シリーズスタートに当たって
筆者は常々、「日本復活」を願っている。ただ、願うだけでは解決にならない。日本の現実を見据えて提案することが先決と考えている。日頃の業務は激務だが、できるかぎり時間を見つけて日本を探索しようと考えている。今回は鹿児島県大隅半島に向かった。
都井岬野生馬に見習う

5月4日(日)朝4時に福岡を出発した。車で最初に宮崎県串間市東突端にある都井岬に向かった。目的は野生馬の現状の視察だ。九州自動車道えびのジャンクションから宮崎道に乗り換え、都城インターで降りて一路、志布志市、串間市に向かって車を進めた。この区間はまだ無料。都井岬に到達したのは10時だったから6時間を要したことになる。
都井岬の眼下には黒潮がぶち当たっている。いかにも南方の潮流は群青色だが、曇天のためか灰色気味の感じだ。都井岬の放牧馬の歴史は江戸時代に遡る。高鍋藩がこの岬で藩に必要な馬の育成を目的に運営していた。明治初頭の一時期、この馬たちは野放図にされていた。本当に生命力逞しいものだ。
都井岬の馬の管理をしているのは都井御崎牧組合である。120頭余の馬たちは自力で食を探して生きる。また水を求めて歩き廻る。休憩場や宿泊所も自前で探して寝泊まりする。御崎牧組合がやることは馬たちの病気・怪我の管理だ。自然に生きている馬たちに観光客が押しかけるのも如何なものかと危惧する。だがぜひ、この生命力にあふれる野生馬を青少年の教育に役立てるために、子どもたちの自立と自力での生活力を養成するコースとして1週間単位で馬たちと共同生活体験を企画してはどうだろうか。
佐多岬からの絶景
都井岬を発ったのは11時頃、一路、佐多岬に向けて車を飛ばした。到着したのが、12時半であるから1時間半要したことになる。道中の意外な感想を2点まとめる。まず、①交通事情が非常に進んでいるということだ。道路の整備がかなり進んでいる。昔から道路投資は先進的であった(もちろん、走行車の数が少ないことで運転の負担が軽いということもある)。もう一つは、②大隅半島全体で評すれば意外と平地(台地含む)が多いということである。西を振り返ると常に薩摩半島が一目瞭然で、その間に錦江湾の活用を考察した。

佐多岬突端に立つ。西側を振り返れば薩摩半島に視線が向く。あの雄大な開聞岳に圧倒される。この山は薩摩半島の南端に位置する。薩摩半島と大隅半島の距離の比較の一指標として、南に向かって大隅半島のほうが15km程度長いことを付言しておく。
それにしても佐多岬からの展望はすばらしい。南西には種子島、屋久島の島影が目に飛び込んでくる。鹿児島市から屋久島までの距離は135km、この大隅半島佐多岬からは65kmと発表されている。佐多岬に立つと70km近づいたということになる。あとで触れる錦江湾の奥深さが良くわかる(錦江湾北の行き詰まり地区は国分町、突端からの距離は110kmある勘定になる)。
大隅半島の活性化策
志布志市長は地域活性化に大変な指導力を発揮している。志布志市を短期間のうちに浜名湖を抜いて「ウナギ養殖日本一」にした。ところで、ウナギ養殖で一番、頭が痛いのが電力問題だ。電力削減に関する事項であれば何処にでも飛んで行ってリサーチするという。
このような活力あふれる市長の行動力を見て考えるのは、大隅半島自治体の首長になる条件としてまず第1に、地域おこし、産業おこしの能力があるかどうかで振るいにかける必要があるということだ。
第2は大隅半島を「日本第一の食の最先端ゾーン」として仕上げることだ。構想を練りあげる人材を役所がスカウトして抱えることが大事。それとともに農業ビジネス起業家の育成・誘いが必要だ。
第3には錦江湾と一体となった産業おこし(単純な観光産業おこしではない)のイメージを練りあげきれれば、活性化できる近未来が必ず訪れることは間違いない。
指導者育成の根本からの変革が求められる
第4には、鹿児島のエリートたちのパターンはラ・サール高校を経て東大OBとなるのが主流だ。大半は役人、政治家、首長に出世するだけで、鹿児島県全体の未来へ向けた復権についての構想力はゼロである。指導者づくりを根本から改めないと鹿児島県は沈没するだけだ。
【内山義之】