後期旧石器時代の世界と日本

縄文アイヌ研究会 主宰 澤田健一

イメージ    日本列島にホモ・サピエンスが初上陸したのは今から約3万8,000年前が確実とされますが、最近では4万年前だと言われるようになっています。約4万年も前からホモ・サピエンスによる日本列島の歴史は始まっているのです。そして、その時点で磨製石器が使用されています。刃部磨製石斧といって、研ぎ澄ました石斧です。それと同じものが約6万5,000年前のオーストラリアから出土しているので、南方にいたころから使い始めていたのでしょう。

 日本では縄文時代以前を後期旧石器時代と呼びますが、本当は約4万年前から実質的に新石器時代に入っているのです。これは驚異的です。ヨーロッパで新石器時代を迎えるのはどんなにさかのぼっても1万年前より古くはなりません。その他の地域はもっと遅れるのです。日本の新石器時代はヨーロッパよりも約3万年も先行しているのであり、この一点をみても日本の先進性がお分かりいただけるでしょう。それどころか、太古のホモ・サピエンスの技術のほぼすべてが日本列島で誕生しているのです。

 ヨーロッパでは約5万年から1万年前を後期旧石器時代と呼んでいます。旧石器時代とは打製石器だけを使っていた時代です。旧石器時代は前期、中期、後期に分かれていて、後期がホモ・サピエンスの時代となります。旧石器時代はおよそ260万年前から始まり、ほぼ同じ石器を使っており、約260万年前に原人が使っていた石器と、ホモ・サピエンスの打製石器はほとんど同じだとされています。つまり260万年間で一度も技術革新が起きなかったのです。

 ところが、日本では技術革新が次々と起きています。約4万年前から刃部磨製石斧が登場しますが、ほぼ同時期から台形様石器と環状ブロック群も登場します。この環状ブロック群の内から刃部磨製石斧や台形様石器が大量に出てくるのです。この台形様石器は実験考古学の成果から小型狩猟具であるとされており、矢尻であると考えられます。

 それから少し遅れてナイフ形石器と落とし穴が登場します。やがて3万年前になると環状ブロック群は姿を消します。環状ブロック群は定住遺跡とはされていないものの、少なくとも一定期間はそこで石器づくりを行っていたのでしょう。それと入れ替わるようにして、約3万年前に世界最古の定住遺跡が鹿児島県中種子町に登場するのです。この頃はテント状の家に住んで、遊動生活をしていたと考えられています。他のホモ・サピエンスがまだ岩陰や洞窟に身を潜めて生きていた3万年前に、日本民族のご先祖さまたちはもう家に住んでいたのです。

 それからおよそ5,000年過ぎた約2万5,000年前には北海道で細石器が誕生します。この技術は画期的な大発明です。細かく鋭い石刃をいくつもつくって、それを木の棒に直線状の溝をつくって埋め込むのです。そうしてノコギリ状の武器とするのですが、狩りの途中で刃が損耗したり欠落したりすると、その部分だけを新しい刃と交換します。細石刃は軽くて多くの交換用の刃を持ち運べるので、いつでも切れ味の良い武器として使用できます。こんなことを思いつくご先祖さまは本当に天才だと思います。

 それからまた5,000年くらい経つと、田名向原遺跡(神奈川県相模原市)では世界最古の住居遺跡が登場します。これは柱があって屋根がある家です。テントであれば気ままに遊動して歩けますが、柱を立てた住居となるとそうはいきません。そこで長い年月を過ごすことになり、それが集落の形成へとつながっていったのでしょう。

 それから3,500年ほど経つと青森県で縄文土器が登場します。大平山本Ⅰ遺跡(青森県東津軽郡外ヶ浜町)から出土した土器で、約1万6,500年前のものとされています。ただし縄文土器とは言っても、この土器には縄目の文様はありません。まずは土器の製作技術を確立するのが先で、文様はその後で考案された、と考えるのが自然です。ところが、海外の土器は初めから縄目の文様が入った完成形の縄文土器がいきなり出土します。それも日本から数千年も遅れてからです。

 縄文時代草創期を特徴付ける石器として有茎尖頭器があります。有茎尖頭器の型式には地域特性があり、そのなかで「立川型」は北海道の型式であり、北海道の蘭越町にある立川遺跡を指標とする石器です。それがほぼ同時期の北米からも出土しているのです。

 そして約1万年前の粟津湖底遺跡(滋賀県大津市)からヒョウタンの種子が出土します。ヒョウタンはアフリカ原産ですが、アフリカから日本まで流れてくる海流はありません。ということは1万年前の滋賀の縄文人は、アフリカまで行ってヒョウタンの種を持ち帰っていたと推測されます。そしてそのころ、サハラ砂漠に縄文集落と同じ形態の集落(ナブタ・プラヤ遺跡)が誕生します。

 このように、他のホモ・サピエンスが260万年前と変わらない技術しか持っていなかったときに、日本のご先祖さまたちは次々と新しい技術革新を成し遂げていったのです。そしてアフリカまで長距離移動をしていました。刃部磨製石斧は南方で誕生しましたが、それ以外の技術は日本で誕生したものと同じものが世界中に広がっていきました。世界の後期旧石器時代に技術革新を成し遂げていたのは日本民族しかいないのです。

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