中島画伯物語・前

 唐津市で生まれ育った画伯の中島淳一氏。このシリーズでは同氏の中学・高校の同期であった友人との電話のやり取りを文章化することで、半世紀前の青春時代(高校時代)を振り返っていただきたい。

友人からの電話

 久しぶりにKから電話があった。何年ぶりというほどではない。だが、気がつけば数カ月、あるいは1年近く連絡を取っていなかったような気もする。悪友というものは不思議なもので、会わなくても、どこかで生きていることだけは分かっている。だから、久しぶりに電話が鳴っても、「何かあったのか」と心配するより、「また何か言いにきたな」と思ってしまう。

 受話器の向こうから聞こえてきた第一声は、相変わらず乱暴だった。

「相変わらずだな」

「何が?」

 と私は聞き返した。

「ちっとも変わってねえじゃないか。高校生の時と、やっていることがまるで同じだ」

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。私は苦笑した。

「演劇、小説、抽象画。お前、高校生の頃から、結局やっていることが変わってねぇよ。もっとも、あの頃はもっとひどかったな。朝は柔道部。夕方はボート部。そのくせ劇なんか始めて、落書きみたいな絵まで描いていた。勉強以外は何でもやっていたよな」

 Kの記憶力には驚かされる。本人さえ忘れているような細かな出来事まで、妙に鮮明に覚えているのである。

「お前には、自制心ってもんがない。やれることを全部やりたがる。だから危うく退学になりそうになっただろう」

 私は笑った。確かに、今振り返れば無茶苦茶だった。

欲張りの人生

 授業が終われば部活。帰宅してからは演劇の稽古。深夜には小説まで書いていた。何か1つに絞れば、もっと楽だったかもしれない。そもそも、世間的には、その方が正しかったのだろう。

 だが私は、昔から「1つを選ぶ」ということが苦手だった。いや、苦手というより、できなかったのである。

 興味を持つと、どうしてもやってみたくなる。絵を描けば演劇が気になり、演劇を始めれば小説が気になり、小説を書いていても、朝は柔道の稽古。

 Kはそんな私を、昔から呆れながら見ていた。

「普通はな、どこかで踏ん張って、1つ選ぶんだよ。それが成功の秘訣だ。何でもやる奴は、大抵、全部中途半端になる」

 その言葉は、ある意味正論である。社会というものは分かりやすい。小説家なら小説家。画家なら画家。演出家なら演出家。肩書きは単純な方が評価されやすい。

 ところが私は、そのどれでもあり、そのどれでもない。
 画家なのか。
 一人演劇の舞台人か。
 演出家なのか。
 小説家なのか。

 画家だと自覚するときが多いが、自分でもよく分からない。いや、多分全部当てはまるのだろう。しかし、「全部」であることは、世間から見れば「どれでもない」と同義になることもある。Kはさらに続けた。

「俺、今でも覚えているぞ。高校2年の時、お前が文芸誌『ほのお』に載せた短編小説」

 私は思わず笑った。そんなものまで覚えているのか。

「タイトルは忘れたが、イエス・キリストが異星人だったって話。妙なこと考える奴だと思ったよ」

「ああ、あれか」

「でも、後半はつまんなかったな。キリストが地球人に愛想を尽かして故郷の星へ帰る話。あれは失敗だ」

 そこまで言うかと思った。だが、悪友とはそういうものである。遠慮がない。褒める時もあるが、平気で酷評もする。おそらく、本当にそう思っているのだろう。しかし、なぜだか嫌な気はしない。むしろ、高校時代の自分が急に目の前に現れたようで、懐かしかった。

「それに演劇だ。お前、ジョージ・バーナード・ショーが好きだったろう?でも、高校生に分かるわけがないじゃねぇか。あの皮肉」

 私は思わず吹き出した。確かにそうだった。私はショーの『彼女の夫に嘘をついた話』(How He Lied to Her Husband)を上演した。

 だが、高校生にイギリスの逆説的ユーモアが伝わるはずもない。観客席からはヤジが飛んだ。今思えば無謀である。しかし当時の私は、そんなことを気にしていなかった。面白いと思ったからやる。ただ、それだけだった。

友人Kの驚き

「懲りない奴だと思っていたけど、アメリカ留学から帰ってきても、お前ちっとも変わらなかったな」

 Kは笑いながらこう言った。

「よくまぁ、じじいになるまで生きてきたよ」

 その言葉に、私も笑いながら妙なことを考えた。人間、年齢を重ねると、少しずつ丸くなるものらしい。

 刺激を避け、穏やかな生活を求める。挑戦より安定。夢より現実。

 しかし私は、なぜだか昔とあまり変わっていない。相変わらず絵を描き、原稿を書き、一人芝居を考えている。しかも最近は出版の頻度まで異常である。

「今の出版ペース、あれは異常だぞ」

 Kはこう言った。

「2、3冊のつもりだったんだけどな」

 と言うと、彼は即こう返した。
「違うな、欲だよ」

「欲?」

「死ぬまでに、自分の頭の中にあるもの全部出したいんだろう」

 私は黙り込んだ。図星だった。

 歳を取るということは、死を現実として考えることでもある。若い頃は、未来は無限に続くと思っていた。描けなかったものは、いつか描けばいい。描けなかった絵は、そのうち描けばいい。だが、ある年齢を超えると、突然、時間が有限になる。

 あと何作書けるのか。
 あと何回、舞台に立てるのか。
 あと何枚描けるのか。

 そう考えると、急に焦りが生まれる。いや、焦りというより、本能に近い。生きた証を残したいのである。先日、ある経営者にも言われた。

「このままだと器用貧乏な芸術家で終わりますよ」

 確かにそうかもしれない。何者にもなりきれないまま、終わる可能性はある。だが、それでもいい気もする。もし揶揄されるなら、まだ幸せだ。無視されるよりははるかにいい。

 芸術家にとって、本当に恐ろしいのは失敗ではない。忘れられることである。それは誰にも関心を持たれず、何も残らないということだ。

 だから、たとえ悪友の毒舌であっても、電話がかかってくることは嬉しい。昔の自分を知る人間が、まだどこかで見ていてくれる。

 しかも、「相変わらずだな」と呆れながら笑ってくれる。考えてみれば、それは幸福なことなのかもしれない。成功するかどうかなど、最後まで分からない。

 世俗的な評価は、運にも左右される。だが、死ぬまで何かをつくり続ける。

 たとえ器用貧乏と笑われても、懲りずに次をつくる。高校生の頃と、何1つ変わらない。それは未熟なのかもしれない。

 だが同時に、少しだけ誇らしいことのようにも思えるのである。

(つづく)

【編集:青木義彦】

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