福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏
天皇の歴史
日本の天皇が政治権力の座から退いたのは、平安時代に確立された摂関政治によるという(10世紀)。それまでは実権を握っていたが、徐々に文化事業担当職に追いやられたのである。
武家政治が行われるようになっても、天皇には一定の地位が保障されていた。だからこそ、後醍醐天皇による「建武の新政」(1333年)も起こり得たのだ。武家から政権を奪還しようとした後醍醐はこの企てに成功し、「親政」を実現した。
その後醍醐は、最終的には鎌倉幕府の武士だった足利尊氏によって破られるのだが、その尊氏にしても持明院統の光明天皇を擁立して戦っている。武士にとって天皇は戦における「大義」だったのである。
京都に天龍寺という名刹があるが、この寺は足利尊氏が後醍醐天皇を打ち破った後、この天皇の冥福を祈って建立したものである。尊氏が天皇の「怨霊」を恐れたからと言われもするが、相手が天皇でなかったらそこまでしなかったろう。やはり「天皇は天皇」だったのである。
武士の時代になって、天皇家を取り囲む貴族たちは「公家」と呼ばれるようになり、「政治は武家、文化は公家」という役割分担が確定した。では、天皇はというと、公家の一部でありながら、公家と武家との仲介役をはたすようになっているところが面白い。その代表例が戦国時代の正親町天皇で、信長や秀吉と公家勢力の関係を調和的にするために奔走している。近代になって哲学者の西田幾多郎が天皇を「無の媒介者」と位置づけたのも(「日本文化の問題」1940年)、そうした史実を踏まえてのことだったかもしれない。
なお、公家と武家の関係について、「この2つの共存が日本の強みだ」と明言したのは福沢諭吉である。彼は日本と中国を比較し、中国が皇帝を中心とする「一元的」な国家であるのに対し、日本は武家と公家が拮抗してきたという意味で「二元的」国家だと言っている。そしてその分、日本のほうが発展する余地があると言明したのである(『文明論之概略』1875年)。
この福沢の指摘は日本政治のシステム的柔軟性を言い当てたもので、皇室もまた政治的存在であり、これを「象徴」に過ぎないと見くびることはできないことを示している。これは皇室を崇拝するとかしないとかの問題ではなく、日本政治における皇室の役割を軽視すべきではないということの証しである。現政府にはこのことがわかっていないから、今年の「昭和の日」の式典で天皇に発言機会を与えなくても平気でいられるのである。
敗戦後の天皇はマッカーサーの指導のもとに「人間宣言」(1946年)をした。しかし、同じマッカーサーは天皇には市民の権利も義務もないことには目をつぶったのである。そのような存在である天皇は、どうあっても「国民の上」にある特権者であって、ある種の超越性を付与されている。しかも、このことを大多数の国民は疑問視しないどころか、当然のことのように思っているのである。
そのような天皇を軽んずれば、為政者は自らの権威を失うし、国民の信望も得られない。為政者は、その地位を保つためにも、皇室を慎重に扱う必要があるのである。そのためには、まずは過去の歴史をしっかり押さえておく必要があろうけれど、現政権はそうした「勉強」はしそうもない。
皇室と外交の関係に話を戻すと、先にも述べたように昭和天皇はマッカーサーとの直接会見を重ねて、政府とは別の「外交」を独自に展開した。独自に展開した理由は、戦時における政府の有り様を見て、政府にばかり任せてはおけないという判断が天皇の側にあったからだろう。
では、この皇室の外交に対する特別な思いは、歴史的にはどこから来るのか。調べてみると、江戸時代にそうした思いの発露が見つかる。
徳川幕府がその政権確立期に、皇室の権限を「禁中並公家諸法度」(1615年)によって大幅に制限したことはよく知られている。これによって、皇室は外交はおろか、いかなる政治行為もできなくなったのである。
しかしながら、それなのに、幕末にペリーがやってきて「開国」を迫り、「開国」と「鎖国」の両極で揺れたとき、幕府はアメリカとの条約の締結に際し、時の天皇である孝明天皇に「勅許」を求めている(1858年)。これは異例のことであったが、こういう国家的危機において天皇に同意を求めるということが、日本における皇室の存在意義を示すのである。
ちなみに、孝明天皇は幕府の求めに応じず、アメリカとの条約締結に勅許を与えなかった。そのため、幕府の代表であった井伊大老は天皇の勅許なしに条約締結に踏み切ったのである。結果、大老はその少し後で尊皇派によって暗殺されている。
国難に際して意見が分かれたときには天皇に意見を聞く。この政権の在り方は1945年8月14日の「御前会議」にも表れている。「大東亜戦争」を続行し「本土決戦」に踏み切るのか、それともポツダム宣言を受け入れて「終戦」を迎えるのか、政府内部で意見が分かれた。意思統一のできなかった政府は「御前会議」を開き、昭和天皇に「聖断」を仰いだのである。これが日本の戦争の終結を実現した。天皇の存在の大きさがわかる。
(つづく)








