アジア・インスティチュート理事長
エマニュエル・パストリッチ 氏
米国・韓国の大学で教員を歴任し、現在はアジア・インスティチュート理事長として日米韓を拠点に活動するエマニュエル・パストリッチ博士(ハーバード大学)より、寄稿をいただいたので、以下に紹介する。

米国は、ますます戦争ヒステリー症状に陥り、政治家や政府高官が自己の支配圏を無限に拡大しようという妄念に取り憑かれている。いまや、ワシントンDCで戦争に関係のない話題を口にすることは不可能になりつつある。まさにそのとき、アメリカ全体が軍事経済化され、軍事請負業者、民営化された警察、刑務所、営利目的の諜報機関(その頂点に立つのは、軍国主義化されたプライベート・エクイティ企業[未公開株を取引する巨大企業]だ)によってすべての重要な決定が下されるようになった。そして、これこそ歴史における偉大な皮肉の1つであるが、米国は、とりわけ日本に対して、日本国憲法に表明されている、軍国主義の復活を阻止するという公約を放棄し、日本に向かって、米国のジュニア・パートナーとして、世界戦争と核によるホロコーストへと向かう私たちの自殺的な行進に加わるよう圧力をかけようとしている。これほど恐ろしくも滑稽な皮肉はない。
私たちは、一部の日本人がすでに戦争の準備をする口実を求めてうずうずしていることを知っている。そして、少数の人々にさらなる富と権力をもたらす手段として日本に軍事経済を仕立て上げることで、日本の市民社会を破壊しようとしていることを知っている。
だが平和憲法を必要としているのは、ほかならぬアメリカではないのか。第二次世界大戦後、私たちは平和経済へと回帰するどころか、戦争によって刺激され、戦争経済がもたらす制度的・文化的なガンが社会全体に転移して広がり、子どものおもちゃから退役軍人のための駐車スペース、政治家による国家への盲目的な服従のために殺人まで犯した人々への熱烈な賛辞に至るまで、いたるところに戦争状態がはびこるようになった。
私たちは今こそ、平和を基礎とし、平和にコミットし、家族、近隣、地域、国、そして地球全体の幸福のために建設的な経済的貢献をした市民に報いる経済と社会に向けて、制度的、知的、精神的なコミットメントをするよう求められている。戦争を引き起こすのは、消費を要求し、成長を賞賛する経済システムの産物なのだ。戦争は消費と成長を促す最大の力であり、それは戦争によってすべてが廃墟と化すまでやむことはない。戦争とは、道徳や人間性とは無縁の経済学概念の産物であり、長期的な視野に立つのではなく、数週間、数カ月単位の短期的な視野で計算される富裕層の利害に基づく行動に対する見返りなのだ。この投機主導のカジノ経済は、石油会社に利益を流し続けるためにあらゆるものをプラスチックで包装し、アメリカに残された工場は軍事部品を製造する工場だけとなり、それゆえ戦争に備えることを余儀なくされている。
日本国憲法第九条を見てみよう。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
この崇高な理念は、「自衛隊」の創設に始まり、朝鮮戦争における日本経済のアメリカ戦争経済への統合、そして「集団安全保障」という誤った概念、すなわち積極的な軍拡主義と国際的な武器市場への参入のために、見せかけのイチジクの葉となり、日本の歴代政府の政策の変遷によって希釈され、歪曲され、消滅してきた。
同時に、九条の条項自身にも問題があることを認識しなければならない。第一に、この文章は、ノーム・チョムスキーの有名な言葉にあるように、「覇権か生存か」の選択を迫られている現代において、日本が戦争を放棄しなければならないのは、むしろ「正義と秩序に基づく国際平和」のための理想主義的な願望にすぎないことを示唆している。正義という抽象的な理想のためだけでなく、現実的な目標のために戦争を放棄する論理が具体的に明示されていないため、日本国憲法は過度に理想主義的であり、そのような抽象的な理念は日本の主権を侵害している、との批判が絶えない。今後の安全保障政策に関する議論では、戦争放棄という、戦争行使に関する日本の立場がいかに現実的かつ戦略的であり、それがいかに日本や国際社会の長期的な利益につながるものであるかを説明することが重要になるだろう。
日本人が、そしてアメリカ人が、こんにちのアメリカの安全保障政策に異議を唱えることもまた重要である。平和憲法を享受しているだけでは、日本はアメリカに守られているのだと思い込み、アメリカからは「日本はフリーライダーだ」と批判される。
加えて、第九条は「戦争」と「国家」という用語をあたかも静的で不変のものであるかのように用いている。だが、今日の戦争は、多様な分野に広がり、流動的で、複数のレベルで目に見える形、目に見えないかたちで行使されている。兵器は、こんにち、メディア、エンターテインメント、AIというすがたをとって、国民を愚鈍にし、受動的にし、あるいは戦争に向けて総動員する武器として使われている。これらの情報媒体は、わたしたちの暮らしに役立つテクノロジーというよりも、戦争のもう1つのすがたである。ナノテクノロジーは、目に見えないかたちで身体の機能を攻撃したり、環境を変化させたりするために使われ、新しいバイオテクノロジー兵器は、被害者を病気にしたり、無力にしたりすることができる。電磁波や赤外線、その他多くの新兵器や潜在的な兵器も、同様である。情報戦も、市民を混乱させる虚偽の物語をつくり出すために用いられる。このような戦争のすがたは、第九条の「戦争」の狭い定義をはみ出している。
さらに、今日の戦争は国家間で行われるだけでなく、民族間、多国籍企業間、さらには階級間でも行われている。これらの戦争も九条の射程を超えている。それゆえ、憲法九条を、気候変動、生物多様性の崩壊、公害、情報戦争、階級闘争といった現実的な安全保障上の脅威にまで広げて安全保障政策の中心に据えていく必要がある。
アメリカの平和憲法
以上のような戦争概念の広がりを踏まえて、アメリカの安全保障概念を根本的に転換して人間の安全保障を国家と世界の基本的な優先事項として確立するために、憲法修正案(修正28条)を提起する必要がある。
この憲法改正はまったく初めての試みではなく、2つの重要な制度的前例がある。
1つは、1928年8月27日に米国とほかの15カ国が調印した、戦争(とくに侵略戦争)を違法とするケロッグ・ブリアン協定である。ケロッグ・ブリアン協定は、国策としての戦争を違法とし、平和的手段によって紛争を解決することを加盟国に求めた。侵略戦争に反対する国際的なコンセンサスをつくろうとしたこの努力は、最終的には失敗に終わったとはいえ、戦争ではなく平和を推進する政策と紛争解決のための貴重な先例である。
もう1つは、2001年7月11日にオハイオ州のデニス・クシニッチ議員が下院に提出した下院決議「平和省を設立する」で、当時ジョージ・W・ブッシュ政権が推進していた戦争への推進力に対抗する取り組みである。 この決議は、戦争準備に割かれる資源を国際平和を推進する平和省に振り向けるという構想であり、非常に大きなメリットがあり、米国にとっての平和憲法の具体的な政策的意味を考えるうえで検討に値する。
合衆国憲法修正第28条
米国は、平和の追求を外交・内政の第一目標とし、平和経済を最優先とし、その過程で核兵器を10年以内にゼロにし、他のすべての国にも同様にゼロにするよう要求する。劣化ウラン弾、地雷、クラスター爆弾、生物兵器、ナノ兵器、電磁波・赤外線兵器、情報戦など、その他の危険な兵器は、断固として廃止する。米国は、通常兵器、核兵器、あるいは心理学的、生物学的、ナノテクノロジー的手段によって戦争を遂行しようとする動きに反対する。米軍は、何百年という単位で計算される米国の長期的な安全保障に焦点を当てるよう再編され、武器や戦争への短期的な執着をやめて、環境、土壌、水質、大気の破壊を防ぎ、富裕層や権力者の台頭を防ぎ、市民を操り情報を破壊するテクノロジーの利用を防ぎ、その他人類の安全保障に対する脅威を防ぐことに専念する。米国人が米国外に派遣されるのは、明確に定義された多国間の取り組みのために、透明性があり説明責任をはたすことができる場合に限られ、そのような派遣は規定された期間に限られる。
私たちは、この修正案が具体的にどのような文章になるべきなのか、そして、現在の、借金過多・過剰消費・過剰搾取という暗黒の馬の背に乗って終末へと引き寄せられつつある戦争と消費という悪夢の専制政治にとって代わる、平和と人間の安全保障に特化した国家を米国につくるにはどうすればよいのか、さらに議論を進めようではないか。
<プロフィール>
エマニュエル・パストリッチ。1964年生まれ。アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身。イェール大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学比較文化専攻)、ハーバード大学博士。イリノイ大学、ジョージワシントン大学、韓国・慶熙大学などで勤務。韓国で2007年にアジア・インスティチュートを創立(現・理事長)。20年の米大統領に無所属での立候補を宣言したほか、24年の選挙でも緑の党から立候補を試みた。23年に活動の拠点を東京に移し、アメリカ政治体制の変革や日米同盟の改革を訴えている。英語、日本語、韓国語、中国語での著書多数。近著に『沈没してゆくアメリカ号を彼岸から見て』(論創社)。