神経政治の時代、脳内ホルモンと投票行動~操られる有権者にならないために

 3日、参議院選挙が公示された。全国で選挙戦が熱を帯びるなか、激戦区の福岡でも街頭演説に加えて、SNSを駆使した候補者や政党、支援者らによる発信がにぎやかだ。FacebookやX(旧・Twitter)は動画や書き込み投稿であふれている。こうした現象はすでに日常となっているが、私たちはこれらの情報を基にして本当に「自分の意思」で投票行動を決めることができるのだろうか。

 アメリカのトランプ大統領の認知戦が国際政治を振り回しているのと同様に、日本の政治も新しいステージに入った。それは私たちの「感情」「注意」「反射」をいかにして操作するかが政治の主戦場になる時代、つまり“神経政治(ニューロポリティクス)”の時代の到来だ。

思考よりも早く「感情」を操作する

 ニューロポリティクスとは、政治が人間の思想や信条ではなく、「脳の反射」そのものを操作対象とする時代の政治の在り方を指す。SNSを使った選挙戦で、私たちは膨大な情報に接するが、それらで有権者に“無意識の神経反応”を誘導するように設計することが可能だ。

 たとえば、ある候補の動画を見て「いい感じ」と思ったとしよう。だがそれは候補者の政策や理念とはまるで無関係に、映像の色彩、声のトーン、目の動き、あるいは編集のテンポによって、ドーパミンをはじめとする脳内ホルモンが刺激された結果かもしれない。共感や違和感といった反射的な感情が、理性よりも早く判断を下してしまう。

 これは無意識のうちに起こるため、本人が自分の「感情」を信じている限り、そこに「操作」があることは見えにくい。だが今、政治マーケティングやSNSアルゴリズムは、私たちの気分、テンション、興奮の波を読んで、私たちの感情をコントロールし「選ばせる」ことが可能だ。そこまできていることに私たちは自覚的にならなくてはならない。

 ニューロポリティクスで脳内ホルモンがどのように操作されるか簡単に紹介する。

ドーパミン:「期待」と「報酬」を操る快楽の設計者

 ドーパミンは、人間の「期待」や「報酬予測」に深く関与するホルモンだ。何かを「手に入れられるかもしれない」と感じたとき、人間の脳はドーパミンを放出し、行動を強化する方向へ導かれる。ニューロポリティクスの文脈では、このドーパミン回路が、政治的欲望や選択の「中毒化」に利用されている。たとえばSNSでリツイート数や「いいね」数が可視化された投稿がドーパミンの放出を誘い、政治的発信が快楽の対象と化していく。結果として、人は「情報」ではなく、「脳が気持ちよくなる刺激」に投票してしまうようになる。

アドレナリン:「怒り」と「恐怖」を動員する緊急装置

 アドレナリンは、危機や恐怖、怒りといった緊急事態に際して分泌されるホルモンであり、「闘争か逃走か」の反応を促す。現代の政治において、このアドレナリンを刺激する演出は非常に多用されている。ネガティブキャンペーンやスキャンダル暴露、対立をあおる分断的言説はその典型例であり、「敵を見せることで支持を集める」という技法が、SNSと融合することで加速している。赤字で書かれた大見出し、警報を思わせる効果音、扇動的なナレーション――こうした表現手法は、有権者の感情を一気に高ぶらせる。アドレナリンが作動する瞬間、人の認識は大局を把握する力が低下する。そして「怒っている自分」が「何に怒っているか」を見失ってしまう。ニューロポリティクスは、この「思考の隙」に入り込み、感情による選択を誘導していく。

 ドーパミンやアドレナリンを主な操作対象として、その他に、感動と陶酔をもたらすエンドルフィンや、地元愛や親密性によって惹起されるオキシトシン、社会の安定、秩序、安心といった感覚にかかわるセロトニンなど、これらを複合的に操作する演出設計によって、有権者を一定の投票行動へ駆り立てることができる。

反射の奴隷とならないために

 民主政治における選挙とは、建前として、政策を語り、論理を積み上げて有権者を説得する営みということになっている。もちろんこれが建前であり、実質的には別の要素によって選挙結果が左右されることは、これまでの選挙の実態を見て多くの人が気付いていたことだ。

 さらにこれからの時代、政治と選挙を左右するのは、「どれだけ共感を得られるか」「シェアされやすいか」「イメージがいいか」といった感情であり、政治はいわば感情のマーケット戦略の時代になったといえる。候補者が誰かをやり玉に挙げて聴衆の怒りをあおったり、涙ながらに語ったり、ダンスを踊ったり、動物と戯れたりするのは、SNSや動画を通した情動刺激が有権者に影響することを知っているためだ。

 これらのあふれかえる刺激のなかで私たちはどのようにして理性的な自己を保つことができるだろうか。そのヒントを得るために、投稿や言説に触れたときに、自分のなかにどのような反応が惹起されるか自己観察をしてみよう。「期待」か「怒り」か「恐怖」か「親近感」か。しかし、少し時間がたてばすぐに冷静さを取り戻すことが分かるはずだ。つまり、“即応しない”ことこそ、ニューロポリティクスから自分を守る第一の方法だ。

 SNSを見て感情が動いたとき、すぐにシェアするのではなく、数分でも立ち止まって考える。「なぜ自分は今、怒っているのか?」「この情報は誰がつくったのか?」と自問してみるだけで、脳は“反射”から“熟慮”の回路に切り替わる。もしそこで即応すると、反射の連続に飲まれて、感情に振り回される環境を自ら再生産する側に立ってしまう。

 また、意識的に「不快な意見」に触れることも効果的だ。異なる政治思想や支持政党の情報に接することで、私を操作しようとするアルゴリズムに囲まれた「快感の檻」から抜け出すことができる。情報の選び方、注意の向け方1つが、私たちの神経の主権を守るカギになる。

政治・経済・社会、あらゆる面で神経が奪われる時代

 私たちは今、「身体としての有権者」から「神経としての有権者」へと変わりつつある。選挙は投票所で1票を投じる行為ではあるが、すでにその判断はSNSやニュース、広告、動画といった刺激の延長で、「脳内投票」で終わる時代になりつつある。

 これは政治の世界ばかりでなく、経済・社会全体がそのような方向へ向かっている。そのなかでせめて自分1人だけでも身を守るために有効になるのは、「沈黙」と「遅延」の力だ。即座に判断せず、静かに考えること。共感や嫌悪にすぐ動かされず、情報の意味を問い直すこと。たとえ私以外の誰かをそのように仕向けることはできなくても、自分にはそうすることができる。それは、経済社会全体が私たちの「感情」と「注意」を争奪戦の対象とするアテンションエコノミー(注意経済)の時代に大切な護身術である。

 どれほどSNSが発達し、候補者の発信が華やかになっても、本当に問われているのは、「私の神経は誰に揺さぶられているのか?」という1点だ。今回の選挙を1つの実験機会として、あふれかえる情報のなかに身をゆだねて、どれほど情動刺激が私に襲いかかってくるか、それによって私がどのような行動をしようとしているか自己観察してみてはどうだろうか。

 ところで、このようにいうからといって、SNSを駆使している候補者や政党が不誠実だというのではない。議会制民主主義は「数」が重要であって、選挙で勝たなければ政治的責任をはたすことはできない。そのことを自覚したうえで、心理操作と覚めた判断力のせめぎあいのなかで、政治家と有権者は最善の結果を模索しなければならない。これこそがこれからの時代の民主主義の試練に他ならない。

 また、こういってしまうと今度は、選挙における情動や感情の操作を肯定しているのかとの批判もあるかもしれない。しかし、選挙だけでなく、経済・社会さまざまな面でその時代はすでに到来している。今回の参院選で露骨に表れる心理操作はあくまで初歩的なものと理解すべきだ。

 重要なことは、これからの時代、私たちはさらに高度化する操作社会を生きていかねばならないということだ。そのための訓練の1つとして、今回の参議院選挙に臨むことも選挙行動の意義として提案したい。

【寺村朋輝】

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