席を外してしまった。2時間ばかり、私が考えている「オーマイニュース」のやり方について、女性の韓国人の通訳を通して話し合った。初めて編集部に顔を出したのは、2月になってからだったと思う。
20人近い編集部員の多くは鳥越氏の名前に引き付けられてきた人たちだから、私の肩書は副編集長だったが、全権を握って「オーマイニュース」をやることに反発しているのがうかがえた。それに、鳥越氏は毎日新聞出身だから、新聞経験者は多かったが、この編集部に必要な「編集者」が少なかった。
9億円の投資とその消失
さらに驚いたのは、最初に市民記者からの投稿サイトシステムを1億円かけてつくったが、使い勝手がよくないという理由で、それをやめて、新たにつくりなおしているというのだ。それにも1億円程度かけ、その毎月のメンテナンス費用が2,000万円もかかるというのである。
その後、編集長になり、呉氏から懇願されて代表権のある社長になってから知るのだが、孫氏が9億円もポンと出してくれたため、サイトの構築費用やメンテナンス費用と称して、韓国の本社に相当のお金が流れていたのではないかと思った。
私は講談社にいるときの1998年に「Web現代」という本邦初のインターネット週刊誌というのをつくったことがあった。当時はまだブロードバンドなどない時代だったから、ニュース動画を配信しても、普通のパソコンではフリーズして見ることができなかった。また、そのころは、半年ごとに新しい機能の付いたパソコンが発売されるため、その購入費だけでもバカにならず、私は2年間編集長をしたが、その間に2億円の赤字を出したと、会社からいわれた。
IT企業は、はじめは少人数から始めて、うまくいってから人を増やすのが定石である。だが、「オーマイニュース」は最初から多くの部員を集め、必要のないシステムづくりに湯水のように金をつぎ込んだ。しかも、私がやっていた当時、1日に送られてくる市民記者からの投稿は30から多くて40程度だった。そのほとんどは、今の政治に対する批判ばかりである。市民記者が住んでいる町の耳寄りな情報を送ってくれといっても、聞く耳をもたなかった。その上、自分の投稿にほかの人が意見をいうと、「こんなことをいわれるのならもう書かない」と脱退する人が相次いだ。当時出始めた、ミクシーやツイッターのようなものを始めようと考えたが、そのノウハウが「オーマイニュース」にはなかった。
さらに深刻だったのは、創刊以来、広告が一本も入らないことだった。広告担当者もいない。私が付き合いのあったいくつかの企業に頼んで出してもらった合計30万円が唯一の収入であった。当時注目を集めていたYahoo! JAPANにニュース配信を開始したが、たしか1本採用されても雀の涙ほどの収入にしかならなかった。
2007年の暮れも押し詰まったころ、フィンランドに旅行中の私に、呉氏から「社長になってくれ」という電話がかかってきた。「オーマイニュース」の現状を見ている私は、仕方なく引き受けざるを得なかった。
そうして初めて「オーマイニュース」の経理内容を知るのである。その時点で残額はたしか1億円。僅か1年と少しで8億円が消失していたのである。毎月、編集部員の給料やメンテナンス費用を含めると、たしか4,000万円くらいが消えていく。これでは3カ月持たない。早速、呉氏に談判するため韓国のソウルに飛んだ。彼に、「オーマイニュース」がもうしばらく存続するために1億円を出してくれといった。呉氏はそんな金はないと突っぱねたが、私は引かなかった。これまでの経理内容を公開するぞと告げ、結局、渋々だが5,000万円出すことを了承した。
私の知り合いの弁護士に頼んで、企業の倒産の手続きなどに詳しい弁護士を紹介してもらい、彼と相談しながら、いつどのように「オーマイニュース」をソフトランディングさせるかについて何度も打ち合わせをした。
3月頃だったと記憶しているが、呉氏が日本にきて、孫氏と話し合って追加融資をしてもらうという。私は、孫氏が同意する訳はないと思っていたが、案の定、塩垂れた呉氏が戻ってきて、「ダメだった」といって嘆息した。社員に倒産すると告げようという日に、部屋を空け渡す移転料として森ビル側が1億円近く払ってくれたため、辞めた社員たちに次の職を探す費用として、1カ月分の給料を配ることができたが、まさに綱渡りの半年間であった。
孫氏が当時始めた「サイバー大学」にも少し関わった。たしか早稲田大学の教授でエジプトのピラミッドに造詣の深い吉村作治氏を学長にしたと思う。私にも何かやってくれというオファーがきたが、お断りした。出版社ももっていたので、そこの編集者が何度か相談にきたことはあった。
孫正義の現在と未来
こうしてみてくると、孫氏というのは、あらゆる可能性のありそうな事業に投資をしていたことがわかる。万に一つ、アリババのような急成長する起業が現れれば、元が取れるどころかソフトバンクグループをさらなる高みに押し上げてくれる。
しかし、アメリカのシリコンバレーも勢いを失い、巨大なプラットフォームGAFAが独り勝ちする時代。孫正義が再び活躍できる時代が来るのだろうか。
私はやや懐疑的だ。だが、日本という枠から飛び出し、世界の大企業と対等に戦ってきた孫正義氏に対する真っ当な評価をすべき時ではあると思う。
(了)
<プロフィール>
元木昌彦(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。
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