天皇は何のためにあるのか?(2)

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

天皇という宿題

 もう50年以上も前のことだ。当時私はフランスに留学中で、そこで知り合ったウィリアムというイギリス人に招かれて彼の実家にお邪魔したことがある。南イングランドの田園は冬なのに緑一色で、ポニーと呼ばれる小型の馬があちこちで草を食べているのが印象に残った。

 ウィリアムの父親は高校の教師で、母親は専業主婦だったと記憶している。典型的な中流家庭で、高校を出たばかりのウィリアムはひとときをフランスで過ごし、将来の行く先を考えていたようだ。確か、「自分は大学に進んで歴史を勉強するのだ」と言っていた気がする。

 彼の家には1泊しかお世話にならなかったが、彼の父親とウィリアムと夕食後に交わした会話が今でも忘れられない。2人とも、日本の戦争における天皇の役割について関心をもっていた。

 初めのうち遠慮がちだった父親が、やがてこう切り出した。「イギリスでは日本といえば戦争のことばかりで、とくに天皇に戦争責任はなかったのかということが議論になっています。あなたの考えを聞かせてください」。

 この質問に私が戸惑ったのを見たウィリアムは、「答えにくかったら、答えなくてもいいよ」と言ってくれた。しかし、私は答える義務があると思い、「当時の天皇に権限はまったくなく、彼は軍が決めたことに従うだけでした」と答えた。

 これに対して父親はこう応じた。「しかし、日本の天皇は戦争を終結させたと聞いています。天皇に権限がなかったのなら、そうしたこともできなかったはずです」と。
 私は少し困ったが、何とかこれに答えを見つけた。「多分、軍の指導部がどうしてよいのかわからなくなったので、天皇に意見を求めたのでしょう」と。

 父親はこれで納得したようだったが、後になって私は考えた。「一体、日本人にとって天皇とは何なのだろう」と。

 今になって思うのだが、イギリス人にとって王室が重要だから、あのような会話になったのであろう。イギリス人は王室と政治の関係には神経を使ってきたのだ。しかも、彼らはこの微妙な問題についてきちんと議論をし、冷静に考える訓練をしてきたようだ。そうでなければ、あのウィリアムの父親のように、礼儀正しく、同時に突っ込んだ話はできないはずだ。日本人とは、そういう点でかなり違うのである。

 「天皇」といえば、私の高校のときの同級生に作曲家の娘がいた。彼女の家に招かれたとき、その父親と話をする機会があった。議論好きで、私に会うといきなり「君、天皇好きかい?」と聞いてきた。高校生だった私は、「天皇」のことなど考えたこともなかった。戦後教育で育ったために、教わったことがなかったのだ。それで、ろくに返事もできなかった。

 作曲家の方も私の返答には興味がなかったようで、ほとんどひとり言のようにこう言った。「僕にとって、天皇は宿題なんだよ。戦争が終わったとき、ああこれで天皇もいなくなると思ったんだ。ところが、マッカーサーが残しちゃった。こりゃ厳しいわな。なかなか解けない宿題だよ」。

 今思えば、この作曲家は戦時の日本を生きた人で、入隊もしたはずである。記憶は定かでないが、健康上の理由で出征できなかったと聞いたようにも思う。「お国のために、天皇陛下のために、命を捧げる」が当たり前だった時代の人である。その彼が思っていた天皇とは、一体どういうものだったのだろう。

 天皇といえば、もう1つ思い出すことがある。大学受験に失敗して予備校に通っていたときのことだ。東京の下町育ちの男子と仲良くなった。古文と漢文がやたらに出来、頭の回転も速かったので、「どうして君、落ちたんだ」と聞いたことがある。すると彼、「英語がダメだったんだ」とぶっきらぼうに言った。彼の家ではみな「英語嫌い」だったそうだ。

 英語嫌いのきっかけはトルーマンだった、と彼は言っていた。トルーマンといえば、広島や長崎に原爆投下をすることを許したあのアメリカの大統領だ。このことを恨んだ彼の父親が、「敵性言語なんか勉強するな」と言っていたのだという。彼の家では、戦争の記憶がなまなましく生きていたのだ。

 では、その父親は根っからの愛国者で、天皇崇拝者だったのかというと、そうでもなかった。「昭和天皇は許せない」とつねづね言っていたそうだ。当時の私には、この東京下町の父親の話が面白かった。そういう率直な声を、めったに聞いたことがなかったからだ。

 「みん天皇のために死んだじゃないか。それなのに、よくのうのうと生きていられるものだ。」そのようにいう彼の父親に一度会ってみたかった。実現はしなかったが、日本人にもいろいろな考えがあることを知った。

 というわけで、今になっても「天皇とは日本人にとって何なのだろう」と考えている。確かにこれは、日本人全員にとっての「宿題」なのだ。この宿題に納得のいく答えを出すことは難しい。しかし、試みる価値は十分にあると思う。

(つづく)

< 前の記事
(1)

関連記事