AI、SNS時代の選挙と直近の選挙制度改革~情報空間の変質と民主主義を支える新たな基盤構想~
日本大学
危機管理学部 大学院危機管理学研究科
教授 西田亮介 氏
SNSとAIの普及により、情報流通の構造が大きく変化し、選挙運動や政治参加のかたちも揺らいでいる。2013年のネット選挙解禁から10年余、制度は技術進展に追いつけていない。本稿は、制度改正後の日本の状況と変容するメディア環境、民主主義の課題と今後の展望を、国内外の事例や関連法規を交えて検討する。
ネット選挙運動の制度改正とその限界
ソーシャルメディア時代の到来、そしてAIが普及する時代は、政治と民主主義のありようにも大きな変化を迫っている。情報の生成、流通、消費の構造が激変するなかで、従来の政治参加や世論形成のモデルは大きな挑戦に直面している。
2013年4月に成立した改正公職選挙法は、日本の選挙運動における大きな転換点であった。この改正の中核は、法第142条の3に「ウェブサイトなどを利用する文書図画の頒布」として位置づけられ、それまで厳しく制限されてきたインターネットを利用した選挙運動を大幅に解禁したことにある。候補者や政党は、自身のウェブサイトやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のアカウントを通じて、政策や主張を有権者に直接届けられるようになった。
若年層の政治参加とネット選挙の効果
この改正は、選挙運動期間中の候補者に関する情報提供を充実させ、有権者の政治参加を促進することが主な目的とされた。しかし、その解禁は全面的なものではなく、いくつかの重要な規制が残されることになった。とくに、候補者および政党など以外の者による選挙運動目的の電子メールの頒布は禁じられ、また、ウェブサイトなどに掲載する選挙運動用有料広告も規制の対象となった。
この電子メール規制については、送信主体を厳格に限定することで「なりすまし」や有権者が意図しない大量のメール送信を防ぐ狙いがあったが、結果として一般有権者による自発的な運動の幅を狭める側面ももった。さらに、法改正の附則には、解禁後の国政選挙を2回実施したのち、これらの規制の在り方について見直しを行い、解禁に向けた適切な措置を講ずることが明記された。
だが、そうであるにもかかわらず、25年現在に至るまで、この附則に基づく実質的な再改正は行われておらず、ネット選挙をめぐる制度改正どころか議論さえ現状では半ば凍結された状態にある。
ネット選挙運動の解禁に際して広く期待された効果の1つに、若年層の投票率向上があった。日常的にインターネットやSNSに親しむ若い世代にとって、オンラインでの情報接触が政治参加の新たな入り口となるのではないか、という期待である。しかし、解禁から10年以上が経過した現在も、その効果は明確に確認されているとは言い難い。
ネット選挙が解禁された13年以降の国政選挙の年代別投票率の推移を見ても、20代や30代の投票率はほかの世代と比較して低い傾向が続いており、若者の投票率が構造的に低迷する状況に大きな変化は見られない。16年の参議院議員通常選挙から選挙権年齢が満18歳以上に引き下げられたが、これも全体的な投票率のトレンドを劇的に好転させるには至っていない。この事実は、単に情報提供のチャネルを増やすだけでは、政治的関心の根本的な動機付けにはつながりにくいという課題を示唆している。
エストニアの事例
ネット投票の可能性
なお、日本で解禁されたのはあくまで「ネット選挙運動」であり、「ネット投票」ではないという点には留意したい。国政選挙レベルで本格的なインターネット投票(i-voting)を導入している国は、世界的に見ても極めて稀であり、期日前投票の一環としてこれを認めているエストニアの事例が傑出しているのである。
エストニアでは05年からi-votingが導入され、有権者は自宅等のコンピューターから電子的に投票することが可能だが、この仕組みも盤石ではない。エストニア方式において、他人による強制や監視下での投票を防ぐために投票期間中であれば何度でも投票をやり直せる仕組みを導入しているものの、依然として秘密投票の原則が完全に守られるかという懸念は残る。
また、システムの堅牢性、サイバー攻撃や外国からの介入リスク、さらにはデジタル機器の利用に不慣れな層の投票機会をどう保障するかというデジタルデバイドの問題など、克服すべき課題は山積しており、多くの国が導入に慎重な姿勢を崩していない。
日本においても、災害時の投票機会確保などの観点からネット投票の利点が指摘される一方で、システムの信頼性やセキュリティに対する国民的な合意形成には至っておらず、導入へのハードルは依然として高いと考えられる。
SNSで変質する情報空間と
民主主義の分断
ネット選挙運動解禁後の10余年で、日本のメディア環境そのものが地殻変動ともいえる変化を遂げた。かつて世論形成の中核を担っていた新聞やテレビといったマスメディアの影響力は、劇的に衰退した。日本新聞協会の調査によれば、新聞の総発行部数は長期的な減少傾向に歯止めがかからず、ピーク時の半分以下にまで落ち込んでいる。テレビのリアルタイム視聴率もまた、とくに若年層を中心に低下が著しい。これに取って代わったのが、インターネット、とりわけSNSである。
総務省の『情報通信白書』等の経年調査では、平日のメディア利用時間はテレビ(リアルタイム視聴)をインターネット利用が上回る状況が定着し、情報接触の主戦場がオンラインへ移行したことがデータで裏付けられている。
この変化は、単なるプラットフォームの交代にとどまらない。第一に、情報コンテンツの質的な変化が挙げられる。かつてのウェブがテキスト中心であったのに対し、現代のSNSは静止画や動画といったイメージ中心のコミュニケーションが主流となった。視覚に直接訴えかけるコンテンツは、テキスト情報よりも直感的で感情的な反応を喚起しやすく、複雑な政策課題を単純化・断片化して伝える傾向を強める。第二に、情報流通のメカニズムが根本的に変質した。SNSの表示は、かつての時系列に投稿が並ぶ「タイムライン」から、個々のユーザーの関心や過去の行動に合わせて最適化されたコンテンツを提示する「アルゴリズム」へと移行した。
アルゴリズムは、プラットフォーム事業者によって開発・管理されているが、その具体的な動作原理は外部からうかがい知ることのできない「ブラックボックス」となっている。その結果、ユーザーは自身の既存の信念や好みを肯定・強化する情報にばかり包囲される「フィルターバブル」や、閉鎖的なコミュニティ内で特定の意見が増幅され続ける「エコーチェンバー」といった現象に陥りやすくなる。これは、自分と異なる意見に触れる機会を減少させ、社会的な分断を助長する危険性を孕んでいる。
さらに、こうしたメディア環境は、「アテンション・エコノミー」と呼ばれる経済原理に支配されている。情報が過剰供給される現代において、最も希少な資源はユーザーの「注目」であり、プラットフォームもクリエイターも、いかにユーザーの注目を集め、滞在時間を延ばすかに注力している。この競争は、しばしばコンテンツの過激化や扇情化を招き、正確さや公平性よりも、感情的な反応を引き出す「バズ」が優先される傾向を生む。政治の世界もこの例外ではなく、候補者や政党は、政策の地道な訴えよりも、注目を集めるための言動へ動機付けされるようになる。
こうした構造的な変化のなかで、特筆すべきは、日本では米国のようにジャーナリズムを担う新興のオンラインメディア事業者が十分に育っていないという点である。伝統的メディアが衰退する一方で、それに代わる質の高い情報提供の受け皿が不足しているという構造的な問題を抱えるようになった。
選挙ハックと
政治的話題化戦略の広がり
こうしたメディア環境の変容は、選挙運動の在り方にも直接的な影響をおよぼし、従来の常識を覆すような新たな戦術、いわば「選挙ハック」とも呼べる手法の横行を招いている。
24年に行われた複数の選挙では、その傾向が顕著に見られた。その1つが、第三者が候補者の演説や記者会見の映像を短く編集し、刺激的なテロップを付けた「切り抜き動画」の大量拡散である。これらの動画は、文脈を無視して特定のフレーズだけを強調することが容易であり、候補者の意図とは異なるかたちでイメージが形成・拡散されるリスクをともなう。しかし、その拡散力とインパクトの大きさから、陣営が戦略的に活用する、あるいは第三者が収益目的で作成するなど、多様なかたちで選挙戦に流れ込んだ。
また、2つの陣営が選挙運動を展開する「二馬力選挙」も注目された。これは、SNSでの発信や地上戦を必ずしも合意のないままに2人体制で手厚く行うことで、有権者との接触機会を最大化する戦術である。個人の候補者という伝統的な枠組みに揺さぶりをかけるものである。
さらに、選挙制度のいわば「穴」を突く試みとして、注目度の高い選挙において有力候補と「同姓同名」の候補者を擁立する事例も現れた。これは、按分票による得票の目減らしを狙うという点に加えて、むしろその奇策自体でメディアの注目を集め、特定の政治的メッセージを増幅させることを目的としていると考えられる。高度に計算された話題づくり戦略と解釈できる。
これらの手法は、政治的信念や政策論争ではなく、いかにして有権者の注目を効率的に獲得するかに主眼が置かれており、公職選挙法が本来想定していた選挙運動の理念とは乖離した実態を生み出している。
「情報のナショナル・ミニマム」
という発想転換
こうしたデジタル時代の新たな課題に対し、現行の法規制や対策は周回遅れの様相を呈している。25年に向けて議論されている公職選挙法の改正も、これらのデジタル関連の課題に正面から向き合うものとはなっていないのが現状である。対症療法的に唱えられるのが、有権者1人ひとりの情報読解力を高める「リテラシー向上」である。総務省なども長く注力している。
だがアルゴリズムによってパーソナライズされ、絶え間なく流れ込む膨大な情報のなかから、その真偽や文脈を個人が見極めることには限界があるはずだ。また、偽情報やヘイトスピーチを拡散させる投稿の「収益化オフ」といった、プラットフォーム事業者の自主的な取り組みに期待する声もある。実際に、主要なプラットフォーム事業者は、政治広告の透明性を確保するためのライブラリを公開したり、規約違反コンテンツの削除に取り組んだりしているが、その実効性や基準の公平性については常に議論がつきまとう。
より本質的な解決のためには、新たな情報の社会基盤の構築という視点が必要ではないか。そこで第一に求められるのは、偽情報や誤情報が氾濫する現状に対抗するための「トラストな(信頼できる)情報基盤」の構築である。これは、報道機関の活動を社会的に支え、信頼性の高い情報源を可視化・認証する仕組みや、発信者のなりすましを防ぐための技術的・制度的な枠組みを社会全体で構築していくことを意味する。
第二に、「情報のナショナル・ミニマム」という概念の確立である。これは、国民が民主的な意思決定を行ううえで必要不可欠な、信頼できる蓋然性の高い情報にアクセスする権利を保障するという考え方である。
社会保障における健康や生活のナショナル・ミニマムと同様に、情報環境においても、市場原理や民間事業者に委ねるのではなく、国も一定の責任を負うべきだという発想の転換が求められる。
公共情報空間の再構築に向けて
この「情報のナショナル・ミニマム」を具体化する1つの道筋が、「報道事業者の振興」である。質の高いジャーナリズムは、権力を監視し、多様な論点を提示し、社会的な共通の議題を設定するという、民主主義にとって不可欠な機能を担う。しかし、その経済的基盤は前述の通り著しく脆弱化している。
また、すでに新聞社に対する軽減税率の適用など、実質的な公費が報道事業者に流入している側面はあるが、今後は、報道の自由や編集権の独立性を侵害しないかたちでの、より踏み込んだ振興策が検討されるべきだ。たとえば、共同支局等の運営や人材育成コストへの補助、非営利ジャーナリズム団体への税制優遇の拡大、公共放送の役割の再定義と財源の安定化、あるいはジャーナリズム教育や調査報道への公的助成なども検討に値するのではないか。
ソーシャルメディアとAIがもたらした政治と民主主義の課題は、技術的、あるいは法制度による微調整で解決できるものではない。
フィルターバブルや選挙ハックといった個々の事象への対症療法にとどまらず、信頼できる蓋然性の高い情報が公正かつ量的にも十分に流通し、すべての国民が熟議に参加できるための公共的な情報空間をいかにして再構築していくか。「トラストな情報基盤」と「情報のナショナル・ミニマム」概念をいかに社会に実装していくかという問いが、今、我々の社会に突きつけられている。
<PROFILE>
西田亮介(にしだ・りょうすけ)
日本大学危機管理学部・大学院危機管理学研究科教授。博士(政策・メディア)。1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同助教、(独)中小機構リサーチャー、立命館大特別招聘准教授、東京工業大学准教授などを経て現職。専門は社会学。『メディアと自民党』『マーケティング化する民主主義』『無業社会』など著書多数。そのほか、総務省有識者会議、行政、コメンテーターなどでメディアの実務に広く携わる。