2024年12月28日( 土 )

今日本で、世界で求められる文系の知!(3)

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東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉 氏

子供を大学に入れる場合は理系が良いのではと

 ――『「文系学部廃止」の衝撃』を著された2つ目の動機を教えていただけますか。

東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉 氏<

東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉 氏

 吉見 2つ目の動機はとても重要なことです。それは「文系学部廃止」反対論の中に、「文系は役に立たないけど価値がある」とか「役に立つとか、立たないとか関係なく貴重なものだから残さなくてはいけない」などという有識者の発言があったことです。そのような開き直りは、「文系の知」に対して、余りにも防衛的で、逆にそれでは文系の可能性をおとしめてさえいるのではないかと感じたのです。もっと積極的に、理系や他の学問に対し、より大きな視野では「文系の知」こそが、役に立つのだという主張をすべきだと思います。

 もっと身近なところでは、昨今の高校生の両親の多くは「子供を大学に入れる場合、やはり理系が、生活が安定してよい」とか、「文系学部に行くと教養は身に付くだろうが、学んだことはあまり役にたたない」などと思っているように感じています。
今回の騒動がことのほか大きくなった原因の一つに、すでに多くの日本人が、「文系が役に立たない」と暗黙裡に思っていたことがあるのではないでしょうか。だからこそ、人々は文科省に「文系学部は役に立たないから廃止する」と大上段に言われたと勘違いし、「そこまで、文科省に言われる筋合いはない!」と反発したのではないでしょうか。

目的の遂行に対してその手段として役に立つこと

 今、私たちに必要なのは、「文系学部は役に立たない」というのは本当なのか、そもそも「役に立つ」とはどういうことなのかを議論していくことです。もちろん、その場合の「役に立つ」というのは単に国家や産業界のために役に立つことだとは限りません。神に対して役に立つこと、他者のために役に立つこと、地球社会に対して役に立つことなど、大学の知が向けられる宛先は、その時々の政権や産業、国家的権力の境界を超えています。

「役に立つ」の意味するところは2つあります。1つは、目的遂行に対して、その手段として役に立つということです。目的がはっきり決まっていれば、その目的を達成するために、A、B、Cなどいくつかの手段が考えられます。その場合、最も効率的で、多くの成果を得られる手段を開発する知が必要となります。

目的を編み出す知として重要で欠くべからざるもの

 しかし、「役に立つ」には、もう1つ意味があります。私たちは、何を目的にしたらいいのか、どこをゴールにしたらいいのかが、分からなくなることがあります。21世紀の今、日本で、世界で抱えている問題のほとんどがこれに該当するのではないでしょうか。 
 文系の知は、目的やゴールがはっきりしていて、その手段を導く知としては、法学部や経済学部の一部を除けば、理系と比べて弱いと言えるかも知れません。

 しかし、目的を編み出す知として、文系は重要かつ欠くべからざるものです。価値の軸は決して不変ではありません。歴史を見れば、数十年単位で、価値の尺度が変化してきたことが分かります。例えば、1960年代と現在とでは価値軸が大きく違います。1964年の東京オリンピックが開催された頃は、「より速く、より高く、より強く」といった右肩上がりの価値軸が当たり前で、その軸にあった「役に立つ」ことが求められていました。新幹線、首都高速道路から超高層ビルなどが、そのような価値の軸が求めるべき未来でした。
 ところが、2000年代以降、私たちは別の価値観を持ち始めています。「末永く、リサイクル、ゆっくり、愉快に」など、時間をかけて役に立つことが見直されているのです。つまり、価値の軸が大きく変わったのです。

日本が今も「後追い」を余儀なくされる原因である

 価値軸の転換の一例は、SonyのウォークマンとAppleのiPad/iPhoneの違いです。
 SonyがAppleになれなかったのは、Sonyは既存の軸を純化し続け、価値軸の転換が図れなかったことが一因です。ステレオから携帯ステレオへというところまでは良かったのですが、パソコンや電話の概念を壊してしまう、その価値軸の転換までは行きませんでした。
 Sonyに限らず、与えられた価値軸の枠内で優れた製品を作るのは日本の理工学系の強みですが、そうした価値軸の転換をリードする力において日本は弱いのです。その大きな理由の1つは、日本の大学教育や人材育成が、本当の意味で文系の知を理解していないことにあります。

 しかし、iPad/iPhoneの例が示すように価値軸の転換とは、概念の枠組みを変えてしまうことで、与えられたフレームの中で優れたものをつくるのとは別次元の話です。大きな歴史の中で価値の軸そのものを転換させてしまう力、またそれを大胆に予見する力が弱いことが、いつまで経っても日本が「後追い」を余儀なくされる原因だと思います。

自明だと思っているものを疑い、反省し、批判する

 新しい価値の軸を生んでいくためには、現存の価値、つまり皆が自明だと思っているものを疑い、反省し、多面的観点の中で、違う価値軸の可能性を見つける必要があります。ここには文系の知が絶対に必要なのです。概して言えば、主に理系的な知は短く役に立つことが多く、文系的な知はむしろ長く役に立つことが多いように感じています。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
yosimi吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専攻としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの中心的な役割を果たす。主な著書に『都市のドラマトゥルギー ―東京・盛り場の社会史』『「声」の資本主義―電話・ラジオ・蓄音機の社会史』、『大学とは何か』、『夢の原子力』、『「文系学部廃止」の衝撃』他多数。

 
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