乗っ取られた昭和自動車!?(1)~訴訟過程で明らかになった約70年前の因縁
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佐賀県の北部に位置し、玄界灘に面した唐津城や虹の松原などで知られる風光明媚な町・唐津市。その唐津市に本社を構える昭和自動車(株)(本社:佐賀県唐津市、金子晴信代表)が現在、ある訴訟を抱えている。しかも、その訴訟の過程で、今を遡ること約70年前に起こった、同社の根幹をも揺るがしかねない問題が明るみとなった。唐津を代表する企業に、いったい何が起こっているのか――。
昭和自動車は、「昭和バス」の名前で知られる、佐賀県中・北部と福岡県西部で路線バスや貸切バスを運行するバス会社である。同社を中核とする「昭和グループ」は、九州北部でバスやタクシーなどの交通のほか、物流、自動車関連、生活関連、教育、福祉などの多岐にわたる事業を手がけ、総従業員数は4,000人以上、年商は1,500億円を超える一大企業グループとなっている。
グループの創始者は、故・金子道雄氏。同氏は1905年に長崎県佐世保市の貧しい家庭に生まれ、15歳のときに佐世保の「青木洋鉄商店」に丁稚奉公入り。店主亡き後には番頭として同商店を支えた。その後、周囲の反対を押し切って昭和自動車の経営権を取得すると、それを皮切りに先見の明と行動力によって次々とさまざまな事業に着手。昭和自動車を中心とした「昭和グループ」を形成するとともに、グループを拡大させていった。また企業経営だけではなく、55年からは唐津市長を3期12年務め、在任中には唐津城を再建するなど、唐津市の発展にも大きく貢献。79年に永眠するまで、地域社会や業界の要職を数多く歴任してきた、まさに立志伝中の人物だ。
その金子道雄氏を中興の祖とする昭和自動車だが、現在、冒頭に述べたように、佐賀地裁唐津支部において、ある訴訟を抱えている。それは「株主権確認」と「新株発行不存在確認」という2つの訴訟で、両訴訟は併合され、現在も審尋中。この訴訟で原告として同社を訴えているのは、何と前出の青木洋鉄商店の「青木家」に連なる人物だ。
そして、この訴訟の過程で判明したのが、金子道雄氏による昭和自動車の“乗っ取り劇”である。というのも、今から約70年前のまだ終戦間もない頃、何と金子道雄氏が正当な手続きを経ることなく昭和自動車の増資を行い、しかもその大半を自己所有とすることで、同社を青木家から“乗っ取った”可能性が出てきたというのだ。
これが事実だとすれば、同社および昭和グループの根幹に関わる一大事件となる。果たして、歴史の闇に葬られた真実とは――。
次回より、昭和自動車をめぐっての、金子家と青木家との因縁の歴史を紐解いていくことにしたい。
(つづく)
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