生成AI狂騒曲~「Web現代」の挑戦から見える未来(後)

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『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏

 生成AIという怪物が世界中を席巻している。近い将来、AIが小説を書き、新聞や雑誌もAIが企画立案から取材、執筆までしてくれる時代が来るといわれる。そんなバカなと私は思ってしまうのだが…。(文中敬称略)

Web現代創刊秘話と早すぎた挑戦(つづき)

AI イメージ    2年近く『Web現代』編集長を務めて後輩にバトンタッチした。社からは「2億円の赤字を出した」と文句をいわれた。その後、社で出している雑誌のポータルサイトとして名前を変え、やがて消滅した。

 在任中、TBSなどいくつかのテレビ局から「話を聞かせてくれ」と呼ばれたり、SONYが、今のAmazonのKindleのような電子書籍リーダーを出したいから協力してくれという話があったりした(SONYは2004年に電子書籍リーダー「LIBRIé」を発売したが、売れずにやめてしまった)。

 マイクロソフトの人間もやってきて、「あと10年しないうちに紙の本はなくなり、すべての本が電子書籍になる。デバイスも丸めてポケットに入れられるようなものになる」などと吹聴していた。

 だが、あれから四半世紀が経ったが、すべての本が電子書籍にはなっていない。端末は相変わらず丸めてもてはしない。ブロードバンドは普及し、課金システムは簡単になったが、ネットに特化したユニークな雑誌は世界を見渡しても、まだ生まれてはいない。

 たしかにインターネットの出現は衝撃的だった。電話とPCを一緒にしたスマホは便利ではあるが、あのときに比べれば衝撃性は薄い。
 では、生成AIはどうだろうか? 日々進化して、近いうちに人間の能力を超え、何でもAIに頼めばやってくれる時代になるといわれているようだが、本当だろうか。
 もしそんな時代がきたら、人間は何をしたらいいのだろう?

AIが奪う人間の創造性と文明の危機

 週刊現代(3/15・22日号)で酒井邦嘉東大大学院総合文化研究科教授が、「AIが文明を滅ぼす」という興味深い考察をしているので紹介しよう。

 酒井教授はこういっている。

「AIの濫用によって、人類の文明は衰退の危機に直面している──私はそう危惧しています。

 文明とは、伝統を守りながら、新しいものを生み出していく営為です。その創造的な営みは、人間の考える力、つまりは言語能力によって支えられてきました。しかし、『見かけ上の知恵』でしかないAIに取って代わられれば、脳に負荷をかけることで育まれる『考える力』が人類から奪われてしまう。その結果、学問や芸術のオリジナルの価値が毀損されてしまい、人間の創造性が消えてしまうでしょう。

 AIには、人間の脳の働きを再現することなどできません。いわば『もどき』でしかない。それなのに『タイパ』(タイムパフォーマンス)重視のビジネス的な思考のせいで、人々が『AI依存症』に陥っているのが現状です。行き着く先は『一億総無脳化』とでも呼ぶべき時代でしょうか。すでに私たちは、確実に後戻りできないところまできているのです」

 現代によれば、「日本を代表する言語脳科学者である酒井氏は、近著『デジタル脳クライシス』で、デジタル機器やAIを安易に使用することで、『人間の脳が衰える』危険性を、最新科学の研究結果や脳の仕組みを示しながら指摘している」という。

 酒井教授はこう続ける。

「まず『生成AI』という呼び方が誤解を生みやすいのです。私は『合成AI』と一貫して言い続けています。

 23年頃から、チャットGPTに代表される『合成AI』が『生成AI』として普及を始め、すぐに飛びついた人たちの肯定的な──かつ盲目的な意見が各メディアやSNSに溢れました。あまつさえ、本来は子どもの脳を育てるのが仕事であるはずの、教育現場にもAIが積極的に導入されつつあります。

 しかし、本当にAIは何かを『生成』、つまり生み出しているのでしょうか。実際にやっていることは、既存の文章や画像などを組み合わせ、『合成』してそれらしく見せているにすぎません。『もどき』にすぎず、何も『生成』などしていないのです」

 ここまでズバリという学者はなかなかいない。

 酒井教授はさらにこういう。

「私からすれば、文章を叩き台として一字たりともAIに頼りたくはありません。文章を書くには、思考を整理し、脳に負荷をかけ続けること、時間をかけることが重要です。学芸の仕事では、その労苦の過程こそが人生を豊かにします。

 まずは、思考力を育てる幼少期の教育の現場で、ペンと紙をもつところから創造性を取り戻す試みをしてほしい。

 新しいビジネスの探求にも、創造性が必要不可欠だと思いますが、創造性は能動的な好奇心から生まれます。これを育むには、やはり読書が肝要です。著者の意図や心情を想像し、自らの思索に耽ることで、考える力が身につきます。小説やエッセイ、専門書、そして事実関係の裏取り取材がなされた新聞や雑誌の記事などには、常に触れ続けるべきでしょう」

 そしてこう結ぶ。

「想像力とは何か。その意義を今一度問い直す時期にきているのかもしれません」

 私も酒井教授の意見に賛成だ。私は長年ワープロを使っているから漢字をほとんど忘れてしまった。AIに「データ・マックスのための原稿を4,000字で書いてくれ」といえば、あっという間に書いてくれるだろう。だが、それは世界中に散らばっている情報の寄せ集めに過ぎない。

 少し前、あるAIに、某宮家にこれから起こるであろう問題は何か? という質問を投げかけたことがあった。すぐにAIはスラスラと答えてくれた。だが、参考文献を見ると、私が少し前に書いた文章が2本も入っていた。

 今のAIに創造性はない。文科省はデジタル教育と称して、iPadを子ども一人ひとりに貸与しているが、その子らの10年後が怖い。

 テレビが庶民の間で普及してきた当時、評論家の大宅壮一は「テレビは一億総バカ化する」といったが、AIはそのテレビより人類をバカ化する力は、はるかにすさまじいものになるはずである。

(了)


<プロフィール>
元木昌彦
(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。

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