博多座歴代社長たちの勤務評定

 (株)博多座の歴代社長は九州電力と福岡市とが交互に就任してきた。歴代7名の社長の勤務評定をまとめてみよう。

1代目 松本昇三社長

(九電出身、日本タングステン社長)

 事業創業者として陣頭指揮を執り、事業基盤を固めたと評価する。

 松本社長は親分肌であった。同氏の「博多祝いめでた」と「博多一本締め」に接すると気が引き締まった。統率力に溢れる人物であり、初代事業主への抜擢は最高の人材登用であった。

2代目 青柳紀明氏

(福岡市出身、福岡市助役)

 2代目として組織を固めて永続できる基盤を形成したと評価する。

 初代は壮大な構想を練りあげ、2代目は真面目で実務能力に長けて組織を永続させる能力を発揮する。徳川政権がまさしくその実例であり、初代家康、2代目秀忠の役割がその典型だ。

 青柳社長は福岡市役所内で責任感溢れる人柄であった。自分で「ぼたを被る」のを厭わない性格であったため人望があり、部下達から尊敬されていた。興行についてはまったくの素人であり、上京して必死で勉強していた光景を思い出す。歌舞伎役者たちとの交流にも躍起になっていた。

3代目 中元弘利氏

(福岡市副市長。助役職から副市長に職制が変わる)

 アルコール大好き。市役所時代には副市長室で毎日、宴会を行っていたという風評が広まっていた。こういう人物が好結果を出せるわけがない。

4代目 芦塚日出美氏

(九電副社長、子会社2社歴任)

 博多座の「中興の祖」として評価できる。

 「福岡経済界きっての芸能人」と高い評価を得ていたから研究熱心であった。さらにユーモアに富んでいたから部下たち(博多座)も私淑した。さらに「自社独自の演目」開発にも着手した。フランスツアーで同行した際に、フランス語を流暢に操るのには驚いた。事業基盤を固めたという評価を下したい。博多座周辺を「文化香る通り」に仕上げたのは有名なり。

5代目 相良直文氏

(RKB大幹部、福岡市とは関係なし)

 何もせずに短期間に任務を解かれる

6代目 貞刈厚仁(あつひと)氏

(福岡市副市長)

 コロナから博多座を救った功労者。

 6代目社長・貞刈氏は福岡市役所では「疫病神が飛びつく男」として有名であった。裏を返せば「市役所内の難儀な仕事は貞刈さんに頼もう」という定説が定まっていた。例を挙げればキリがないが、博多座を含めたリバレイン街の投資は資金が固定化してしまった。その資金健全化役(銀行との交渉)を託されて苦労しながらも決着をつけた。

 こうした経験があったからこそ、「コロナ襲来」=「博多座命運尽きる」事態から脱却し、健全化に導いた功労者なのである。

 7代目・大坪潔晴社長(九電出身)のミッションは大都市へと変貌する都市・福岡に「芸術の拠点」を創出させることである。

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