『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏
紙媒体が危ない!以前からいわれてきたことではあるが、それが現実となり、新聞が、雑誌が“絶滅”するのに残された時間は少ない。紙メディアはどうしたら生き残れるのだろうか。
佐野眞一の警告と出版界の怠慢
覚えておいでだろうか。01年2月に発売された、ノンフィクション作家の佐野眞一が書いた『だれが本を殺すのか』(プレジデント社)という本を。
通称“ホンコロ”といわれ、大きな話題になった。
「活字離れ、少子化、出版界の制度疲労、そしてデジタル化の波―いま、グーテンベルク以来の巨大な地殻変動。未曾有の危機に、『本』が悲鳴を上げている!! この『事件』を、豪腕『大宅賞』作家が取材・執筆に丸2年1千枚に刻み込んだ渾身のノンフィクション」(Amazonから引用)
出版界の売上が頂点にあったころ、佐野は、すでに出版界の未来は明るくないと警告していたのである。
活字離れや少子化は時代の趨勢で致し方ないところもあるが、日本中どこでも同じ値段で売る再販制度の見直し、書店側のマージンの少なさ、非効率な流通の問題や一部の大手出版社の横暴と改革への無関心、年間7万点の新刊洪水などが丹念な取材によって指摘されていた。
だが、佐野の危機感を出版界は共有せず、手をこまねいたまま20年近くが過ぎ、見るも無残な状態になってしまったのである。
雑誌の衰退と編集者の感度の欠如
書店の数も、この10年の間に3割以上も減り、主要駅周辺でも書店のないところは珍しくない。
今では創刊される雑誌はほとんどなく、休刊誌ばかりが目立つから、以前は、休刊する雑誌の最後の号は必ず買っておいたものだったが、ある時期から多すぎてやめてしまった。
もちろん、雑誌の部数が減っていく要因は、出版界だけの責任ではない。駅のホームの売店がなくなり、コンビニでも雑誌を扱わないところが多くなってしまった。インターネットの普及で、情報があっという間に拡散され、わざわざ雑誌を買う必要がなくなってしまった。
さらに、ここでも以前書いたが、これだけデジタル化が進んでいるのに、デジタルに特化した雑誌がいまだに創刊されていない。
これは、出版界で禄を食んでいる編集者の怠慢といっていいだろう。先の『ホンコロ』のなかで、草思社社長の加瀬昌男は、「編集者に一番必要なのは、今の時代を敏感にキャッチする勘の良さです」といっている。
私の後輩たちの話をするのは気が引けるが、彼らと会うと異口同音にいうのは、「元木さん、何か面白いことはないですか?」。こんな感覚では少なくとも雑誌はつくれない。
週刊現代が4月から隔週刊になり、週刊ポストは月3回刊である。もはや週刊誌ではない。
一誌だけ気を吐いている週刊文春でさえ、紙の部数は20万を切ってしまっている。
私は昔から、「新聞、テレビ、週刊誌を含めた雑誌メディアが、互いに切磋琢磨(せっさたくま)していくのが一番いい」といい続けてきた。
近い将来、これにインターネットメディアが加わることは間違いない。だが、新聞、雑誌のほうがなくなってしまうかもしれないのだ。
00年に新聞の全発行部数は5,370万部だった。だが24年には2,661万部と半減してしまった。しかもその減少傾向はさらに勢いを増しているのだ。
もはや雑誌も新聞も絶滅危惧種といってもいいが、何とか生き長らえるすべはあるのだろうか?
下山進が注目する「生き残るメディア」
サンデー毎日(6/2日号)で、ノンフィクション作家の下山進が、これからも持続可能なメディアとは何かについて語っている。
下山は元文藝春秋の社員である。彼はコロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級過程修了というピッカピカの経歴があり、今では立教大学などで教えながら、メディアについて語れる第一人者である。
下山は、19年12月の新聞労連での講演で、「いずれ大手の新聞社は、日経新聞と全国紙1紙に収斂していく」と語った。
今回、その考えに変わりはないかと問われ、下山は、
「なぜ日経か。2010年という非常に早い時期に、ただで見られるNIKKEINETのドメインを閉じ、日経電子版という有料課金のデジタルメディアに切り替えるという経営判断ができたからだ。それは1970年代の中興の祖、圓城寺次郎の『新聞も出していた新聞社になりたい』という、紙に囚われない柔軟な経営思想に由来する。組版の自動化、コンピューター化を先駆け、日経テレコンでデータベース事業をやり、日経QUICKで株価情報とともにニュースを流し、日経NEEDSで企業分析、多様な情報商品を売ってきた」
今では電子有料版の契約者の数が100万人を超えたそうで、紙の部数は165万部減ったが、売り上げ的に見ると持続可能になっているというのだ。
日経と残る全国紙はと聞かれ、下山は「相対的な体力がある読売新聞だろう」と答えている。
下山は、地方紙、なかでも石川県の県紙である「北國新聞」に注目しているという。
「同紙を2カ月郵送で購読したが、他の地方紙とまったく異なる編集をしていた。1面に共同電を使わず、石川県という文化歴史の地に相応しいニュースを大きく扱う。そこでしか読めない、興味深いネタが多かった。全国紙が2000年代から半減しているのに、同紙はピーク時から9%しか減らしていない」
また、有料デジタル版を成功させた日本で唯一の週刊誌『週刊ダイヤモンド』にも注目している。
「会社の機構を変え、紙とデジタルの編集を統一し、販売のレポートラインも一本化、紙とデジタルを合わせて購読者数10万の大台に近付けた。経営基盤を安定させることで、忖度のない他誌では読めない経済ジャーナリズムが復活。それがまた読者獲得にも経済的繁栄にもつながるといういい循環を呼んでいる」
持続可能なメディアの条件
では、持続可能なメディアとしての5条件を挙げるとすれば何か?
「1つは、イノベーションのジレンマにとらわれていないか。かつては市場が潤い部局として成り立ってきた事業も、時代の波に沈んで採算が取れないものが出てくるが、そのときに組織の都合でやめられないことだ。2つに、技術革新を適切に受け入れているか。(中略)今は生成AI対策が重要だ。ジャーナリズムと深刻な利益相反がある。それを十分理解したうえでどう活用すべきかを考えるべきだ」
3つ目は北國新聞のように、そこでしか読めないものを提供しているか。4つ目は、買収が可能で、横の流動性があるか。5つ目は、群れず、孤立を恐れずだという。
4つ目が分かりにくいが、中年女性誌の『ハルメク』の成功は、有能な編集者をヘッドハンティングしただけではなく、潰れそうな会社を買い取り、次の経営者がV字回復するような手を打ってきたからで、買収で外の風に吹かれることも、業界を持続可能にする方法になるというのである。
私とは少し異なる考えもあるが、それについては次回触れることにしよう。
(了)
<プロフィール>
元木昌彦(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。