天神と博多を中心に政令市として発展
こうして終戦から概ね10年以内には、焦土と化した都心部における都市基盤の再整備にある程度メドがつき、福岡市はいよいよ復興から発展のフェーズへと移っていくことになる。以下、代表的な事柄を時系列で追ってみよう。
まず、55年以降の昭和30年代にかけては、天神に大型ビルが相次いで建設。61年には西鉄福岡駅の高架化にともない、ターミナル型ショッピングセンターの西鉄福岡名店街(現在のソラリアプラザ)が開店した。高架下にはバスセンターも設置され、天神を起点とした交通ネットワーク網が完成し、天神地区への集客力が向上。交通体系の整備との相乗効果で、天神地区への商業集積が加速していき、商業の中心地が徐々に商人の町・博多から天神へと移っていった。
一方で博多では、博多駅を移転して高架拡張するとともに、新駅周辺を市の玄関口にふさわしい市街地とするための都市改造を主眼とした「博多駅地区土地区画整理事業」が決定され、60年7月に現在の博多駅の場所において、駅舎の建築が着工。63年12月に高架式純旅客駅が完成し、新たな博多駅が開業した。同時期には博多駅前広場地下道と地下街のほか、福岡交通センター(駅前バスターミナル)なども開業しており、現在の博多駅に通じる交通インフラ拠点の原型が、この時期に形成されていった。だが、当時の駅周辺には高層建築物がほとんどなく、中心市街地としての発展を遂げつつあった天神に比べると、閑散とした状況だった。そこで駅周辺での都市化を進めるべく、67年10月に「ビル誘致条例」が制定され、新たなビルの開発が活発化していった。
こうした天神と博多という両都心部の開発が進んでいくなか、福岡市では54年から75年にかけて、隣接する糟屋郡や早良郡、筑紫郡、糸島郡からいくつかの町(多々良町、香椎町、那珂町、和白町、志賀町、早良町)や村(田隈村、曰佐村、金武村、元岡村、周船寺村、北崎村)を編入。こうした市域の拡大と都市の発展にともなって人口も増加していき、72年4月、ついに福岡市は北九州市に次いで九州2番目の政令指定都市となった。このとき、中央区・博多区・東区・西区(82年5月に西区・早良区・城南区に3分割)・南区の5区が発足している。
また、同じく72年4月には、終戦後に米軍によって接収されていた席田飛行場が、返還および運輸省への移管などを経て、「福岡空港」として供用開始となった。そして75年3月には山陽新幹線が博多駅まで開通したほか、国勢調査に基づく市の人口が初めて100万人を突破。都市発展の勢いはますます加速していった。
一方で、自動車社会の到来と福岡市の地下鉄計画にともない、路面電車である西鉄福岡市内線は公共交通機関としての役目を終え、79年には福岡から路面電車が姿を消した。それに代わるかたちで、81年7月に福岡市地下鉄1号線が開業。また、その前年の80年10月に福岡高速道路(都市高)が開通するなど、都市が高度化するとともに交通インフラも充実していった。
その後も、「アジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)」の開催に向けて現在の百道浜で埋立が行われたほか、人工島「アイランドシティ」の埋立計画も進行。89年3月には「福岡タワー」が完成し、93年3月には「福岡ドーム」(現・みずほPayPayドーム福岡)が竣工したほか、95年4月に「アクロス福岡」が竣工し、96年4月に大型複合商業施設「キャナルシティ博多」が開業するなど、市内各所でランドマークとなる建築物が次々とできていった。さらに、05年2月の福岡市地下鉄・七隈線の開業や、05年10月の九州大学・伊都キャンパスの開設と、それにともなう六本松・箱崎の両キャンパスからの移転開始、05年12月の「福岡アイランドシティ」まちびらき、11年3月の九州新幹線全線開業や新たな博多駅ビルとなる「JR博多シティ」の開業など、時代に合わせてさまざまな開発が進められていくなかで都市力を増大させ、今日の福岡市につながっている。
佳境の天神ビッグバンと加速する博多コネクティッド
その福岡市では現在、天神と博多の両都心部で、それぞれ「天神ビッグバン」および「博多コネクティッド」という2つの大規模な再開発プロジェクトが進行している。本誌でもたびたび取り上げてきているが、改めて動向を見ておこう。
15年2月に始動した天神ビッグバンは、高さ制限と容積率の規制緩和を含めた優遇措置によって、老朽化したビルの建替えを誘導していくプロジェクトで、24年までに「天神ビジネスセンター」(21年9月)、「福岡大名ガーデンシティ」(22年12月)の2棟が開業。今年に入ってからは「ヒューリックスクエア福岡天神」(25年1月)、「天神ブリッククロス」(25年4月)、「ONE FUKUOKA BLDG.」(25年4月)と3棟が立て続けに開業を迎えているほか、「天神住友生命FJビジネスセンター」も間もなく竣工・開業を迎えようとしている。さらに現在、イムズ跡地での「(仮称)天神1-7計画」や、「(仮称)天神ビジネスセンター2期計画」でも建設が進んでおり、ボーナス適用の竣工期限である26年12月末に向けて、まさに佳境といったところだ。
なお、ほかにも段階的および連鎖的な建替え計画として「(仮)天神二丁目南ブロック駅前東西街区プロジェクト」「福岡中央郵便局およびイオンショッパーズ福岡の段階連鎖建替えプロジェクト」「天神一丁目15・16番街区」の3つのプロジェクトが公表されており、まだしばらくの間、天神の再開発ラッシュは続きそうだ。
一方、19年1月に始動した博多コネクティッドは、場所こそ違うものの基本的には天神ビッグバンと同じような再開発プロジェクト。これまでに「博多イーストテラス」(22年8月)と「コネクトスクエア博多」(24年3月)の2棟が開業を迎え、今年6月末には3棟目の「中央日土地博多駅前ビル」が竣工を迎えた。また、博多駅前の西日本シティ銀行本店を建て替える「(仮称)Walkプロジェクト新築工事」も、建物躯体があらかた組み上がり、一部外装もお目見えするなど、来年1月の竣工予定に向けての建設が急ピッチで進んでいる。
さらに現在、「博多新三井ビル」の建替えに向けた解体工事が来年3月末までの予定で進行している。同ビルは、1974年11月竣工で老朽化が進んでいたことから、以前より建替えが検討されていたもの。まだ正式に博多コネクティッドのプロジェクトには組み込まれていないものの、インセンティブを受けるため、建替え後の新ビルでの認定を受ける公算は大きい。博多駅や博多バスターミナルから道を挟んだ向かい側にあり、大博通りに面する立地から、魅力的な建替えビルの誕生が期待される。
なお、ほかに「博多駅空中都市プロジェクト」が予定されているほか、プロジェクトには含まれないものの、Park-PFIを活用した立体的な「明治公園」の再整備が進むなど、天神に負けじと博多コネクティッドの動きも加速してきているようだ。
冷泉小跡地で活用検討「民間では困難」の意見も
なお、どちらの再開発プロジェクトのエリア内でもないが、空襲の被害が大きかった冷泉校区に含まれる上川端町の「冷泉小学校跡地」でも現在、新たな跡地活用の検討がなされようとしている。
当該地は冷泉公園と櫛田神社に挟まれた立地であり、博多部4小学校(冷泉小学校・奈良屋小学校・御供所小学校・大浜小学校)の統合によって新たな博多小学校を開校するにあたり、1998年に閉校となった冷泉小学校の跡地。16年から校舎等の解体を行うとともに埋蔵文化財の発掘調査を行い、跡地の一部で中世の港の遺構が発見され、24年2月には「博多遺跡」として史跡に指定されている。
その跡地活用に関しては現在、こうした経緯を踏まえ、地域と意見交換を重ねて導入する機能についての整理を進め、方向性についての検討を実施。ただし、敷地面積は約6,800m2だが、敷地を縦断するかたちで中央部に博多遺跡約1,000m2があり、実際に活用できるのは東側(博多通り側)約2,500m2と西側(冷泉公民館側)約3,300m2の2つの敷地に分かれている。
24年10月からは、地域や福岡市にとって魅力ある跡地活用に向けて、跡地活用の可能性を最大限に引き出すために、同跡地に関心のある民間事業者からのアイデアを募集。導入が必要な機能としては、①災害時に収容避難所として利用できる施設、②博多の歴史や伝統文化を展示・体験できる観光の拠点施設、③地域コミュニティの場となる図書スペース(5、6人が本を読める場所)、の3つすべてとしており、民設民営が基本。また、博多遺跡については、史跡の整備等も含めて現状変更を行う場合は、原則、文化庁長官の許可が必要なほか、基本的には史跡の整備等以外の目的で建物を建てることや、上空を構造物で覆って景観に影響をおよぼす行為等は許可されない。そして土地は、売却または貸付のいずれの事業手法についても提案可能(博多遺跡の指定範囲を建築敷地とする場合は貸付のみ)としていた。
24年10月22日~12月13日までの提案書受付期間中に、7件(単独6件、グループ1件)からの提案があった。民間事業者からの主な提案や意見では、前出①~③のいずれについても、「収益性が低く、民間事業では困難であり、公共による実施が適当」という意見だった。一方で、ホテル併設の場合には、「ホール等を災害時に活用」「ロビー等の一角に図書スペース」という提案があったほか、観光拠点施設については「PFI(BTO)方式による民間事業者の一部参画は考えられる」という意見があった。ほかに、まちの賑わい創出に資する機能として、「ホテル」「住宅(マンション)」「カフェ・レストラン」という提案や、魅力向上に向けた取り組みとして、シェアサイクルや荷物預かりサービス、デジタルサイネージによる地域情報発信、などのアイデアが寄せられた。
今後は、アイデア募集で確認できた事項と、この事項に関する地域の意見などを踏まえ、関係局と連携し、活用の方向性などを検討していく方針。また、適宜議会に報告し、地域と協議しながら跡地活用の事業化に向けて取り組んでいくとしている。
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戦後の復興と発展を経て、かつての戦禍の爪痕は、今ではもうほとんど残ってはいない。だが、市内各所には現在も、冷泉公園内に建立された「戦災記念碑」のほか、簀子公園内の「戦災死者供養塔」や、福岡縣護國神社内の「平和の像」、空襲の被害が大きかった奈良屋校区を中心に複数建立された「戦災地蔵菩薩」など、戦災死没者の方々への追悼と慰霊の意をもって建立された施設が、都市の陰で忘れ去られたかのように、ひっそりと佇んでいる。
現在、福岡市は九州最大の166万7,944人(25年7月1日現在)の人口を擁し、東京23区を除いた全国の市では横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次いで5番目の都市となった。こうした人口増に後押しされるかたちで、2つの都心部再開発プロジェクトをはじめ、これから本格化していく九大・箱崎キャンパス跡地再開発など、市内各所での開発の勢いは止まるところを知らない。だが、こうした今日の福岡市があるのは、80年前の大空襲で焼け野原と化したなかで立ち上がった先人たちが、文字通り死に物狂いで築き上げてくれた都市基盤があってこそだ。終戦80周年の節目に、かつての犠牲者への慰霊の想いとともに、先人たちへの改めての感謝の念を、今を生きる我々も忘れないようにしたい。
(了)
【坂田憲治】
<参考文献>
「戦後博多復興史」(戦後博多復興史刊行会/1967年11月出版)、「福岡大空襲」(西日本新聞社/1978年6月出版)、「米軍が写した終戦直後の福岡県」(引揚げ港・博多を考える集い編集委員会/1999年11月出版)

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