あなたが故人となっても、企業は存続できるだろうか(2)伊佐工務店・故池之上和夫氏
4月14日、(株)伊佐工務店の創業者である池之上和夫氏の葬儀に参列した。前日の通夜の状況は耳に入っていた。ある発注元のゼネコン経営者は次のように言う。「こんな通夜はめったにお目にかかれない。私の目算では1,000人近くは参列していた」。この報告には筆者も驚愕した。
そして翌日の葬儀である。筆者の車は600m離れた駐車場に置いたのだが、それほど、関係者たちが故人を偲んでお別れに押しかけている様子だった。葬儀への参加者はおよそ600人。供花は600本を下らなかったとみる。故人が経営してきた型枠業界という特殊性もあるかもしれないが、一族を筆頭に事業継承は可能であると断言する。ただし条件は、一族経営陣が創業者の経営信条を忘れずに経営に邁進することである。
薩摩出身者の結束力
福岡の建設業界には鹿児島県出身者が多い。故人も鹿児島県伊佐地区の出身である。先輩たちを頼って来福し、同じ鹿児島県出身ということで先輩たちが手を差し伸べる。鹿児島県出身の成功者の第一人者は、照栄建設(福岡市南区)の前畑一人氏である。故人の故郷とは山を10個越えたところにあった。その縁で長きにわたって取引関係が続いてきた。
筆者との関係は、宇美町にある合板販売業者の経営者からの紹介であった。この会社の創業者が1949年に福岡へ一旗揚げようと野心をもってやってきた人物で、その2代目は霧島の麓の生まれである。故人とは同年配で仲が良かった。そこに筆者が紹介されたのである。以来、付き合いは35年におよぶ。故人に対する印象は、「型枠という下請のオヤジであるが、着眼点がまるで別世界まで見通している。これは大物になる逸材」と踏んでいた。結果は、下記の通りまとめている。
では「オヤジが亡くなり、企業存続は可能か?」と問われれば、次のように回答しよう。「家族の頭を立てながら、幹部たちが結束すれば十分に現状の規模維持は可能である」と。
池之上和夫氏 、その「功績」「人物像」「業界への影響」
1. 功績
池之上和夫氏の最大の功績は、福岡の一専門工事業者にとどまらず、九州の型枠工事業界を代表する存在へと伊佐工務店を育て上げたことにある。鹿児島県出身の池之上氏は、学卒後に福岡で大工として経験を積み、21歳で「池之上組」を創業。1978年に「伊佐工務店」へ改称し、80年12月に法人化、90年9月には株式会社化と発展させた。ゼロから会社を立ち上げ、一代で現在の基盤を築いた歩みそのものが、同氏の経営者としての大きな実績といえる。
同氏が率いた伊佐工務店は、木造建築の大工ではなく、コンクリート建築の骨格をつくる「型枠大工」集団として存在感を高めた。2014年時点の報道では、福岡のみならず九州全土で名を知られ、大手ゼネコンからも厚い信頼を集める企業として紹介されている。職人不足が深刻化するなかでも人材を確保し、広域の現場に対応できる体制を築いたことは、同社の競争力を支える大きな成果だった。
また池之上氏は、自社経営だけでなく、業界全体の発展に尽力したことでも高く評価されている。伊佐工務店の公式サイトによれば、池之上氏は「令和4年度建設事業関係功労者等国土交通大臣表彰」を受賞している。これは、長年にわたり型枠業界の発展に尽くし、さらに日本型枠工事業協会九州支部長として地方業界の発展に寄与した功績が認められたものであり、同氏の歩みが企業内にとどまらず、業界全体におよんでいたことを示している。
2. 人物像
池之上氏は、公開資料から見るかぎり、先を読み、必要だと判断すれば周囲に先んじて動く経営者だった。景気の悪い局面であえて資材を買い集めたり、業界で“職人切り”が進むときほど雇用を重視したり、新製品を積極的に導入したりと、一般的な同業他社とは異なる判断を重ねてきた。その姿勢は「業界の逆張り」とも評されているが、そこには情報を集め、先行きを見通し、実際にかたちにする決断力があった。
一方で池之上氏は、気骨のある業界人としても知られていた。福友会会長就任時の記事では、もともと馴れ合いを好まない独自路線の人物として受け止められていたことが記されている。それでも会長就任を引き受けた背景には、「40年も飯を食わせてもらった業界への恩義」があったとされる。顧客であるゼネコンに対しても必要なら苦言を呈し、業界のために矢面に立つ覚悟をもっていた点に、同氏の責任感と率直さがよく表れている。
さらに印象的なのは、経営の中心に“人”を置いていたことである。福島工務店の森靖崇社長は、池之上氏を恩師として挙げ、「安い工事価格で取った仕事では低い賃金しか払えず、結局社員や職人を苦しめることになる」と諭されたことを明かしている。社員を本当に大切に思うのであれば、まず賃金や退職金などの保証を手厚くすべきだ――そうした考え方は、利益優先ではなく、人の暮らしと将来を守る経営観として、多くの後進に強い印象を残した。
3. 業界への影響
池之上氏が業界に与えた影響は、型枠工事業者が適正な対価と誇りをもって働ける環境づくりを訴え続けたことにある。福友会会長としての活動では、異常な低単価や事業者倒産、職人の低賃金といった構造的問題に真正面から向き合い、ゼネコン各社への要請活動を重ねた。単価や社会保険、職人の生活防衛をめぐる議論を業界内で進めたことは、単に一会社の経営者というより、現場で働く人々の未来を考えるリーダーとしての役割を果たしたことを意味している。
その際、池之上氏は問題の責任を外部だけに求めず、「一番の責任は、我々経営者にある」と語っている。上からの指し値が従業員や下請にしわ寄せされる構造を批判し、経営者自身が生活を守る覚悟をもたなければならないと訴えた。この発言は、単なる業界批判ではなく、経営者の倫理と責任を問うメッセージとして重みがある。実際に、後進の経営者がその言葉に学び、自社の労働環境改善や賃金制度の見直しへと動いたことからも、同氏の影響力の大きさがうかがえる。
また、伊佐工務店の公式サイトが現在も池之上氏を会長として掲げ、国土交通大臣表彰の受賞を大きく紹介していることは、同氏の存在が単なる過去の功労者ではなく、会社の歴史と業界の歩みを象徴する人物として受け止められていることを示している。池之上氏の影響は、会社の規模拡大や受注力の強化にとどまらず、型枠工事という仕事そのものの価値と地位を押し上げた点にこそあったといえる。
池之上氏は、一代で伊佐工務店を築き上げただけでなく、型枠工事業界の将来を見据え、職人の待遇、適正価格、業界の誇りを問い続けた人物だった。その足跡は、一企業の創業者という枠を超え、福岡・九州の建設業界にたしかな影響を残している。








