【訃報】日建建設、2代目社長・金子博樹氏が逝去~故人の偉業をしのぶ
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日建建設(株)(福岡市中央区)の2代目社長・金子博樹氏が4月9日(水)に逝去された。85歳であった。3月に救急車で搬送され、入院してから容態が悪化していたという。
筆者と故人との付き合いは1979年からなので、かれこれ46年になる。博多区にあった松島建設の社長から紹介されたのが、付き合いの始まりだった。日建建設は46年、故人の実父が創業して50年3月に日建産業(株)として法人化した。よって法人としては75年の業歴となる。金子博樹氏が2代目社長に就任したのは77年6月。80年に現在の日建建設へと商号変更した。故人は25年間、社長として采配をふるい、2002年1月に現在の3代目社長である金子幸生氏にバトンタッチした。
人格者として業界の信頼厚く
故人は経営姿勢においては非常に手堅い手法に徹してきた。人柄によるものであろう。故人の人柄を一言で言い表すと、「温厚な人格者」ということができる。「でしゃばったことを一切せずに相手の立場をくむ」という気配りに徹していた。業界でも調整役として全体の下支えに身を賭していた。建設業界を歩んできたある情報通は「金子さんは絶対に敵をつくるようなことはしなかった。すべてが丸く収まることに注力しているのを幾度となく目撃した。尊敬に値する人柄だった」と語る。
厳しい教育で3代目を育成
02年1月、長男・幸生氏に3代目社長としてバトンタッチした。後継者育成に関しては人が変わったように厳しい教育に徹していた。その結果、現社長は故人の薫陶を受けて専務時代から大きく成長され、業界団体の会長を依頼されるほど対外的な信用を得るようになった。日建建設の業績も、今期・来期完工高50億円達成のメドをつけている。故人の事業継続に向けた意志の強さが、厳しい教育となって現在の幸生社長の飛躍につながったのだと筆者は確信している。だからこそ故人は安心して、憂いなく旅立たれたに違いないと思う次第だ。
ゴルフ場のレストランでの月1度の邂逅が楽しみだった
13年前まで福岡雷山ゴルフ倶楽部で偶然会うことがたびたびあった。いつも日曜日だった。それぞれにゴルフパートナーとコースを回っていたが、レストランの席に座ると故人・博樹氏のグループを見かけた。いつも同じメンバーだった。「スコアはいくらでしたか」と近づいていくたびに、「いやぁ、なかなか、ゴルフは難しい」と頭をかきながら穏やかに対応されていた。そんな故人の面影が今でもまぶたに浮かんでくる。
人生の最終局面は闘病に終始
ゴルフ場に姿を現さなくなったのは13年前、心臓を手術することになったからだ。聞くところによると「心臓大動脈弁手術」だったとか。以降は外を歩くのも控えるようになったという。
博樹先輩、会社の未来はまったく心配されずに天国でゴルフを楽しんでください。幸生社長の活躍を天から眺めておれば安心されるはずです。
合掌
【児玉直】
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