次の成長の芽をどう育てるか~(株)九州リースサービス
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(株)九州リースサービスは、2016年11月に東京証券取引所第二部上場を果たし、新たな飛躍の段階を迎えた。同社は、手堅い業績を持続している(資料参照)。古賀恭介氏は昨年6月に社長に就任して2期目を迎えようとしているが、新時代に向けて今後、新たな事業成長の芽を掴めるかが問われている。
グリーンビルの入札売却の発表、5年のスパンで利を得る
グリーンビルは、博多駅前4丁目における老舗のビルでランドマークの役割を果たしてきた。このビルを、(株)九州リースサービスが理由あって購入した。経営陣は「不動産高騰で売りチャンス」と判断して、決断したのであろう(6月1日入札を公表)。筆者の見立てであれば、10億円程度の売却益を得るのではないか。同社は東京にビルを持っていたが、これも売却してその時も莫大な益を得たのである。
ここで強調したいのは、九州リースサービスという組織は『機を見るに敏』である体質を有しているということだ。この体質は同社の強みとなっている。振り返るに、「企業再生」が叫ばれる時期があった。当然、同社も企業貸し付けにのめり込むことにもなる。貸出先の行き詰まりに直面することもあった。一例を挙げよう。熊本県荒尾市にあったセキアヒルズ(熊本県南関町)の経営不安が常態化した。そこで同社が「企業再生役」を引き受けて、管理下に置いた。5年のスパンで経営権を売却して、収益を上げた。企業再生時代に便乗した、成功の一例である。柔軟な対応でスピーディな動きが、同社の身上といえる。
「不動産リート、共同事業」が流行したときのケースである。今まではマンション業者へ直接融資を行ってきた。そこから転換して、業者との共同事業化を推進するようになった。たとえば、駅前4丁目で200戸のマンション開発計画が立ち上がった。業者と組んで特定目的会社を設立し、後で利益を折半する方式を多用したのである。地元の不動産業者と組んで南区花畑のプロジェクトを成功裡に終えた。不良債権のリスクを軽減する効果も生んだのだ。
次に太陽光発電建設のラッシュとなった。最初は開発業者への直接融資から始まったのだが、無計画で資金ショートする案件にも遭遇することになった。そこから学んだことは、「太陽光発電=メガソーラー事業は家賃ビジネスと共通している」ということである。特定目的会社を設立してメガソーラーを建設し、運営事業に乗り出したのだ。同社の対応は、金融リース会社としては先駆的な動きであった。
そして、強運な巡り合わせがあった。現在の芝浦グループホールディングス・新地哲己会長との邂逅である。最初は、メガソーラー事業の共同運営を行った。家賃ビジネスと同様のストックビジネスとして、月々の売電収入を得ることになる。2~3年すると、事業そのものを売却できるチャンスが訪れる。新地会長の方へ事業そのものを売却することで、利益を確保することができるようになったのだ。太陽光発電事業ブームを上手に掴んだのだ。冒頭のグリーンビルのように、当初の目的は収益ストックビジネスとしてビルを購入する。日が経つと不動産高騰で売りの機会がやって来る。高い売却益を捻出させて、決算はハッピーになる。5年スパンで、前記してきたような機会を繰り返してきたのだが、古賀社長は「生え抜きの社員たちには、機を見るに敏な優秀な連中がいる」と絶賛する。この生え抜き社員たちは、下記のような奇特な経験をしたことで鍛えられたのであろう。
200億円を一夜にして…
時は1990年9月。同社は存亡の危機に直面していた。現在の同社の有利子負債は900億円足らずであるが、当時は4,000億円を超える寸前の超借入過多の財務内容であった。当時の社長は元石氏である。9月末、最大の融資先・共和が倒産を迎えようとしていた。元石社長は「我が社も連鎖するな」と危機感を抱いたが、解決策は見当たらない。ただ、おろおろするばかりである。
もうなりふり構わず、刎頚(ふんけい)の友T社の社長へ電話し嘆願した。「200億円の借入主変更を受けてくれないか!!相手が倒産すると大口焦げ付きが出る。そうなると、弊社への風評で潰れる懸念もある。ぜひとも一肌脱いでほしい」という概要であったそうな。その社長の「OK、お受けした」という返答を聞いて、びっくり仰天した。バブル真っ最中といえども、この社長のくそ度胸には感動した。
T社社長が回顧する。「担保登記の変更手続き処理には往生した。時間限定で飛んで廻らされた」。筆者が「登記料は馬鹿にならなかったでしょう」と意地悪な質問をすると、「それは金額が金額だから大変であった。もちろん、こちらは頼まれた案件だったからな」と返ってきた。結果、共和が倒産して、公表された九州リースサービスの債権額は、予想された金額よりも少なくなった。元石社長の恐れていた連鎖倒産という最悪の事態は、一時的には回避された。
しかし、小手先の回避策だけで、同社の本格的な再生にはあまりにも時間がかかり過ぎた。その当時、親格にあたる福岡シティ銀行から社長として幹部たちが次々と派遣されたが、抜本的な改革は打たれなかった。そうなると、生え抜きの社員たちは「自分たちの力で食いつないでいこう」という意欲的な動きを始めた。古賀社長が褒める「生え抜き社員たちは優秀」という源は、責任を取らない歴代の派遣社長たちの下にあったのだ。
銀行がライバル
現在の資本・人事系列からみれば、九州リースサービスの親格にあたる金融機関は、西日本シティ銀行になる。現在の会長藤丸修氏は、西日本シティ銀行では副頭取に就任していた人である。
それでも企業融資を巡っては、同社と親格の銀行とはライバル関係にある。元々同社には、デベロッパーのなかにファミリー企業の存在があった。銀行信用が弱ったデベは、同社から4%台の金利で資金調達を行ってきたのである。
このファミリー企業へ、他行ともども西日本シティ銀行が融資切込みを図ってきた。その金利水準は1~2%である。アタックを受けたどの経営者も「九州リースサービスさんには今までお世話になった」と感謝しつつも、貸出金利が安ければなびき、転がっていく。低金利攻撃で得意先を奪われてしまえば、いろいろな工夫を余儀なくされていくことは時の流れである。リース会社と金融機関との間に、融資の垣根がなくなったのだ。
低金利の余波は、本業のリース事業にも襲いかかってくる。同社の事業内容は、リース事業(5,500社以上の得意先)63%、不動産事業26%、融資事業・他11%の構成になっている。その中核事業=リース事業に対しても、得意先開拓に金融機関が攻勢をかけてきているのだ。ただ最近、不動産企業への融資に対する金融機関の姿勢が厳しくなった。おかげで従来のお客が戻って来る傾向にあるが、喜んでいるわけにはいかない。
5年スパンの勝負できるビジネスの発掘が課題
さあ、古賀社長は次の一手をどう布石を打つのか。(1)本業の中核事業=リース事業の強化は当然である。(2)東京支店の機能アップが問われる。福岡北部九州の得意先には、中央でのネットワークづくりのお手伝い能力を求められるのだ。(3)トランクルーム事業などの新規事業=ストックビジネスの開発も必要となる。(4)最後はやはり時流をうかがいながら、5年スパンで勝負できるビジネスの芽を膨らませることだ。手練の腕前をどう発揮するかが課題であろう。
<COMPANY INFORMATION>
代 表:古賀 恭介
所在地:福岡市博多区博多駅前4-3-8
設 立:1974年11月
資本金:29億3,330万7,000円
売上高:(16/3)193億9,500万円関連記事
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