私たちは何処からきたのか

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縄文アイヌ研究会主宰 澤田健一

黒瀬海岸 イメージ    どんな本を読んでも、日本民族の渡来を書いてあるものは、すべて北方進入説を説いていました。それがどうしても不思議でならなかったのです。原始人は着の身着のままでシベリアの冬を生き抜いていたのでしょうか…。子どものころからその疑問は消えることがありませんでした。

 日本神話では瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は舟で薩摩の黒瀬海岸に上陸したことになっています。南の方からやってきたからこそ、九州西南端にたどりついたのです。こちらのほうがずっと合理的だと思うのですが、戦後日本の学者たちは日本神話など創作されたものであって真実ではないと言っていました。

 ところが、アイヌが神事に用いる“イナウ”は南方のカリマンタンに住む人々がもっている“けずりかけ”とまったく同じです。アイヌの口琴であるムックリを、アボリジニが奏でていて、マオリ族ももっています。アイヌ犬はカリマンタン辺りの犬種と同じ遺伝子をもっていて、南方犬であることが指摘されています。

 古事記でも日本書紀でも殺した女性神のからだの各部位からさまざまな食物が生まれてきますが、これも南方のニューギニアおよびその周辺のハイヌウェレ神話そのものであり、とくにニューギニアのマリンド・アニム族のマヨという祭儀では、実際に少女を殺してココヤシの果樹の豊かな実りを祈っていました。残酷な祭儀ですが、古代社会では広く人身供犠が行われていたのです。

 インドネシアの洞窟には約5万年前から多くの動物壁画が遺されていて、そのほとんどがイノシシであり、それは縄文時代のイノシシ信仰につながります。縄文時代の日本列島全体で、しかも北海道や伊豆諸島などイノシシが生息していない地域でも、子どものイノシシ(うりぼう)を殺して神に捧げるイノシシ祭りが行われていました。その骨は強く焼かれているのです。動物土偶の多くもイノシシであり、インドネシアの壁画と同じ傾向を示しています。

 どう考えても南からやってきたとしか思えません。それを平成末から執筆しはじめたのですが、まったく受け入れられませんでした。学者の書籍では、「日本民族が北から入ってきたのは間違いない」とか「それは学会の結論である」とか書いていたからです。

 さて、2019年5月13日に国立科学博物館や国立遺伝学研究所・東京大学など七研究機関が合同で、現代のアイヌは(1万年以上前の)縄文人の遺伝子を約7割も受け継いでいると公表しました。それまでアイヌと縄文人は関係がない、アイヌは日本民族ではなく北方民族だとする意見が多くあったものの、それが否定されることになりました。令和に入ると流れが大きく変わったのです。

 翌20年には東京大学・東京大学大学院・金沢大学の合同研究によって、現在東ユーラシアに住んでいるすべての人々は南ルートでやってきたと公表されました。日本民族も南ルートでやってきたのです。

 しかも、同報告では縄文人の核DNAは東ユーラシア人の根に位置しており、東ユーラシア人の創始集団であることが指摘されています。つまりヒトの流れは大陸から日本列島に入ってきたのではなく、日本列島から大陸に出て行ったということなのです。従って、シベリアから日本列島に入ってきたとする学説は二重の意味で否定されることになりました。

 ここでDNAについて簡単に説明しておきます。それは4種類の塩基というものが連なってできているのですが、核DNAの塩基数は約32億個もあり、これがヒトの完全な設計図です。この遺伝情報は両親のものが子に引き継がれます。ですからこれを読み解けば人類の系統樹が描けるのです。少し前までは、簡易なミトコンドリアDNAを解析に用いていましたが、これの塩基数は約1万6,500個しかなく、しかも母親の情報だけしか娘を通して引き継がれません。そのため非常に限られた情報しか得られていなかったのです。

 こうした核DNA解析技術の飛躍的な進歩によってヒトの設計図が完全に読み解けることになり、驚くべき事実が次々と明らかになってきたのです。昨年(24年)に理化学研究所が、3,256人分の日本人の全ゲノム情報分析に基づいて、私たち日本民族はネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子をもっていると発表しました。以前から日本人の核DNAはほかのホモ・サピエンスの核DNAとはまったく別の位置にいることまでは分かっていましたが、それはネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子混入が原因だったのです。

 まとめると次のようになります。南方ルートでインドネシアまでやってきたご先祖さまは、そこから丸木舟に乗って日本列島までたどり着いたのが約3万8,000年前です。その時点で日本各地から石器が一気に出土し始めます。

 ここでネアンデルタール人やデニソワ人と混血をして日本民族の原点となる「夷」の遺伝子が誕生しました。一般的に縄文人遺伝子と呼ばれますが、3万8,000年前は縄文時代よりはるか以前であり、「夷」遺伝子と呼ぶべきだと提唱しています。その「夷」遺伝子は現在の日本人すべてに受け継がれ、とくにアイヌに強く残されているのです。さらには、ご先祖さまたちは大陸へと進出していって東ユーラシア人の祖先となっていったということです。

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