福岡大学名誉教授 大嶋仁
イスラエルとイランの衝突は、中東だけの問題ではない。そこにはアメリカの覇権、イスラエルの安全保障、イランの反米姿勢、ロシア・中国を含む国際秩序の変化が絡み合っている。本連載では、複雑な世界情勢を図式的に整理しながら、日本がこの対立構造をどう受け止めるべきかを、4回にわたって考える。
これまで幾度かイスラエルやイランを日本と比較した。今ここで、対アメリカという観点からその比較を深めたいと思う。
そのためには、まず日本の戦争について概観しなくてはならない。なぜなら、イランやイスラエルの現在の在り方は、若干、かつての日本と似ているからである。
まず、20世紀前半の日本の戦争については、「アジア・太平洋戦争」という名称と、「大東亜戦争」という名称と二つあることに注目したい。この二つの呼称のどちらが正しいかについては、どちらにも「理がある」といえるであろう。前者は客観的視点からの名称で、歴史家が採用するものであり、後者は主観的立場からの名称で、戦争に参加した人間たち、とくに戦争を遂行した日本国の立場から来る名称なのである。
前者の立場に立てば、日本の戦争は世界認識に欠けた無謀なものであり、無計画であり、軍隊の組織的な欠陥と政治体制の欠陥が未曽有の敗戦に導き、国民に多大な負担をかけたということになる。後者の立場に立てば、ペリー来航、不平等条約などがもたらした欧米への遺恨が戦争というかたちで爆発したのであり、その戦争は世界制覇のためではなく、アジアを欧米から解放する革命的な意味を持つものだったということになる。この立場からすると、敗戦によってその志は断たれたものの、志そのものは尊いものがあったということになる。
前者の立場は一見して非の打ちどころのない見解を提示してはいるが、日本国民が志を一つにして「お国のため」「天皇陛下のため」に戦争に参加したことの意味がはっきりしなくなる。また、どうして日本がそうした「無謀な戦争」に突入していったのか、そこに歴史的な必然性もあったはずなのに、それが見落とされてしまう。国民は強制されて戦争に行ったとはいうものの、反戦主義者が皆無といえるほど少なかったのはなぜか。多くの戦争経験者は、最後まで日本が勝つものと信じていたと言っており、真心こめて「お国のため」に頑張ったと言っていることがわかっている。
もちろん、「彼らは国に騙されたのだ」という見方も可能である。しかし、そうであっても、伊丹万作が『戦争責任者の問題』(1946年)で述べたように、国民が戦争を支持し、刻苦しながら国家を支えた事実は消えない。
現在も、表にはあまり出てこないが、「大東亜戦争」を賛美する立場は存在する。その先陣を切ったのは林房雄で、日本の近代戦は江戸末期以来の西欧への反発が根本原因にあり、日本はそのためにアジアを欧米勢力から解放しようとしたのだと彼は言った(『大東亜戦争肯定論』1964年)。この見方によれば、国民が「一丸となって」欧米列強に挑んだのは「世界の秩序」を変えたいという情熱があったからということになる。はたして、本当にそうだったのか?
この見方は一理あるようには見える。戦後のアジアが西欧の植民地から独立した背景に日本の戦争があったことは事実なのだ。しかしながら、台湾を植民地化し、朝鮮半島をも占領し、満州国を建設した日本は、本当にアジアを「解放」したかったのか? 本来「敵」であったはずの欧米の帝国主義を真似して、それらの地域を支配下に置き、「アジアの盟主」となりたかったのではないだろうか。日本には欧米に対しての反発はたしかにあったが、それと同時に憧憬もあったのであり、そうでなければ急激な西欧化を成し遂げられなかったと思われる。
つまり、上記の二つの日本の戦争についての見方のいずれもが不十分なのである。唯一いえるのは、日本近代の戦争が、西欧世界と面したアジアの宿命の表れの1つだったということである。イランやロシアともこの点でつながる。とくにイランの場合は、中東からアメリカ勢力を追い出したいと願っている点において、「大東亜戦争」を信じた日本と似ていなくはない。
ただし、イランが日本と違って積極的に敵を攻めることをしていない点には注意したい。そこは過去の日本とは異なるのである。イスラエルやアメリカとの戦いにおいて、イランは常に「やられたらやり返す」というスタンスを崩さず、「一般市民」への攻撃を避けている。ちなみに、イスラエルやアメリカはそうした配慮をせず、多くの一般市民をも犠牲にしている。
なお、日本の戦前はイスラエルの現在と似通っていることも述べておきたい。自国を「神聖な存在」と見なして周辺諸国を抑圧しようとする限りにおいて、戦前の日本とイスラエルの現在は似ているのである。ただし、イスラエルの場合は「非=西欧」と見なすことができないし、アメリカの援助に頼って戦争をしているのだから、その点では日本と比較できない。とはいえ、現在のイスラエルの在り方を見ると、「世界世論」を敵に回してまで反イスラエル勢力を撲滅しようと躍起になっている点で、戦時の日本を思わせるのだ。さしずめ、現イスラエルの首相ネタニヤフは80年前の東條英機といったところか。
さて、以上のような大雑把な比較を試みたのは、日本人がイスラエルやイランの立場をより身近に感じるためである。反論もあろうかと思うが、それを承知で図式化を試みた次第である。こうした図式化が世界理解の助けとなることは本論の最初に述べた。複雑な事象を単純化することで大事な点が抜け落ちてしまうことも多々あるが、その一方で、図式化がなければ物事がはっきり見えてこないというメリットもあるのである。
以上で、イスラエルとイラン、そしてアメリカについての考察を終える。この考察が、日本の進むべき道を考えるうえで役に立つことを望んでやまない。
(了)








